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  四 季 雑 感 (41)

    いろいろ考えさせられたお正月                     
樫村 慶一     
  
  今年は元号が明治になって150年になる。私は西郷さんと勝さんが会談して(戦争が会談によって回避された顕著な事例だろと思う)江戸が解放され、大政が奉還されたのが1867年なので、てっきり、昨年が明治150年だとばかり思っていた。かと言って、明治150年にどんな意味があるんだろうと考える。この間の150年は短いと思うか、長いと思うか、人それぞれだろうが、私は、平安時代から徳川時代まで位の凡そ500年分くらい、いやもっとたくさんの中身の詰まった150年だと思うので、極めて短いと感じる。なんたって、空を見上げたってお月様が唯我独尊だったし、白い顔をした外人が、赤いはずの鬼にみえた時代からだから。それから100歳超える長寿者が67,824人(2017年9月厚労省発表)もいる、ほんの150年の間の地球上のあらゆるものの変わりようは言葉に尽くせない。明治150年には政府も何か考えているようだが、はて、何をやろうとするのか、楽しみに見ていようと思う。

 私の正月は3年前から、元日一番に妻の墓参をすることから始まるようになった。7月1日が祥月命日なので、毎月1日と中日の15日には必ず墓参をするので、元旦も例外とはならない、それが終わって、娘の家の近くにある「牛込穴八幡」へお参りし、それから娘家族と食べて飲む。今年は2日に椿山荘でおせっち料理+肉など食べ放題のバイキングと初寄席を組み合わせた催しの切符を買っておいたので、2日も楽しめた。椿山荘には年に2~3回は行っているので、何も珍しいものはないが、たまに来る人や遠くからくる人には”都内で蛍がいる”なんて珍しい場所に思えるのであろう。あっちを向いてもこっちを向いても、きらきら光る液晶の林である。このiPhoneにまつわる常識を娘に教わった。

 私は、癌で家族を失った人達の会に加入している。正月は七福神巡り、春秋には近郊の散策のようなことをやるが、今まで私は、みなカメラを持ってないので、適当に会員のスナップ写真をとり、住所やメールアドレスはプライバシー保護のためとかで公開してないので、直接写真を送ることができないため、主催者に適宜配送してもらうように頼んでいた。そしたら、娘曰く、「それはとんでもないお節介なことだ、みながカメラを持ってないのじゃなくて、多くの人は携帯電話を持っていて、撮りたければ自分で撮り自分を撮りたければ自撮りとか人にたのむのよ。パパがやっていることは、100%お節介なことなんだ」と教えられた。余計な親切が仇になっていたかもしれないと反省。

 3日になって初めて位牌の妻と向き合って一人酒を楽しんだ。我が家の仏壇は、菩提寺の住職が見たら、びっくりするだろうと思うレイアウトである。我が家の墓は、妻が生前に散歩のついてにお寺の前で墓石の宣伝をしていた石屋にのせられ、どうせいずれ必要になるんだから、嫁に行った娘たちに負担をかけないようにと買ってしまった。それが浄土宗の寺だった。浄土宗の仏壇は、必ず中央に阿弥陀如来の像が立っている。本当の位牌達はその横に立つ。しかし私は、神仏の存在を信じない人間なので、仏壇の主は妻の魂だと思っているので妻の位牌がでんと真ん中に立つ。その横に妻の両親の位牌が並び、阿弥陀の像は追い出すわけにもいかないので、一番端っこである。妻が逝ってしまった後、これらの偶像達とどう付き合っていくべきか長い間悩んだ。仏教には多くの想像で作り上げた偶像がある。何とか如来とか菩薩だとか、大王だとか、いつだれが想像したのか、悩みや病気の種類による役割分担があり、快復を願って、藁にもすがりたい弱い人間からお布施という名目で貢がせる。彼らが唱えるご利益が本当にあれば、この世に貧乏人はいなくなり、病院もいらなくなるはずだ。阿弥陀にすがるとはどうゆう意味か、地獄も極楽もないのに、なんで神仏にすがるという言葉があるのか、お経を上げるということはどうゆう意味なのか、塔婆とはなんだ、とか、考えることはたくさんある。長い間の慣習もあるのだろうが、法事や春秋の彼岸会などで、住職が阿弥陀の像に向かって経を読むが、本来は生きている人間の生き方の指針ともいうべきお経を、なんで死者や架空の偶像に向かって唱えるのか、本当は、参列者に向かって唱えるべきじゃないのかと思うこともある。
 浄土宗は法然上人が開祖だが、10年後に弟子の親鸞が浄土真宗を開いた。ジェネリックだから当時の無知文盲の庶民の人気を得るには、先発より簡単な極楽行きを考えた。先発は極楽へ行くには「南無阿弥陀仏」を10回唱えろ,戒名もちゃんとつけろ、塔婆も上げろ、といろいろ条件があるのに対し、後発は、南無阿弥陀仏は1回でOK,戒名も3文字でみな同じ、釈尊の間に俗名の1文字を入れるだけ、塔婆なんて不要、とまことに簡便な制度である。妻の戒名に2か月分の年金以上も出したことを考えると、墓を作る前にもっとしっかりと宗派を研究すべきだったと、しきりに後悔したものだ。一人暮らしをするようになって、ある意味ではくだらないことかもしれないが、こんなことなどを考えているうちに、時々精神安定剤が必要な人間になってしまった。

 初「四季雑感」だと思って、正月雑感になってしまったが、最後にまじめな話を一つ。月間雑誌で「選択」というのがあるが、正月号に面白い記事がいくつかでた。一つは、ソフトバンクの米国の子会社スプリントがお荷物になり、グループ全体の足を引っ張っているという話とか、楽天の携帯参入には役員会で反対者がでて、総務省の後押しがないと前途は暗い、とかの話しがあるが、これらの話しは同業者のよしみで詳細ははばかる。
 メインの話しは、昨年末から不正入札で大きな問題になった、リニア新幹線が実は、「クエンチ」と言う致命的欠陥が潜んでいる、超伝導磁石の磁力が突然低下する現象で、いつ起きるか分からない。そのため、最悪の場合は在来型新幹線にするための準備をしているというお話。本来は在来型新幹線の半分位の高さでよいはずのトンネルを、在来型新幹線と同じ規格で掘っており、こっそり在来型の鉄の車輪方式の準備もしているということである。リニアの事業費は名古屋までの事業費が5兆5千億円に膨らんだのもトンネル・サイズを在来型にしたためだと言う。
 超伝導磁石は魔法瓶のようなものに入っており、電気抵抗をゼロにするため液体窒素や液体ヘリウムでマイナス269度の超低温に冷やしているが、走行時の振動が魔法瓶に伝わり振動エネルギーが熱エネルギーに変わり、窒素
やヘリウムが蒸発して超電導磁石の温度上がって、磁力が突如低下する現象で、どうして発生するかなかなか解明されなかった。
 しかし、2013年5月にリニア開発本部長が記者会見で、クエンチ問題は解決したと言っている。それなのになぜ今頃になってこんな記事がでるのだろうか、やっぱり、完全に問題が解決できていないのかもしれない。もしそうなら、いつ起きるかも知れない危険なリニアには誰も乗らないだろう。JR東海はドル箱路線の東海道新幹線が老朽化してきているので、そのバックアップになると強気を示している、ということである。この世の中、自分が住んでいる近所から、国内、海の向こう、どこもかしこも危険危険危険、危険ばっかりな地球になってしまった。祈る相手は誰か知らないけど、明治150年は危険解消を祈願する年にしたいものだ。くわばら くわばら では次回まで
終わり  
(2018.1.12 記) 


 

 


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