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第14話:がんばろう!ニッポン!
~ 前編 ~
2012年8月 遠藤榮造
 
◆ ロンドン夏季オリンピック大会は、猛暑の日本列島を文字通り熱気に包み成功裏に閉幕した。続いて8月末にはロンドン・パラリンピックが開幕、各競技場では感動的な熱戦が繰り広げられており、日本列島の猛暑も9月に繰り越されたようだ。日本選手団は“がんばれ日本!!”の応援に応えて善戦し、この歴史の街で大和魂・なでしこ魂をいかんなく発揮している。アスリート達に心からエールを贈りたい。
     
 さて今次ロンドン夏季大会には、史上最多の選手団が200余の国・地域から参集、まさに5輪マークが象徴する世界一丸の平和のスポーツ祭典になったようだ。市内外の競技場では伝統的・歴史的な街の景観も取り込み、ユニークな運営が繰り広げられていたようだ。各種競技では悲喜こもごも、国を挙げて興奮し盛り上がった。勝敗は、オリンピック精神と原則、ルールと審判により決するので清々しい。日本選手団も予想外の種目で健闘し、史上最多の38個のメダル(うち金7個)を獲得したことは悦ばしい。

◆ ロンドンと云えば、我らKDD/OBにとっても街の景観・想い出の詰まった地である。本コラムの話題でも紹介してきたように、この地は国際海事衛星機構(インマルサット)設立の舞台。1975年4月ロンドン・キュナードホテル(中心街のハンマースミス地区)で第1回政府間会議が開始され、1982年2月に「インマルサット初期システム」の運用を開始するまで、多くの交渉・協議が繰り広げられた。会議は英当局(BPO)の招請によりイングランド各地;ドーバー海峡の景勝地ブライトンやボーンマスをはじめ、古都ストラットフォード-アポン-エイボン、その他各都市でも開かれ、更に大陸各地(ノルウエー・オランダ・フランス・旧ソ連等の招請)にも転戦した。忘れられない思い出である。     
 ご存知のとおり、インマルサット機構は2000年には民営化され、引き続きロンドンに本部を置く「Inmarsat plc」の手によりグローバル移動体衛星システムを運営;世界中の船舶・航空機・陸上移動体等を対象に近代的な移動体通信およびグローバル遭難安全システム(GMDSS)を提供している。当初船舶を対象に始まったインマルサット・システムだが、技術的進展により今日では世界中の各種移動体に多彩なサービスを提供している。最近の情報によれば、災害に強い衛星通信の特色を生かし、インマルサットの携帯端末が見直され、日本(KDDI等)においても新たなケイタイ衛星サービスとして導入されていると云う。ロンドンで発祥したインマルサットが不死鳥の如く進化発展している情勢は悦ばしい。
     

◆ さて5輪マークに象徴される近代オリンピックは、1896年のアテネ大会を第1回とし、今回のロンドン大会で30回を数えるが、この平和の祭典も国際環境に因り必ずしも平坦な道でなかったことは知られるとおり。振り返れば、1916年のベルリン大会は第1次世界大戦の勃発で中止。特に我ら戦前派にとって苦い思い出だが、1940年の開催を準備した東京大会は、不幸な日中戦争により返上。急遽、2位の候補地・ヘルシンキでの開催となったが、これも第2次世界大戦への突入で中止。次の1944年ロンドン大会も大戦中のため中止の憂き目を見る、と云う残念な歴史を刻んでいる。
その後、敗戦から立ち上がた日本は再度の挑戦で、アジア初のオリンピック大会を東京に招請し、1964年10月成功裏に開催している。競技は数々の記録で盛り上がり、日本選手団は金メダル16個を獲得(米・ソ連に次ぐ3位)と云う歴史的成果を挙げた。さらに、競技の成果もさることながら、オリンピックを背景とした日本復興のエピソードが多く語られる。
 即ち、我らKDD/OBとして忘れられないのが、世界初の国際テレビ中継を実現したことである。本コラムの話題でも触れるように、衛星通信開発草創の期に関係者の研鑽努力により、逸早くKDD茨城衛星通信所を立ち上げ、シンコム3号衛星(NASA提供)の利用等の国際的協力を得て、東京オリンピックTV映像の世界への中継に成功した。更に1964年6月にはKDD/AT&T/HTCの共同事業として建設・運用を開始した新型海底同軸ケーブルの第1太平洋横断電話ケーブル(TPC-1)が導入され、多彩な通信需要に対処してきたこと等が懐かしく想い出される。
 このような戦後復興期における日本の社会インフラの多くが、このオリンピックを契機に導入・展開された訳だが、なかでも象徴的なのが世界初の高速鉄道・東海道新幹線のデビユーも特筆されよう。いずれも我が国高度成長の基盤になったことは間違いない。もっとも、当時の資金不足、特に外貨不足の日本において必要資金の調達には苦心があったようだ。
 例えば、上記KDDのTPC-1ケーブル建設資金としては、AT&Tの肝いりで1962年に、KDD社債2,500万ドル(約90億円)をニューヨークの金融市場から調達した。その苦心談は増田元一・元KDD社長(当時・経理部長)の語り草であった。一方、東海道新幹線の建設関係では、JRが世界銀行(IBRD)から8,000万ドル(280億円)の融資を受けたと云う。なお、何れの事業も順調な成果を挙げて、KDDは1977年までに社債を全額償還。JRの新幹線も順調な運営で1981年までには世銀に完済していると云う。復興途上における日本の状況を物語るものとして感慨深い。

◆ 近代オリンピック成立の柱として、世界平和・民族融和が標榜されるが、大会の開催運営には残念ながら大小様々の紛糾や人種問題等が付きまとうようだ。筆者の記憶に生々しいのが、1980年のモスクワ大会ボイコット事件である。つまり、前年12月に突如ソ連軍がアフガニスタンへ侵攻し、これに抗議した西側諸国等がこの大会をボイコットしたため、参加は80か国・地域にとどまると云う変則的な大会になった。筆者は、たまたま1979年10月にインタースプートニク(東側の国際通信衛星機構)総会に招待されて、アゼルバイジャンの首都バクー(モスクワの南2000km・カスピ海東岸)に出張し、その帰途モスクワでソ連郵電省幹部と翌夏に迫ったモスクワ・オリンピックの通信対策について打ち合わせがあった。その2か月後に突如ソ連軍がアフガンに侵攻という事態が起きた訳だ。出張中にこのような事態を知る由もないが、現地で何となく異様な雰囲気を感じたことは今でも思い出す出来事であった。なお、このボイコット騒動は、次の1984年のロサンゼルス大会に持ち越されて、ソ連圏16か国が不参加になったが、ロサンゼルス大会には結局140か国・地域が参加している。
 オリンピックによる世界融和は貴重なテーマだが、国家間・民族間の因縁付き紛争は絶えることはないようだ。お互いに冷静・粘り強く、大局的・平和裏に処理したいものである。関係当局・政治家の腕の見せ所?!

◆ さてオリンピックと云えば、その発祥の地ギリシャは切り離せない存在。聖地オリンピアで採火された聖火はロンドンにリレーされて期間中メインスタジアムに輝き、また開会式ではギリシャ選手団が入場のトップを飾る、と云う栄誉を担う。この近代オリンピックは、1896年のアテネ大会で始まり1996年に100周年記念大会(米アトランタ)を迎えている。実はこの記念大会にはアテネも当然のこととして立候補したが、アトランタに敗れてしまうと云う、ギリシャにとって不本意な事態になった。開催地の選定においては、立候補地間の派手な招請活動・経済事情なども絡み種々の噂・憶測が流れた。なお、アテネは、その後も立候補を続け、2000年のシドニー大会に次ぐ2004年に漸くアテネ大会の開催に漕ぎ着けている。
 オリンピックでは栄誉を担うギリシャだが、最近の報道でご承知のとおり、その財政不調が世界経済の足を引っ張ると云う不名誉な事態に立ち至っている。同国は古代文明遺跡や風光明媚なエーゲ海に囲まれる観光国として有名だが、元来は南欧地域で盛んな農産物(綿花・オリーブ等)を中心とする平和な農業国。近代工業の生産性は低く経済的には必ずしも恵まれていないようだ。先年のアテネ・オリンピック開催では随分と無理をしたとも云われる。同国の財政危機は、当時から潜在的に見られていたようだ。
 ギリシャは2001年にユーロ(欧州共通通貨)を導入しており、ユーロ圏の自由経済・支援の恩恵を受ける一方、EU(欧州連合)のルール・監視下に置かれている。昨年その財政に粉飾(例えば、2010年の財政赤字を3%と発表したが、実は13%)などの不適切な財政状況が明らかになり、EUや共通通貨を管轄するECB(欧州中央銀行)、さらにIMF(国際通貨基金)などの指導を受けて、財政改革や緊縮財政の実施を迫られている。世界が注視する、長引くギリシャ経済危機の行方は!?
 それに付けても財政赤字大国・日本は大丈夫だろうか???
 


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