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第15話
~ アベノミクス & 幽霊!? ~

2013年9月 遠藤榮造

 猛暑・ゲリラ豪雨・水不足と経験したことのない異常気象に見舞われた日本列島だが、台風の訪れと共に漸く季節の変わり目を迎えているようだ。K-unet ポータルサイト「季節の映像」でも可愛い季節の草花が教えている。時々訪れる同ホームページも運営委員会のご尽力により、いよいよ見応えのある内容に充実されてきた。ご同慶のいたり。小生も枯れ木の賑わいにと駄文「不死鳥物語」を連載しているが、遺憾ながら投稿はさぼりがち。先般の総会パーティで担当委員から叱咤激励をうけたが、相変わらず野暮用に紛れてと云うか、歳と共に行動力・頭の回転ともに鈍くなり、取材・取り纏めにも時間がかかると云う次第!何卒ご寛恕のほどを・・・・・。

◆さて、前回の拙稿14話では柄にもなく経済問題を話題にしたが、昨秋の衆議院総選挙で圧勝した自民党!その第2次安倍政権が早々に打ち出したのが、デフレ脱却・経済再生を旗印にした「アベノミクス」。リーマンショックの不況から抜け出せないまま東日本大震災(津波・原発事故等)の追い討ち、その復興に喘ぐ日本にとって、アベノミクスはカンフル剤のような効果を現しているようだ。と云うことで、本稿でも素人の経済怪談になるが、先ずアベノミクスの経過などから話を始めることにしよう。
 周知のとおり、アベノミクスは、戦国武将・毛利元就の遺訓「三本の矢」ならぬ「三つの矢」として順次政策を打ち出すものとしている。まず、デフレ脱却の導火線として第一の矢「大胆な金融緩和策」が中央銀行(日銀)の責任において打ち出された。ご存知の通り、この金融緩和は「2%インフレを2年程度で達成することを目標」とするもので、本格的インフレに入る手前の段階、つまり「リフレ政策」とも云われる。リフレ政策はデフレ脱却の手法として近年学説としても広く知られている。
 政権交代のタイミングで打ち出された第一の矢は、デフレ脱却に向けた経済変化への期待感を高めていると云えよう。早速円安株高の景況観を演出。輸出企業の収益改善が進み、株式市場の活性化もみられる。当然ながら他方で、輸入品の値上がりに伴う物価上昇圧力の副作用が懸念され、また株式市場では、投機筋(ヘッジファンド等)の動きも加わり時には株価の乱高下に驚かされる。しかし、デフレ脱却の期待感の高まりも事実のようだ。
 第一の矢を補強するのが第二の矢「政府の補正予算を含む切れ目のない財政出動」である。つまり、災害復興、インフラ整備などで景気の浮揚・市場の活性化を促しながら、その間に第三の矢「成長戦略」として、日本再生課題の各種政策をタイミングよく打ち出し、経済に好循環を醸成しようと云う目論み。

◆アベノミクス構想は、第1次安倍内閣の失脚から雌伏6年の間に温められてきた日本再生の切り札の一つ。拙稿14話でも触れる通り、昨秋10月国際通貨基金(IMF)/世銀の合同年次総会が東京に招請され世界経済がレビユウーされた。この機会も捉えて、自民党首脳は世界のブレインとも議論を深め、この構想をブラッシュアップし固めてきたものと云えよう。
 ご存知の通り、IMF/世銀は世界経済の見張り役・アドバイザー役として、多くの国・地域に対して助言や必要な融資等を行っている。つまり今日のグローバル社会では、一国の経済危機・財政不全(債務不履行など)が及ぼす他国への影響は大きい。その影響を可及的速やかに緩和・解決するのに、IMFなど国際機関の協力は益々重要性を加えていると云えよう。例えば、先般来、欧州連合(EU)のユーロ通貨不信問題(ギリシャの財務危機が発端)で世界的不況が憂慮されてきたが、IMFを中心とする、EU中央銀行などの国際機関等の協力により漸次難関を切り抜けつつあることは拙稿でも紹介したところである。またIMFは特に日本に対しては、少子高齢化対策が急務として女性の職場進出の重要性を強調し、そのための社会環境の整備等についても種々解説している。
 いずれにしても財政経済の立て直しには、各国それぞれの実情に即し、適時適切な戦略的対策が求められると云う。まさにアベノミクスは、このような助言・学説等を下敷きとして安倍政権が日本再生に向けて発動したもの。それを可能にした背景としては、20年来世界第2の経済大国の地位を占めてきた日本の豊かな経験・豊富な人材、そして国際的人脈の活躍していることが挙げられよう。
 アベノミクスが既に国際的にも認知を得てきたことは周知のとおりだが、6月半ば英国北アイルランドで開催された第39回主要国首脳会議(G8サミット)において安倍首相は、早速アベノミクスについて説明し、日本のデフレ脱却・経済再建の意気込み披歴するとともに、世界経済にも寄与したいとの願望を込めた。一部からは日本の財政赤字体質を懸念する指摘(独)もあったが、世界第2の経済大国日本の再生は、不況下の世界経済にとっても望ましい方向として、アベノミクスは大方の歓迎を受け、サミット宣言にも盛り込まれている。つまり、アベノミクスは世界経済の牽引役としての役割も負う形になった。安倍首相はサミットの帰途もロンドンにおいてアベノミクスについて講演を行い、大方の好評を得たとされる。
 このようにアベノミクスへの期待感が高まる中で、7月に行われた参議院改選選挙おいて自民党はまたまた圧勝し、年来のねじれ国会が解消された。信認を得た安倍政権は、いよいよ第三の矢「成長戦略」の正念場を迎えているが、政権の奢りなき慎重かつ大胆な政策推進を期待したい。好循環の経済再生を確実にするための成長戦略では、当然ながら民間企業の活性化を促す規制緩和、産業構造改革等、枠組みの近代化整備が急がれよう。
 勿論、政府自体の改革、財政規律の立て直しは待ったなしの重要課題だ。例えば;1千兆円を超える累積財政赤字の削減策、予算収支のプライマリーバランスの回復等々の難題は目白押しだ。目睫には、消費税アップや社会保障制度改革のスケジュールも迫っている。
 アベノミクスにより、再び「Japan  as  NO.1」の到来を期待したい。


写真(右)は39回G8サミット出席の各国首脳の様子



◆思い起こすのは6年前の第1次安倍政権が1年足らずで挫折したことだ。拙稿9話でも話題にしたが、その際も安倍政権のスタート・ダッシュは素晴らしく、大きな賛辞と共に期待が膨らんでいた。ところが、その夏の猛暑とねじれ国会の苦労が重なり、安倍総理は体調を崩し、政権は僅か1年でダウンした。今回の第2次安倍政権はこれまでのところ、アベノミクスはじめ順当な滑り出しを見ている。だが、課題は山積、特に外交案件は複雑怪奇;曰く、領土問題、亡霊のような歴史認識問題等々。安倍総理には一層の自重・自愛をもって、前轍を踏むことなく初志貫徹に向けての邁進を期待したい。
 ところで、安倍総理の健康管理に関係があるのかも知れないが、今次政権では、安倍総理は首相公邸に移らず、渋谷の私宅から通勤していると云う。前回の安倍政権では、首相官邸(現在の公邸)に居住して健康を損なったと云うような因縁を指摘する向きもあるが。
 去る6月の新聞報道によると、参議院民主党の加賀谷議員から総理の通勤問題について質問が提出された。曰く「安倍総理が就任から半年を過ぎても渋谷の私邸から通勤を続けているが、警護上も経費上も問題ではないか?」首相公邸に引っ越さない事情は「公邸に幽霊話があるからか?」との質問。これに対する閣議決定の回答は「幽霊問題かどうかの事情は承知しないが、公邸への転居は諸般の状況を勘案しつつ判断される」というもの。関連の記者会見で、幽霊の気配を感じるかと聞かれた菅官房長官は「云われれば、そうかとも思う」と答え、公邸の幽霊噺は、猛暑の永田町に冷風を呼んでいた。
 なお、首相官邸と公邸の名称がややこしいので、付言すると;2002年に新たな総理大臣(首相)官邸が完成し、内閣機能を集約的に充実した。そして旧首相官邸の建物は、新官邸の南50mの隣接地にそのまま移設(引き家方式)して「首相公邸」になった。つまり、公邸になった旧官邸は、専ら首相の居住場所として使われている(公務員宿舎扱い)。

  写真(上)は首相官邸玄関
  官邸ホームページ(http://www.kantei.go.jp/jp/vt/main/01/photo02_1.html)から引用

  写真(下)は首相公邸玄関
  官邸ホームページ(http://www.kantei.go.jp/jp/vt2/main/00/photo-zentai01.html)から引用

◆さて、公邸の幽霊噺の根源はご存知のとおり、昭和11年に起きた2・26事件にまつわるもので、当時の首相官邸(現・公邸)はじめ政府機関が近衛師団等の若手将校率いる部隊の襲撃を受けた政治的クーデターである。このクーデターは国粋主義の青年将校達が師団横断的に鳩合・画策したもので、昭和維新と称して重臣を殺害し、首都中枢部を4日間にわたり陸軍部隊(約1,000の将兵)が占拠した事件である。当時官邸に起居していた岡田啓介首相も襲撃を受けたが奇跡的に難を免れ、身代わりとなった首相の義弟(襲撃側が岡田首相と誤認)や警備の警官など官邸側に可なりの犠牲者がでている。後には実行部隊の責任将校にも処刑された者がいると云う。軍靴の音(行軍の幽霊)も夢枕に出ると云う証言もある。今年は68回目の終戦記念日を迎えた訳だが、2・26事件は、あの忌まわしい太平洋戦争突入(昭和16年12月8日)の前奏曲であった、と云えよう。因みに、岡田啓介海軍大将は、軍縮会議の日本代表を務めるなど欧米を知るリベラル派、事件当時は最重要人物として狙われていた。事件の責任を取って岡田内閣は総辞職。もともと米英との戦争に勝ち目のないことを感じていた岡田大将は、その後、重臣としての立場を生かし同憂の志と共に、戦争の早期終結に尽力した。その功績も高く評価されていると云う。昭和27年(1952年)10月に85才で逝去されたが、80才の時には宮中での杖使用を許されていたと云う。
 なお、岡田大将は越前(福井県)出身で、妻イクさんに早く逝かれ(昭和3年)、以来独身で通していたようだ。2・26事件の時は、身代わりとなった義弟の松尾伝蔵氏(妹の夫)を側近とし、同郷の福田耕氏を総務秘書官、大蔵キャリアの迫水久常氏(次女の夫)を財務担当秘書官、外務キャリアの大久保利隆氏(迫水の義弟)を外務担当秘書官とする同郷グループで支えられていた。福田耕氏は2・26事件では首相救出劇に活躍したという。戦時中は華北電電の要職にあった関係で、戦後はご存知の通り、KDD発足時に渋沢敬三社長と並んでナンバー2の専務取締役を勤めている。

◆余談に亘るが、KDD発足間もない1955年(昭和30年)に「岡田啓介海軍大将を偲ぶ会」が首相官邸(現・公邸)で開かれた。福田専務はその幹事役を勤めていたということで、専務のお手伝いとして、KDDから小生ら数名も首相官邸に駆り出された。このご縁で岡田大将の伝記本を頂戴したり、官邸ホール一隅で昼食のご相伴に与かったりした想い出が印象的に残っている。
 上記偲ぶ会は、我らが丸の内のKDD本社から大手町の新築ビルに移って間もない頃で、愚生は、当時広報を担当、新聞記者関係で役員との交渉も多かったことから、お手伝いに駆り出されたと思うが、大変特異な経験であった。
 なお、2・26事件の背景・経過などは、偲ぶ会から頂戴した「岡田啓介伝記本」に詳しい(ご興味のある方には貸与OK)。この本は、B5版500ページに及ぶ大作で福田専務を世話役とする「故岡田啓介海軍大将記録編纂委員会」で纏められ、冒頭の序文は吉田茂元総理が贈っている。

◆この偲ぶ会で印象を深くしたのは、敗戦日本の立ち上げをリードしたワンマン宰相・吉田茂氏の出席であった。ご存知のように敗戦間もなく公職追放になった自由党総裁鳩山一郎氏を継いで同党総裁に選ばれた吉田氏は、1946年に第1次吉田内閣を発足し、以来1953年の第5次吉田内閣まで6年余に亘る長期政権を担った。
 もっとも、1947年には新憲法により総選挙が行われた結果、1年半ほど社会党に政権が移ると云う事態もあったが、直ちに自由党が政権を取戻し、第2次吉田政権が発足している。つまり、吉田ワンマン体制により、敗戦日本を世界の舞台に復帰させた数々の事績を残したことはご存知のとおり。連合国軍司令長官マッカーサー元帥との交渉をはじめ、平和憲法の制定、サンフランシスコ平和条約締結、日米安保条約締結等々吉田宰相の活躍・エピソードは、多くの報道・ドキュメントに語られる。その活躍・功績により吉田氏は1967年に逝去の際、国葬の礼をもって送られたことは記憶に新しい。
 上記偲ぶ会において吉田氏は冒頭挨拶に立ち、大将を同憂の志とし戦後復興状況を報告、大将からも貴重な示唆を得ていたなどの想い出を語った。吉田氏は、もともとは外務官僚出身であるが政治感覚に鋭く、2・26事件当時には外務大臣候補に挙がっていたが、岡田大将と同様のリベラル派として、対立する国粋派に嫌われていたから、事件直後には英国大使に飛ばされ、国内での平和活動(戦争回避)を阻まれていた、と云う経緯も語られる。
 
   写真(上)はデンマークGNTC社長一行との会談(KDD大手町ビルにて)

~右端からKDD福田専務・渋沢社長、スエンソンGNTC社長・・・~


◆アベノミクスと2・26事件とは全く関係ない話だが、もし、かつての事件現場・首相公邸が歴代総理の居住場所として健康上(精神的にも)に何らかの影響及ばすものとすれば速やかに処置し別途新公邸を計画したら如何かと思う。公邸の建物自体は、昭和2年完成の2階建(大蔵省営繕財務局・下元氏設計)。かつての帝国ホテル同様に、ライト風様式(米建築家設計の煉瓦と大谷石を飾る鉄筋コンクリート造り)を踏襲する歴史的建造物である。因みに、旧帝国ホテル玄関は、愛知県の犬山明治村(博物園)に移築・保存されていることは、ご存知の向きも多いと思う。現公邸も歴史的建造物として保存することは望ましいかも知れない。

以 上

 


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