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輪句集



桂三枝が、桂文枝を襲名


 桂三枝が、桂文枝を襲名した。その襲名披露公演に行った。

 9月12日 国立大劇場の昼公演である。大阪芸人の三枝が、小劇場ならいざ知らず、大劇場を一杯にできるのだろうかと訝った。ところが、とんでもない心得違いであることが、入口に着いた途端に分かった。黒服のお兄さん達が大勢いて、来場するお客ひとりひとりに応対している、黒服の若者というと、ちょっと怖い感じがしないでもなかったが、すぐにその恐れは解消した。歌舞伎の昼公演は年に何回かは行くが、それ以上の人出である。関西の芸人は余り見ないし、言葉が好みではないので、積極的に切符を買うまでにはいかなかったのだが、娘が両親が落語が好きなことを知っており、敬老の日の祝いに気をきかして買ってくれたのだ。プログラムは添付の通りだ。
 先に述べた通り、関東人と関西人では語り調が全く違う。出し物は全部覚えていないが、関西落語は言葉がよく分からないせいもあるが、筋が殆ど理解できない。逆に関東の歯切れ良さが特に目立った。全体で面白かったのは、小朝がだんとつだろう。彼は以前、舞台で見たとき、最後のあたりで傲慢な態度がみえたので、余り好きではなくなったのだが、やっぱり落語は一流である。

 一方、特にひどかったのは、鶴瓶で、準備の時間がなかったのでと言い訳しながら口演したのだか、理解できたのは、ただ“青木先生”と言う言葉だけだった。ひどいものである。テレビにばっかりでているので、練習もしてないのかなと勘ぐった。春風亭と笑福亭は親戚筋なのか、招待された格好だが、昇太などは、若いせいもあるのか、口上ではすっかり上がって、全くギャグもなく、通り一遍の口上だった。口上は文珍の一人舞台の感があったが、まあ聞いていて退屈はさせないのは流石である。たしかに、メンバーを見ると豪華である。これに立川を代表して志の輔がくればオールスターになったのだろうが。まあ、とにかくそこそこに面白い披露公演であった。

 


三遊亭円楽と春風亭昇太の二人会

 中野駅の南口から線路沿いを東中野方向に7~8分歩くと「中野ZERO」と言うサンプラザのような大きな公演ホールがある。ここの大ホールには約1300の客席がある。1月の6日に行われた円楽(前の楽太郎)と、独身を売り物にしている昇太の二人会に行った。なんと、この大ホールが満員である。高い視聴率をバックに、ぼちぼち50年にもなろうかというお化け番組のレギュラーの人気なら当然と言えば当然なのだろうが、それにしても大したものだ。新宿や上野や浅草の演芸場はこんなに大勢は入れないから、出演する芸人にとっては鼻高々であろう。まずはめでたしめでたしである。何人会などと言うと、前座がぞろぞろ出て、真打の主役が出て、中入りがあって、また口上とか本番とかで真打が2回位高座に上がってくるものだと思ったけど、今回は、円楽は他へ出演する予定でもあるのか、中入り前に終わってしまった。もう一席あるかと期待した向きはがっかりだった。
 演目は右の写真の通りだが、最初に出た昇太の弟子の昇也の「転失気 (てんしき)」が断然面白かった。この話が余りに面白かったので、真打二人の話をほとんど覚えていないのが情けない。真打の話を覚えていなくて、この欄にものを書くなんて恥かしい限りだけど、転失気の話だけでも十分価値があると思っている。k-unetの会員の皆さんは転失気とはなんだかご存じだろうか。これは昔からの落語の中で語られてきた古い医学用語だそうである。つまり、「屁 おなら」のことだ。

 ★あらすじ★ 瑞徳寺の和尚が腹をこわして医者を呼んだ。和尚に向かって医者が、「てんしき」はあるかと聞いた。知らないくせに和尚は「ありません」と答えたが、さあ、「てんしき」のことが気になってしかたがない。一生懸命に調べるが経の中にも出ていない。そこで、寺の小僧の珍念に雑貨屋に行って「てんしき」を借りて来い、無ければ花屋のところへ行くように言いつける。
 珍念が雑貨屋に行くと、売り切れてないという。花屋へ行くと、味噌汁に入れて食べてしまったという。寺に帰って珍念は和尚に「てんしき」の意味を聞くが、和尚は自分が教えたのではすぐに忘れてしまうから、医者に薬をもらいに行ってその時に聞いてみるようにと言う。
 珍念が医者に聞くと、医者は、それは「おなら」のことだと言う。信じない珍念に医者は「転失気」は、「気を転(まろ)め失う」と「傷寒論」という書物に出てくる医者の用語だと教える。珍念は納得し、雑貨屋も花屋も知らないくせに知ったかぶりをしていたことが分かり、寺へ帰る道すがらおかしいやら、愉快やら、腹を抱えて笑い転げた。寺に戻った珍念、和尚をからかおうと、「てんしき」とは「盃(さかずき)」のことでしたと和尚に話す。和尚もそうだ、盃のことだ、「呑酒器」と書くのだ、よく覚えておけと相変わらず知ったかぶりをしている。珍念はおかしくてたまらない。
 数日後、医者が往診に来た。和尚は先日はうっかり「てんしきはない」と答えたが、「てんしきはあります」という。医者が、「それはよかった」というと、和尚は「てんしき」を見せるという。驚いて困っている医者の前に、珍念に「てんしき」(盃)の入った箱を持って来させる。医者は「てんしき」の形はどんなものかなと、鼻をつまんで箱の中を覗き込むと、なんと箱の中には盃が一つ。
医者 「和尚これは盃で」
和尚 「つまらんてんしきでしてな」
医者 「何かのお間違えで、和尚。私が伺いましたのは、おならですわな」
和尚 「いやあ、寺方ではこれが、てんしきで」
医者 「それはどういうわけで」
和尚 「これを重ねるうちにブウブウ文句のいう奴がいる」

 落語は筋書きももちろん重要だろうけど、やっぱり、表情や体の動き、扇子、手ぬぐいなどを使いながらの話しぶりが一番大事なことだと思う。真打辺りになると安心して聞いていられる。やっぱり座敷芸の中の伝統の一つ”落語”という基本的な”だし”に”話術”という”調味料”が効いているからだと思う。いまどき流行りの”おわらい”には興味を感じない。
 このせつ、落語とか漫才とか曲芸などの、伝統的な座敷芸がブームなのかどうかは知らないが、あちこちの劇場とか何々ホールといった所には、誰々独演会とか何人会とかの、宣伝ちらし(主に落語だが)が沢山置いてある。それも、1か月先なんかじゃなくて3~4か月先のものまでが置いてある。出演する人は健康管理が大変だろうと思う。天気は仕方がないけど、体調は自分だけでしか管理できないのだから責任重大だ。もちろん見る方だって、高いお金を払って入場券を買うんだから、それなりの注意はするものだけど。それに年寄りは肝心の日時を忘れることがあるからご用心が肝要だと思う。 

 


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