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   衛星通信実験50周年記念投稿

 

ケネディ暗殺を伝えた日米最初のTV宇宙中継の現場に居て

小野 欽司          

「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな一歩である」、研究生活において私の最大の転機は1969年のアポロ宇宙船の月着陸とその時船長のアームストロングの発したこの言葉でした。

大学を卒業後、KDD(国際電電)研究所の宇宙通信課に配属され、地球を3時間で1周する人工衛星の軌道計算とその衛星をとらえて通信するためのアンテナ制御などの指令制御の研究に携わっていました。わが国最初のTV宇宙中継でケネディ大統領の暗殺を伝えた劇的な瞬間の現場で働いていました。1963年11月23日の早朝でした。

私は大学院で人工衛星による宇宙科学の研究をしたいと考えていましたが、国際電電が人工衛星を使った国際通信の研究をスタートするという研究所長の難波捷吾さんの語る記事を科学雑誌で読み、国際電電とはどんな会社だろうと調べてみると渋沢敬三さんが社長の国際通信の独占会社でした。

この会社で仕事をしてみようかと、国際電電の研究所を訪ねましたが、話を伺った宮憲一さんから「君、ここに来るより大学院で研究を続けたほうがよいよ」と言われ就職はあきらめました。ところがしばらくして私の指導教授の永田武先生を通じて宮さんから「夏休みに国際電電の研究所へ実習に来ないか」と誘われ、実習にいっている間に国際電電の就職が内定し翌年入社しました。

入社して私は宮さんが課長の宇宙通信課に所属していましたが、宇宙通信指令制御の研究のため大島信太郎さんが課長の調査課に席をおいて渡辺昭治さんがリーダの宇宙通信指令制御の研究に取り組みました。NASAでは宇宙開発にIBMのコンピュータが活躍中で、「何故IBMを使わないのか?」とよく質問され、また国産技術の中で私たちが担当するコンピューターがベースの指令制御装置の開発は課題が多くありました。私たちは東大の後藤英一先生のよって発明されたパラメトロン素子を用いた指令制御装置を開発して、国産技術の一番弱い所、日本と米国の差の歴然としているところに挑戦しました。

日米TV宇宙中継の最初の日、私たちは前日から徹夜で準備をし、午前4時ごろに最後のリハーサルテストを終えました。5時半頃からの第1回の宇宙中継の前、NASAから来ていた専門家のフラハティ氏がアメリカと電話で話している「ケネディ大統領が暗殺されたらしい」「ケネディ大統領の日本国民へのメッセージの中継は中止になる」というような会話を耳にしました。私は大変驚きましたが、太平洋上の彼方を移動する衛星の軌道を正しく捉えられるか目前に迫った宇宙中継実験のことが気になり、半信半疑の状態でした。

最初に宇宙中継で送られてきたTVではケネディ大統領の日本国民へのメッセージの中継は中止され、モハービ地球局とその周りの砂漠の風景などが鮮明に映し出されていました。20分くらいの中継の後、リレー衛星は見えなくなり無事中継は終わりうまく衛星を補足できTV映像を受信できてホットしました。

 3時間後(858分)再び、リレー衛星は茨城地球局の視界に入り、アンテナを衛星の方向に指向させました。そこに飛び込んできたのは、ダラスでのケネディ大統領暗殺を伝える衝撃的な映像でした。前にケネディ暗殺の事を小耳にしていたにも関わらず、宇宙中継により伝送されたありし日のケネディ大統領の姿を伝えるTVの映像で目にした事実に私はアンテナ指令制御の仕事を忘れるほど呆然とし、この衝撃的ニュースに心を奪われてしまいました。十数分近くの中継を無事終えたにもかかわらず、遠く離れたアメリカから送られたTVで見た、つい数時間前に起きたケネディ大統領暗殺の生々しいショッキングな映像に私は実験成功の喜びを味わうことさえもできませんでした。

日米の最初の宇宙中継がケネディ暗殺という衝撃的なものでありましたが、これがその後世界の様々な所でおきたニュースを瞬時に、人々にとって一番わかりやすい映像と言う形で伝えるTV国際放送のさきがけとなったと思います。

その後人工衛星の発展は目覚ましく、間もなくシンコムという静止衛星が打ち上げられ、これにより静止衛星を利用した国際通信の実用化が直ぐにやってきました。私は自分の仕事の達成感と同時に虚脱感に悩まされていました。アポロの人類初の月着陸という偉業に刺激されて、「このまま今の研究を続けていていいのだろうか」と思い、宮憲一さんに「米国の大学院に留学し新しいことを学びたい」と相談し、スタンフォード大学の大学院へ留学しました。

スタンフォード大学で私はインターネットの前身であるARPAプロジェクトに出あい、将来の通信への大きなインパクトを予感して研究テーマを「衛星通信」から「コンピュータ通信」に変え、インターネットの基礎となるパケット通信やプロトコルの研究をしてきました。それから40年過ぎましたが、今日では世界の多くはインターネットを主体とする高度情報社会になっていると言っても過言ではないでしょう。

その後KDDの研究所長として新しいIT時代の情報通信の研究を推進している時、猪瀬博先生から誘われて、東大から分離独立した学術情報センターの教授となり、所長の猪瀬先生を支えてわが国における情報学研究の中核的な研究機関となる国立情報学研究所の設立に取り組んできました。

国立情報学研究所は2000年に創立され、計算機科学や情報工学といった理工学系の研究のみでなく、人文社会科学との融合研究も行う世界でもトップレベルの研究所に育ち、私も現在は名誉教授としてディジタルシルクロードの研究などのアドバイスをして余生を楽しんでいます。



 


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