COPYRIGHT (C) k-unet, ALL RIGHTS RESERVED.
  


 
 
 
  このページは?: 
 
トップ > 連載> 四季雑感> 最新号 
 
 
 
transparent
k-unet(KDD-OBネット)
 
  連載
 
 
    
 

 四 季 雑 感 (40)

  今までしてこなかった、私の最高の自慢話
     ー 
開始10年目、40回目の区切りに当たり ー
樫村 慶一   

  10年前にk-unetの世話人を止めた後、ご厚意で、ホームページにささやかながら専用のスペースを頂き、書きたいことを書いてきた。初回は、2007年8月の 「このごろ思うこと」 と言うタイトルで始まり8号まで続いた、その後「四季雑観」に改題して39号、今年は執筆開始から10年目の記念年になり、今回は背番号も丁度40号と区切りの号になった。よく続いたと自分でも思う。
 
  自然界は秋になった。万葉集の頃まで遡らなくても、150年前(注1)の司馬遼太郎の 「坂の上の雲」 の時代だって、青空を見上げても、お月様まで何も空を飛んでいるものなどはなかった。それなのに、今じゃ一番低いところでは、ゴルフの白球から、ホームランのボール、ジェット機、低軌道や静止衛星、宇宙ステーション、そして恐ろしいICBMまで飛び出し、やたらに、天国の静謐をおびやかしている 。2年前に逝った女房はどうしているだろう、未だにベッドで目を瞑ると想い出す。
(注1) 来年2018年は明治150年になる。

  一方、 地球上には、テロだ、台風だ、豪雨だ、竜巻だ、地震だ、こそこそした殺人、不倫、汚職、政治スキャンダルなどなど、恐ろしいことや自然の脅威やら、昔だったら平気な顔で外を歩けないような恥ずかしいことまで、まともな人間が忌み嫌う現象が溢れかえっている。こんな時にはなにか、良い話題はないかと考えて思いついた。今迄色々書いてきたが、私も来年は米寿だ。周りには訃報がふつふつと舞い込む。自分がいつ、その仲間に入ってもおかしくはないと思っている。東京オリ・パラが卒寿で、差し当たりの目標である。もう、先行きには何も起きないだろうと感じ、とっておきの自慢話を書く気になった。


 秋になれば空が青くなり爽やかな風が吹く。とくると、ゴルフ狂はじっとしていられなくなる。私も13年前まではそうだった。1967年(昭和42年)から2004年まで37年間、ちっともうまくならない万年ビギナーのようなゴルフ遊びを続けてきた。ところが、その37年間で、一度だけとてつもない経験をした。国内でのコンペだったら黙っていたって話題になったのだろうが、場所が外国だったので、本人が言わない限りあまり知る人は現れないし、社内でも話題にならなかった。

  ブエノスアイレスの日本人社会には、進出企業と移住者の設立した企業、それに大使館が加わった合同のゴルフ親睦会 「オンブー会(注2)」という会があり会員は5,60人くらいいた。毎月1回首都近郊でコンペをしていたが、1984年12月1日、2日と2日間にわたって、ウルグアイで行った遠征コンペ(何回目かの記念大会だったように思うが覚えていない)で総合優勝したのである。参加人数は、7~8組だったので30人前後だと思う。
(注2)オンブーとは樹高10メートル位、周囲2~3メートルにもなる植物であるが、植物学的には樹ではなく草の一種と言われる。アルゼンチンの代表的植物。広いパンパ(草原)にポツンと立っているのもあり、真夏など日陰で一休みなどのときに役立つ。

  初日はモンテヴィデオの 「ウルグアイ・ゴルフクラブ」の18ホール、翌日は、150キロほど東へ移動、ウルグアイの大西洋岸、と言うよりかって貿易関係ニュースに頻繁に出てきた、ウルグアイ・ラウンドと言う言葉を覚えている方は多いだろうと思うが、そのウルグアイ・ラウンドが行われた、プンタ・デル・エステ(東の端っこ)と言う大西洋に面した高級リゾート地の 「カンテグリル・カントリークラブ」での18ホールマッチである。

  第一日目が52,56 トータル108 ハンディ30 ネット78、パーが73なので5オーバー、順位は6位。ハンディは30と自慢できるものではないが、でもこれも実力だから仕方がない。第二日目は、50,51 トータル101 ネット71で パープレイ(パー71)。2日間合計でグロス209 ハンディ60で、ネットが149、5オーバーで優勝だった。50を一度も切れず、お世辞にも良いとは言い難い。シングル級も2,3人はいたが、全体としては、余りレベルが高いとは言えなかったと思う。


  ゴルフ・コンペの賞品として純銀製のカップは、これだけでも十分な価値はあるのだが、副賞として、なんと当時の為替レート(1ドル約250円前後)で凡そ80万円のものを頂いたのだ。それは、JALの成田~リオ・デ・ジャネイロ線開通記念に日本航空ブエノスアイレス支店が、本社から割り当てられた1枚の日本往復ビジネスクラス航空券である。優勝が決定した瞬間の感激は、それは舞い上がったと思うが、残念ながら33年の歳月は、そのときの高揚感を記憶から半ば消し去ってしまった。 ただ、私が知っている範囲では、KDDの中でこのような名誉ある、かつ高額な賞品をもらった人は、現在も続けている人達も含めていないのじゃないかと、大ぴらに自慢したい。

  肝心の航空券は、一緒に連れて行った娘が、駐在生活3年目に入り、大学の友人に会いたくて仕方がない心境になっていたようだったので、それで一時帰国させた。ただ、航空券が成田~リオ間なので、ブエノスアイレスからリオまでは、自費で買わなくてはならない。それでも、帰した娘は久しぶりの日本の空気を腹いっぱい吸い、溌剌として戻ってきた。父親の権威が一番高まった時かもしれない。私の一生で一番自慢できる話は、これでお終い。

 これからの人生にはもう何も起きないと思うと寂しいけれど、”ヤッター” と思わず叫んだあの時の感激は、改めて、心の底から懐かしさを蘇えらせてくれた。

(2017.9.23 彼岸の日、記す)


 

 


右の  のボタンをクリックするとページの先頭に戻ります