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  Happy Birthday !

  掲載投稿集
 
  

Happy Birthday !

  10月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

今月のお誕生会員 : 高木 徹雄 さん  関戸 芳二 さん  袖山 公平 さん

(バックナンバーは こちら を、また投稿者一覧は こちら をクリックして、ご覧ください。)



    
1. 高木 徹雄 さん  (10月1日生まれ)

 近況報告・・・元気でいます


お孫さんから喜寿(筆者)と
古希(奥様)のお祝い
  k-unetの会員のみなさま方におかれましては、ご健勝でお過ごしのことと拝察いたしお喜び申しあげます。 早いもので、私もこの10月に喜寿を迎えました。
  KDDでは主に経理部勤務、KDD開発に出向、その後成田の日本空港無線サービス(株)に出向・転籍し、平成12年末で同社を退職、以後は自由気ままな毎日です。
  退職当時は、小さな家庭菜園でも耕しながら「晴耕雨読」の毎日を夢見ていましたが、適当な耕地もなく、また生来のなまけ癖がでて早々と「晴耕」は放棄してしまい、現在は、15年間にわたって関わってきた町会運営からも完全に手を引き、週4~5日のテニス、年20回前後のゴルフ、毎日の新聞の熟読、TV(主にスポーツ観戦、報道、健康番組)鑑賞、週1回の健康麻雀、年数回の国内外旅行、たまの囲碁や映画鑑賞と遊びに忙しい毎日を送っています。
  健康面では、平成16年2月に心筋梗塞を発症し冠動脈にステントを2本入れる手術を受けました。 発症から病院に行くまでの時間が短かったため、幸い心臓への後遺症がほとんどなく医師からは運動制限を受けていません。 最近では、人間ドックの度に加齢を原因とした定期的な検診箇所が増え、今では異常のない部位を探す方が早くなり「病自慢」「多病息災」を自負しながら、この年齢でこれだけの遊びができることに感謝しています。
  ところで、話は全く変わりますが、最近公証人役場における「遺言公正証書」の作成の経験をしましたので、みなさまのご参考になればと思い、この場をお借りしてここにその要約を記すことにいたしました。 ご存知のとおり、遺言書には「自筆による遺言書」と公証人役場で作成してもらう「遺言公正証書」があります。 昨年末、妻の義姉から遺言公正証書を作りたいので協力して欲しいとの要請があり、いろいろ考えた末、これも経験の一つと考え引き受けることにしました。 義姉は、親、配偶者、子、兄弟姉妹、甥姪等の法定相続人が全くいないため、遺言書により相続方法を決めておかないと、遺産は国に収納されてしまうことを懸念したようです。

1.公証人との事前打ち合わせ
遺贈者(遺言者・義姉)を同行し、遺言執行者(私)と公証人役場に赴きます。 公証人からは、遺贈者に遺言書作成の意思及び受遺者(遺産を受け取る人・法人)を確認し、さらに遺言執行者に引き受けの意思の確認をされます。 そして遺言書の作成に必要な書類を用意するよう指示されます。
2.必要書類集め等
・遺贈者の住民票、印鑑証明書、不動産の全部事項証明書(登記簿謄本)、遺贈対象の預金通帳の写し
・受遺者の住民票(法人の場合は、履歴事項全部証明書または登記簿謄本)
・遺言執行者の住民票及び印鑑証明書
・証人2名指名(適任者がいなかったので、有料で公証人に紹介していただきました。)

      誕生花: 萩(ハギ)
      花言葉: 思案、想い

3.公正遺言証書の作成
上記2の書類を揃え、指定日時に遺贈者と共に実印を持って公証人役場へ赴きます。 公正遺言証書の作成は、公証人と遺贈者の相対で当たります。 作成中は遺言執行者も付き添いはできません。
公証人の話では、相対で作成するのは「遺贈者が正常な判断ができる状態であるかどうか判断すること。」と「付添人の圧力を排除する。」ためだそうです。
公正遺言証書の書式は、標準化されているようで、証書(証人の署名押印済)が出来あがりますと遺言執行者が呼ばれ、証書の内容の確認後、正本に署名押印します。 その後、正本が遺贈者に副本は公証人役場で保管され、遺言執行者には謄本が交付されます。
作成にかかった時間は、2時間程度でした。
また、証書作成に要した費用は、国が定めた基準(受遺者数と遺贈額により算出)に基づき算出されますが思いのほか安く上がりました。
4.感想等

・事前に行政書士の方に公正遺言証書の作成は、大変な手間がかかると聞いていましたが、実際にやってみますと公証人も親切丁寧で、書類さえ揃えれば簡単に作成出来ることが分かりました。

・証書作成後公証人から、公正遺言証書を作成した人は平均寿命が4年半延びているデータあることや、遺言書に記載された遺贈額に固執することなく、手持ち資産は生きているうちに有効に使用した方が良い旨のお話がありました。 ・公正遺言証書を作成する人は年々増加し、昨年は110,776人の方が作成したとの新聞報道がありました。




    
2. 関戸 芳二 さん  (10月15日生まれ)

 ロンドンと沖縄

  16年過ごしたロンドンを引き払って、岡山での孫たちとの生活が始まリました。 山奥の農家を借りて脱都会生活をしている娘の手助けもありますが、走り回ってきた人生の手を休めて、振り返る機会にしたいという思いです。 そうは言いながら、あばら家の手入れと3人のやんちゃボーイズの世話は結構時間がかかり、時々自転車に乗ったりしているとなかなか振り返る時間がありません。 ご無沙汰しているKDDの皆様へのごあいさつはもう少し落ち着いたら、また改めてしたいと思っています。

  私の今は、KDD最後の転勤先が沖縄だったことが幸いしています。 4年3カ月の赴任で沖縄のことは知り尽くしました。 米軍基地もフリーパスだったので、沖縄の人以上に沖縄の全てを知りうることになりました。 泳ぎに自転車、ランニングとダイビング、トローリングにパラグライダーとアウトドアライフを満喫し尽くしました。
  そして転職後ロンドンに赴任、早めの定年退職で単身定年生活をロンドンで過ごすことにしましたが、日本人との付き合いでは沖縄が柱になりました。 年に一度はトライアスロン大会参加で沖縄に出かけましたが、沖縄赴任中は全くしていなかった沖縄の文化、三線の演奏とエイサーの踊りに食い込みました。 7年前から毎年6月に沖縄デーをロンドンで開催しています。  2年前にはエイサーの大会にロンドンから沖縄に遠征しました。 そんな活動が認められて、5年に一度開催される世界の沖縄系移住者の大会に合わせて、沖縄県庁から沖縄民間大使に認証されました。 10月末の世界ウチナーンチュ大会に参加する予定で、10月は1カ月沖縄に滞在します。 今年の誕生日は沖縄です。

  
      誕生花: 秋明菊
      花言葉: 忍耐




    
3. 袖山 公平 さん  (10月26日生まれ)



    誕生花: 銀杏(イチョウ)
    花言葉: 鎮魂、長寿

  ここ栃木県鹿沼の地から長年電車通勤で都内の職場まで毎日通ってきた東京でのサラリーマン人生を卒業してから早くも10年が過ぎようとしています。 東京勤めの時代は、毎朝5時半に起床し、日光線と東北新幹線を使い、都内の職場で仕事をして、夜9時ごろ帰宅する生活が当たり前であり、何の苦痛も感じていませんでした。 しかし、現在では、年にたかが数回の東京や横浜にお出掛けとなると、前日から心配で、何を着ていこうかなとか、帰りの新幹線を乗り越さないようにするには、どうしたら良いかとかで、大変な精神的な負担になってしまいます。
  さて、最近の生活ですが、約10年間程度、近所の畑を70坪ほどお借りして、野菜や草花を作っていましたが、少し興味が薄れてきたので昨年で止めてしまいました。 そして、それに代わるものとして、NPO法人等が主催する植樹や公園清掃等のボランティア活動とか、オカリナやキーボード等の器楽演奏に興味が移って参りました。
「渋谷エレクトーン・シティー」での演奏
  ボランティア活動では、昨年に引き続いて、今年も宮城県岩沼市の海岸での「千年希望の丘植樹祭」に参加しました。 この岩沼海岸は、東日本大震災の大津波の被災地でもあり、最近、再構築された防潮堤の法面への植林事業が現地のNPO法人により推進されております。 更に、植樹ボランティア活動に関しては、栃木県足尾銅山跡地の山や丘を緑の森に戻そうとする運動が10数年前から展開されており、小生も年に2回ほど足尾での植林活動に参加しております。 今では、足尾の山を訪れる度に、以前に植樹した、樫や椚の樹々が青々とした枝葉を伸ばした元気な姿に育っているのを見て幸せを感じております。
  そして、残りのオカリナとかキーボードの器楽演奏に関してですが、小生は、音楽にはさほど興味も無く、もちろん才能もありません。 今、思い起こせば、小学校の時代、せいぜい、カスタネットやハーモニカ程度の楽器を友達と一緒に楽しんだ程度でした。 しかし、ここ数年、地域の年配の方々との集まりで、オカリナ、デスクベル、ハンドベル、キーボード、オルガン、ピアノなどの楽器に触れる機会が多くなり、最近では、下手の横好きで填まっています。 




 
  

Happy Birthday !

  9月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

今月のお誕生会員: 望月 さち子 さん

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  望月 さち子 さん  (9月7日 生まれ)

 ドレスコード

  「ドレスコード」という言葉をおぼえたのは、若かりし頃、女性週刊誌を読んだ時だった。 なんでも宮中晩餐会の招待状には、着て行く服装に関して「ホワイトタイ」だとか「ブラックタイ」だとかの指定か書いてある、ということであった。  男性の服装で女性の服装もそれにつれて決まるので、イブニングドレスだとか訪問着だとか、書かれていなくても、当然わかるのだそうだ。 それは、ヨーロッパの王室や貴族社会のパーティーの習慣に倣ったものだ、ということだった。
  ところが、である。 数年前、習い始めた、隣町のハープ教室の発表会で、経営者の女性社長からの通達に、「ドレスコード:演奏会にふさわしいもの。 ロングスカート等。 ジーンズ厳禁」と書いてあった。 へえ、こんなところに「ドレスコード」などという単語を使うのか、と妙に感心した。 さすが、「斬新な言葉の選び方!」と、若手起業家の成功の秘訣をかいま見たたような気がした。
  まあ、モノの本には「dress code: 服装規定」とあり、ドレスすなわち衣服の規則なのだから、間違った使い方ではないけれど、たかが素人のピアノや楽器の発表会に「ドレスコード」などと仰々しい、というか、でもちょっと「おしゃれ」。 今までにも、発表会なるものは色々経験しているが、「ドレスコード」などとは言わず、単に「当日の服装」とだけ書くか、言わずもがなで特にコメントはないか、さもなければ「平服で」とか「特に華美にする必要はありません」とか、その時の先生なりの注意書きが書かれていた。
  ところが、である。 先日、或る"ちょっと高めのレストラン"の宣伝ビラに「サマー・フェス ドレスコード:ゆかた」と書かれていた。 これには、友人が少々アタマにきて、「ゆかたなんぞはお風呂上りの寝間着みたいなモンじゃない? レストランのドレスコードなんかにするものではないわよぉ。」と、のたまわった。
  むかし、中野サンプラザの最上階のレストランでポロシャツにゴム草履で入ろうとしたら、マネージャーがやって来て「上着をお貸ししましょうか?」と言われたと、中学校時代の「シティ・ボーイ」を自任する男子たちが、嘲(わら)いながら話していたっけ。
  人前に出る時どんな服装をするか、は誰も気にすることだ。 歌舞伎に行くときは、和服を着た方が良いような気がする。 だけど、逆にイキがって、こんなことは慣れている、とばかりに、ジーパンで行ってみたり?オペラでは?コンサートでは?バレエでは?でも地元の文化会館で、午後のコンサートだったら、やっぱり普段着?
  先日、東話局時代の友人S嬢(特に名を秘す)と箱根に行った。 アジサイを見て、ウォーキングをして、美術館に行く、という予定で、彼女から「ウォーキング・シューズとパンツルック。 でもホテルでお食事が出来るように」と言われ、まあ、彼女に許される程度の服装にして行った。

      誕生花: ハマナス
      花言葉: 香り豊か

  まず、昼食を美術館併設のレストランでとった。 それからゆっくり絵をみて、近くのホテルでお茶をした。 それから、そのホテルの庭づたいに下って行けば隣のミニ博物館に行け、その先にバス停がある、というので、どれどれ、木立ちの中の小道を行ったところ、何と、境界の門が閉まっているではないか。 ええっ、戻るとなると、今来た山道を15分も登らなければならないじゃない!「これは、門を飛び越えるしか手はないわァ」と、私は唐草模様の鋳物製門扉をよじ登り、反対側にピョンと飛び降りた。 そしてS嬢に、「貴方もこうやればいいから」と言うと、しぶる彼女も、おそるおそる門扉の唐草模様に、ひと足、ふた足と足をかけたのだが、「ダメ、ダメ、こわい」「私はダメ」という。 「だいじょうぶ、ここに足を乗せて、こちら側にピョンと降りるのよ」とせかすのだが、S嬢はブルブルふるえるばかり。 S嬢が、「どうしても、ダメー。」と言うので、ついに、この「門扉飛び越え作戦」は断念することになった。 仕方なく、私たちは、もと来た道を、えっこら、さっこらと、フーフー言いながら登り、別のバス停に向かった。 しかし、あれは、68歳のバアサンがやることじゃないわねえ、と、あとで、反省した。
  さて、発表会である。 ハープである。 取り敢えず、40年前に作ったロングドレスを出してみたけれど、ウエストはキュウキュウ、腕のスナップはハマらず、背中のチャックは上げようにも上がらず。 でも、そんなことで、くじけてはいられない。 脇のダーツを開いて、両脇の縫い代をギリギリに広げて、腕のスナップの位置をずらして、どうにか作り直し、体を入れ込んだ。
  あれから、数年。 今年も発表会がやって来た。 今年の曲は「美しく青きドナウ」。 さあ、青いドレスを着るぞ。 演奏の出来なんかは、二の次だ。 でも、長い裾が足にからんで、ステージで、スッころんで、ハープまでたどりつけないかも!!!??? 

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+  会員の皆様から一言 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+

    ドレスコード 山本 勝美 2016/09/26 11:32:03  

望月さん、
ドレスコードにかかわる一文を、楽しく拝読いたしました。
本来、ドレスコードは社交界で使われてきたもののようですが、例挙されていますように下々の世界でも使われるようになってきました。私の趣味のアマチュア無線の会合などでも、ドレスコードはカジュアルだとかスマート・カジュアルだとか、使っています。ほかにも、ビジネス・アタイアというのもありましたかね。
要するに、会合などで極端にほかの参加者と異ならないようにする目安だと受け取っています。
私の解釈では:
  カジュアル: Tシャツ、ショートパンツもOKだが、一般的にはポロシャツに長ズボン
  スマート・カジュアル: ネクタイはなくてもよいが、シャツにジャケット。
  ビジネス・アタイア: スーツにネクタイ着用。
これよりハイソなものには縁がありませんので、私が知るのはここまでです。
もし、間違いに気づかれた方は、ご教示ください。
山本勝美




 
  

Happy Birthday !

  8月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

     今月のお誕生会員 : 大湾 勇 さん

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  大湾 勇 さん (8月25日 生まれ)

 健康と趣味


    誕生花: アンスリウム(白)
    花言葉: 熱心

  今月の8月25日で73歳になります。 昭和37年にKDDに就職させて頂き、定年までの長きに渡って本当に沢山の先輩同僚後輩にお世話になりました。 まだこの私をご記憶下さる方も沢山居られると思います。 その節はお世話になりました。 ひょっとしたらみなさんもそうであったかと思いますが、私も怪我、病気を乗り越えて今の健康を得て毎日楽しく過ごしています。
  今夢中になっているのがゴルフ。 年齢以下のスコアで回るエージシュートを達成することが夢のまた夢で,健康な今でこそ、と叶わぬ夢に向かって頑張っています。 もう一つは邦楽です。 神戸垂水社宅から小野受信所に通っていた頃に,社宅近くの文化教室の尺八教室を見学させてもらった事が、40年以上も飽きることなく続いている趣味との出会いでした。
独奏会 H18.10.1
実力はさておいて、努力が認められたのか都山流尺八の大師範の資格を得ることが出来ました。
  今はデイサービスの民謡伴奏や、地域の余興依頼でカラオケをバックに演歌を吹いたり、先日もある施設への応援依頼で、詩吟の伴奏もさせてもらいました。 まだまだどれを取っても満足のいくものはなく日々勉強中です。 この投稿を期に私を思い出して頂き、趣味を通してまたご交遊頂ければ嬉しく思います。


NHK大阪ホールにて H27.11.23  (後列左から3人目が筆者)





 
  

Happy Birthday !

  7月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

今月のお誕生会員: 伊藤 叔夫 さん   天沼 松次郎 さん

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1. 伊藤 叔夫 さん (7月1日 生まれ)

 新潟県が輩出した3人の偉人とは?

  「マスターズゴルフのTV生中継」、「タイッタニック号の遭難信号と(船舶)無線通信規則」この二つのテーマは、3年間の私の直江津海底線中継所赴任中(1991~1994)に、直江津ロータリクラブで行った講話(ロータリー用語では、卓話と云う)です。 直江津ロータリークラブは、当時54名のロータリーアンが在籍しており、本来の市域での社会奉仕活動以外に、ロータリアン同志の知識向上のため、各人が1年に1回のそれぞれの専門の知識等を披露しておりました。 
  私の前記のテーマは、KDDのプロバガンダ的な内容ではありますが、KDDの社会的役割である国際通信の業務について、上越市地域の人々に理解してもらうことにありました。 私以前に赴任したKDDの諸先輩の方々もテーマが違うもののこのような内容の卓話をされたと思います。
  さて、3年目にして、卓話の順番が再度廻ってきました。 これまでで、ほぼ、KDDの社会的存在について、理解いただけたものと思い、それ以外の興味の湧くお話をしたいと考えました。 当時の中継所の図書室には、郷土の歴史物・神話等の本が沢山あり、テーマとなる素材がないか探りました。 そして、郵便の父・前島密に関する書籍を見い出しました。 これとは別に、米どころの新潟県には、おいしいお酒の代表として、銘酒三杯(峰の白梅、越乃寒梅、雪中梅)があり、日本全国に知れ渡っています。
  この三杯にちなんで、新潟県が輩出した三人の偉人をテーマとすることに決めました。 明治初期の日本の文明開化を推進した前島密は、偉人の一人として欠かせない存在であり、それ以外の偉人たる人を模索しました。 直江津の山城である春日山城を構築し越後の国を治めた上杉謙信がすぐに思いつきましたが、戦国の武将は、偉人としてなじまないので除外しました。 散々模索したあげくに、ようやく、山本五十六、及び、田中角栄が浮かび上がりました。 k-unetの皆様なら、この三人についてはどなたもご存じと思いますが、後段に参考として前島密の履歴のみを紹介します。

     誕生花: ポピー(白)
     花言葉: 気高い精神

  さて、早速、3回目の卓話に於いて、「新潟県が輩出した三人の偉人とは?」をテーマに、日本国家の文明開化、日本人として誇れる賢人、そして、日本列島改造と地方経済の活性化を推進した人はどなたでしょうかという謎解きを知識豊富な方々53名のロータリアンに問うたところ、真っ先に、田中角栄先生という名が挙がりました。 そして、しばらく論議した結果、前島密が挙げられましたが、山本五十六という名は最後まで挙がらずじまいでした。 そこで、私の方から、山本五十六では如何でしょうかと申し上げました。 元帥・海軍大将の山本五十六は、日米開戦はけっしてすべきではないと強く政府に進言しましたがままならず、不本意ながら、当時の政府の命を引き受け、連合艦隊司令長官として現場の指揮をとることとなり、第二次世界大戦の口火をとなる、ハワイ・オワフ島真珠湾の奇襲攻撃に多大なる成果を挙げるに至りました。 この鋭い先見性とひとたび意に決すれば用意周到な戦略で立ち向かう山本五十六の行動と成果に、国民の多くは、絶賛し、今でいうレジェンド呼ばれる扱いであったようです。 この賢人を偉人の一人として残せないのではないかと提起しました。
  ロータリメンバーの方々からは、この3人に括られた偉人については、賛同の意が示されました。 そして、我々県民として、自ら新潟県の偉人ということを述べるのは厚かましい思いであり、県外の方からの推奨されることであれば、まことに喜ばしいことです。 今日は、新潟県人として誇れる内容の卓話を戴きましたとのお言葉がありました。

(参考)
  郵便の父と云われる前島密(1835~1919)は、上越市(直江津市と高田市が合併して上越市となった)郊外に出生し、6歳で上京し、勉学に努め、蘭学・英語、及び航海術等を学び、その後、日本文明開化と改革を推進した官僚として知られる。
  唐を通じて鎌倉時代位から始まったといわれる飛脚制度は、800年弱続 いたが、信書の違いや、距離別の料金をとっていたものを、日本全国のどの区間であっても一律の料金として、あまねく公平に扱う郵便制度を明治4年を設立し、この先導的役割と改革を実現させた。 これによって、飛脚に携わる人々の失業を与儀なくされることから、この人達のために荷物運搬業である、現在の日本通運の前身の内国通運会社を設立させた。 
  また、明治21年、官立による国内電話交換業務の創立を行った。 その他に、ひらがなの普及を始めとする教育、鉄道の敷設等を推進した。



    
2. 天沼 松次郎 さん (7月18日 生まれ)

 少年たちと平和

  小学校の教室での給食の時間、向かいの子から「おじさん、西暦で何年の生まれですか? 昭和では分からないの」と質問がとぶ。 このクラスの子たちに前日、2校時の座学で「地元の歴史・旧:東海道物語」の講話をして、今日はその校外学習のガイドとして町内を通る旧東海道を3時間一緒に歩いてきたのです。 校長から「子どもたちと給食をご一緒にどうぞ」と誘われての食事中。 「1931年。 語呂あわせで、イクサハジマルとおぼえたの」。 するとしばらくしていっせいに「エー」と驚きのこえが。 「わたしが生まれたのが昭和6年7月、その二ヶ月後、満州事変がはじまり、この国は15年も戦争をしてきたんですよ」。 ここ数年、この小学校で「地域の歴史」を特別講師として語ってこの子たちの6年間の成長を見つめてきました。 昨年、この子たちが小学校卒業をひかえた3月、「感謝の会」への招待状が届いた。 両親や保護者への感謝と地元のボランティアを招いての6年間の感謝をこめたつどいです。 3・11の翌日から、思うことあって子どもたちの登校時の見守りの緑のおじさんを志願して交通安全を5年間つづけてきました。 こどもたちの成長への思いがこもります。 プログラムが進んだフィナーレに「ドラマ」。 シナリオをクラスの全員が一ヶ月かけて仕上げた群読というスタイル。 全員のセリフのある劇です。

  誕生花: モスローズ(コケバラ)
  花言葉: 尊敬、崇拝

  「今年は、終戦から70年になります。 二度と戦争をおこさないという誓いは、今も受けつがれているはずです。 『平和について考えよう、12歳の平和宣言』"はじまり、はじまり"」。 すじみちは、縄文時代からの人類の争いから語り始め、たべものの争奪、土地をめぐる争い、戦国時代、そして近代の戦争、70年前の空襲の恐ろしさへとドラマがすすむ。 5月29日の横浜大空襲、市民の二人に一人は被害にあったと。 楠の木の下で赤ちゃんが母親に抱かれて死んだ。 戦争は、なんて悲しいんだろう。 僕たちは二度と戦争への道を歩まない。 たとえ、非国民と呼ばれても戦争に反対し続ける!!」とむすぶ。 会場からは大きな拍手が鳴りやまない。 若いお母さんたちも感動したのだろうハンカチに手にしていた。 「ちょっと感想を述べさせてもらっていいかな?」と司会者に許しをもらい立ち上がった。 「70年前,私はみなさんと同じ年齢でした。
小学校での歴史の講義
 恐ろしいアメリカの艦載機の機銃掃射を体験しました。 3月10日には東京大空襲でたくさんの人が亡くなりました。 いま、あなたたちのセリフに当時を思い出し感動しました。 日本人300万人が亡くなり、1,300万人のアジアの人々の犠牲のうえに日本国憲法が生まれ、9条で戦争をしないと誓っているのです。 いまそれが危なくなっているのはみなさんと同じ思いです。 この不戦の思いを皆さんとこれからも共有し,二度と恐ろしく、みじめな戦争は起こさないようにがんばりましょう。 素晴らしドラマでした。 ありがとう」。 控えめながら教師もふくめ会場から大きな拍手があり、わたしは子どもたちの代表と握手する。
  まもなく日本の命運がかかった歴史的な選挙がはじまる。 85年、生きてきた証しの誕生日がハッピーであるか、楽しみにしながらわたしもがんばろう。




 
  

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     今月のお誕生会員 : 長谷川 光男 さん  衣畑 晃治 さん

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1. 長谷川 光男 さん (6月24日生まれ)







    
2. 衣畑 晃治 さん (6月24日生まれ)

 気になる日本語アクセント

  日本語のアクセントがおかしい。
  どの音節にもアクセントをつけずに平坦に発音するケースである。 たとえば、一時話題になった"彼氏"である。
  問題をはっきりさせるために、"彼氏"をローマ字で karesi と書いてみよう。 普通は太字部分 ka にアクセントを置き、karesi と発音するものである。 それをアクセント抜きで、だらりと流すのである。
  元は外来語で "表"を意味するリスト "list" であるが、これを risuto とアクセント無しに発音する輩がいる。 聴くたびに risuto だろうと声を荒げたくなる。 

  枚挙にいとまがないが、不愉快なアクセント抜き外来語発音の例を挙げてみよう。 

外来語あるべきアクセント英語標記
クラブkurabuclub
ラインrainline
データdehtadata
ドラマdoramadrama
スペースsupehsuspace
キャストkyasutocast
 ミュージシャン myuhjisyan musician 

  よく日本人は英語発音が下手だと言われる。
  私はその原因の一つは外来語の日本語表記にあると思う。 日本語の音節には必ず母音が伴うので、英語を日本語で表記すると発音が変わる。 例えば、Google である。 カタカナで表すとグーグル、小学校で習うローマ字表記では Guhguru と原語にはない母音が音節ごとに現れる。 これが奇妙なアクセント抜きの日本語発音を生む原因となる。
     誕生花: グラジオラス
     花言葉: 堅固、勝利

  どんな言葉もアクセントの位置は重要な意味を持つ。 本来の日本語でも、地方によってアクセントの位置は変わる。 原語のアクセントを考慮して日本語を話すのは面倒である。 それで手抜きした結果がアクセント抜きの外来語である。 NHK の TVアナウンサーもこの種の手抜きをやっている。
  アクセント抜きの外来語が次の重要なステップ、原語の正しいイントネーションに繋がることはあり得ない。 アクセント抜きのカタカナ外来語を排除しない限り、正しい英語を会得することはますます難しい。


+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+  会員の皆様から一言 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+

衣畑さんに同感                                     楳本 龍夫 2016/06/03 21:39:18

日本語のアクセントがおかしくなり、声を荒げたくなるとのご指摘、共感をもって読ませていただきました。
これは「アクセントの平板化」というそうです。この平板化について、国立国語研究所のホームページに面白い記事が掲載されていました。
要約すると、平板化は、記憶の負担や発音の労力の軽減のために起こるのだそうです。「サーファー」「モデル」「バイク」など、外来語について最初に平板化が起こるのは、その単語を普段からよく使う人たちの間であり,その分野によく通じていることの目印になって、専門家の一員であることをアピールするために平板化アクセントで話すようになるということのようです。平板化アクセントは「専門家アクセント」と指摘する人もいるそうです。   http://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/kokken_mado/09/04/
私たちがこれを聴いて違和感を覚えるのは、専門家でも何でもない者がマネをしてあたかも専門家や業界人のように喋り始めたからなのかもしれません。





 
  

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今月のお誕生会員: 楳本 龍夫 さん   横山 邦夫 さん

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1. 楳本 龍夫 さん (5月7日生まれ)

 私の趣味

  私の趣味の話をしてみたいと思います。 私の誕生日は5月7日(1952年)です。 ブラームス(1833年)とチャイコフスキー(1840年)が同じ誕生日です。 第一の趣味は音楽。
  まずは、その話から。 実は中学生になる頃までは歌舞音曲の類は大嫌いでしたが、中学生のときに父親が買ってきたベートーヴェンの第5交響曲のレコードが運命を変えました。 学校で習う音楽とは質の違う世界で、これをきっかけに暇さえあれば音楽を聴くようになりました。
  大学ではクラブ活動でオーケストラに入り、ヴァイオリンを始めました。 まったくの初心者でしたが、日本でも最古参のアマチュアオーケストラということもあり、それなりのノウハウがあって、初心者でも難なく参加できました。 音階練習もそこそこにいきなりベートーヴェンの交響曲で演奏会に出演しました。 本人は第2ヴァイオリンのパートを弾いているつもりですが、いずれのパートにもない音を出すので、第3ヴァイオリンと自称していました。 アマチュアオーケストラ特有の音色は、この第3ヴァイオリンの存在が原因していると確信しています。素人楽団の演奏を聴くコツは、個人の音が聞こえなくなる、出来るだけ後ろの席に陣取って、集団の音として聴くことです。 名曲は誰が演奏しても一定水準の音楽になり得ると自分勝手な解釈で感銘を受けるなど、音楽を内側から鑑賞することができたと思います。

     誕生花: 薔薇(ローズ)
     花言葉: 美、感銘

  KDDに入社して保土ヶ谷寮に入りましたが、休日にヴァイオリンを弾いていると、何か変な音がするという人がいて(強いて名前は挙げませんが)、あれは何だろうと私に尋ねてくるし、当時ピアノ殺人なども起きていたご時世で、身の安全のためそのまま弾かなくなりました。 その後は専ら鑑賞で音楽に接しています。 私の所属したデータ通信部門には、オーディオが趣味の先輩方がおられたのですが、財力の違いもあり、あまり影響を受けることもなく、「音楽」を聴くことに専念してきました。
  そのうち、アナログからディジタルに時代が変化しましたが、最初はレコードがCDに変わったくらいでそれなりの財力が必要なのは相変わらずでした。 ところが、インターネットの登場でたいていの曲がタダで、しかもまともな音質で聴くことができるようになってきました。 往年の名演奏の録音などは著作権切れのパブリックドメインで聴き放題の状態になっており、これらはダウンロードしても違法性はないと思われます。 ただし、レコードやCDの場合は自分のコレクションとして所蔵する必要がありましたが、ネットを通していつでも好きな曲にアクセスできるので、自分で所蔵する意味も必要もなくなってきていると言えます。
  これによって聴き方が随分と変わってきました。 ハイドンの100曲以上の交響曲や200曲もあるバッハのカンタータを全部聴いてみるというようなことが簡単にできるようになりました。 しかも電車の中でスマホからのネットアクセスにより聴くということも可能です。最近は専らこのような隠れた名曲探しをしています。
  ところで、同じ誕生日のブラームスとチャイコフスキーですが、少し思い入れがあり、聴くだけではなく日々尊顔を拝したいと部屋にポスターを貼っていたのですが、それだけではつまらなくなり、古いレコードのジャケットを模写して油彩画にし、玄関に飾りました。
  次の趣味の話題に移ります。 KDDと他社との合併話が出始めた頃、突然、絵を書き始めました。 絵については、昔から自信はあった(!)のですが、道具を揃えるのが面倒なので、はじめのうちは息子の水彩絵の具を借用して描いていました。 当時、法人営業の担当で、一緒に出張で出かけたお客様に現地で描いた水彩画を進呈して随分と喜ばれた(これが客離れを誘発した?)ものです。
  そんなある時、近所のフリマで油絵セットを見つけ、安く買い叩いて入手し、本格的に油彩を描き始めました。 出張の折、パリの美術館で見たバルビゾン派の画家であるドービニーの絵が気に入ったのですが、オルセーに飾ってある絵は手に入れる訳にはいかないので、それなら同じものを描いてしまえばいいと、絵はがきを見て製作したのが左の絵です(実物は こちら )。 私自身は模写のつもりですが、贋作と言って非難する人もいます。 贋作というにはもう少し技術が必要だと思うので、非難される筋合いはないと思います。
  もちろんオリジナルの絵も描きます。 しかし、美術が好きといっても才能には限界があるわけで、見たままをそれらしく描けばいい写実主義を貫いています。 右の絵は山口のかつて宮島社宅があった近くの鰐石橋という橋を描いたものです。
  それから、最後に是非書いておかなくてはという話がひとつ。 贋作とオリジナルの絵を取り混ぜて、私個人のホームページに掲載しているのですが、それを見た見も知らぬ人から突然、バルセロナの写真を油彩画にしてくれないかというメールが届き、数日後に写真を同封して4万円が送ってきたのです。 写実主義者としてはこれを受けないわけにはいかないと12号キャンバスを仕入れて2週間ほどで仕上げ、1か月後に左の絵を送って差し上げ、たいへん感謝されました(と信じています)。 つまり請負とはいえ1枚が売れたわけで、これの意味するところは、生前に1枚だけが売れたゴッホに追いついたということ。 以後、ゴッホを超えては失礼にあたりますので、展覧会の類に出品することや、絵と引き換えに金品をいただくのは差し控えています。
  そして、最近はホームページ作りが私の趣味に仲間入りをしています。 この趣味はk-unetの会員の方々がホームページにアクセスする度に否応なくお付き合いいただく羽目になっていて、たいへんご迷惑をおかけしていますが、ご容赦いただければと思います。



    
2. 横山 邦夫 さん (5月12日生まれ)

 近況報告

  昭和36年4月入社、平成10年3月に退社しました。 主な職歴は、東京電報、新橋、東京電話、運用部電話課、東京電話、総務部総務課、小山通信センターで、退職して早や18年。
  最近の近況(胆管癌手術の体験)をお知らせしたいと思います。 多少なりとも参考になれば幸いです。 今回の手術のきっかけは、今思うと、2009年2月末からの南米四か国18日間旅行から帰国後、数ヶ月ほど体調不良が続き、秋口に地元のJAとりで総合医療センターで人間ドックを受診したところ肝臓の数値(ガンマーGT)が500超である事等が判明した時から始まったように思います。 (2006年迄のガンマーGT値は40前後、2007年は110、2008年は未検査、正常値≦70)
  さっそく同センターの肝臓内科で、エコー、CT、MRI検査を受診したところ、数値異常が認められるものの、他に特に異常が判明される事もなく約3年の間、定期的に採血、エコー、CT、MRI 検査を繰り返し受けておりました。 この間「ガンマーGT値」のみが500→600→700→800→900と確実に増えて来ても、医師は高値安定(?) なので特に心配する必要は無いとの診断が続きました。
  2012年8月から妻の主治医(東京慈恵会医科大学病院耳鼻咽喉科)の紹介で、同医大の肝臓内科で診察を受けるようになりました。 慈恵医大では採血、エコー、CT、MRI検査の他、毎食後2錠のウルソ錠( 胆汁の流れを良くする)の投薬、アルコールの完全禁止(ノンアルコール類も)とトマトジュースを除くジュース類も強く禁止を指示されました。 その結果? 肝臓の数値(ガンマーGT)は一気に400前後に下がりましたが、その後は大きな変化もなく病名もはっきり しませんでしたが、2013年12月の診察で、ようやく病名が判明,「原発性硬化性胆管炎」でほぼ間違いないでしょうとの診断が下されました。

     誕生花: 躑躅(つつじ)
     花言葉: 節度、慎み

  この病名は非常に珍しいもので、『全国でも1,200人程度しか患者数がおらず、いずれは、 脂肪肝→肝炎→肝硬変→肝臓癌 へと遷移する事が予測されるので、これからも「採血、エコー、CT、MRI検査」を定期的に行い注意深く診て行くことが必要となります。 しかし今の時点では脂肪肝、肝炎、肝硬変、肝臓癌の兆しは全くないので心配はありません』との事でした。
  2014年2月に入り、娘の知り合いの慶應義塾大学病院肝臓外科助教の先生に診てもらう様になりました。 慶應病院でも肝臓のエコー、CT、MRI 検査を受けましたが、この時点では慈恵医大の診立て「原発性硬化性胆管炎」と同じでした。 3月に入り、慶應病院としては更なる検査として PET-CT 検査を受ける事を奨めたいとの提案があり、受ける事となりました。 (慈恵医大にはPET-CT 検査用設備無し)
PET-CT検査は、ブドウ糖に近い成分の検査薬を体内に注射した上で PET&CT撮影をするものでしたが、その結果、肝臓に2ヵ所「光」が映し出され、ガンであることが判明、手術を受ける事となりました。 手術を受ける事となった3月後半以降は、検査入院を含め連日のように、全身麻酔に耐えられる体力、気力、忍耐力を有しているか、また心臓を始めとする各種臓器の正常性を見極めるため、集中的にエコー、CT、MRI、内視鏡等の検査を受ける事になりました。
全ての検査終了後は、病院側の手術体制(肝臓移植手術の様な最優先手術の予定のない日程等)が整った2014年5月末に本入院の運びとなりました。
  ● 検 査 入院 : 5月6日~10日、検査入院中に大腸ポリープ 2コ摘出
  ● 手 術 入院 : 5月29日~6月14日
  ● 手   術 : 6月2日
          (10時間に及ぶ腹腔鏡による手術、麻酔~麻酔の目覚め迄12時間)
  ● 放射線治療 : 8月中旬~9月末までの平日25日間
          (1日2グレイ、計50グレイの放射線量)
  ● 経 過 観 察: 2014.10~2015,7中旬(3~4ヶ月毎に採血、CT検査ほか)
  ● 抗がん剤治療: 2015.7末~2016.4(現在継続中)
   (通院による3週1クール、治療・治療・休み、治療・治療・休み、の繰り返し)

体力の回復現況
家族旅行(マウナケア山頂にて)
  退院1ヶ月後から再開した、施術前から始めていたラージボール卓球を週3回行っており、昨年7月にはスイスアルプスでのハイキング旅行、本年3月にはハワイ島キラウエア火山トレッキングとマウナケア山星空観光、他 にも行くことができ、今では施術前とほぼ同程度に体力も回復して元気(?)にしております。






 
 
  

Happy Birthday !

  4月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

     今月のお誕生会員: 杉下 勇 さん  二瓶 和義 さん  猪熊 昭男 さん  櫻井 富雄 さん

(バックナンバーは こちら を、また投稿者一覧は こちら をクリックして、ご覧ください。)




    
1. 杉下 勇 さん (4月16日生まれ)

 公との係わり

  早いもので4月16日の誕生日で喜寿を迎える。 KDD本体を離れてから、国際テレコメット、KDD総研に出向後KDDを退職した。 それから、(財)国際通信経済研究所に7年間在職し、64歳になる直前の平成15年3月に当研究所を退職した。 その後は纏まった仕事はなく、気まぐれな生活になったが、公(らしきものを含む)に若干関与したのでそれらを記すこととしたい。

1.足立区のヤングジョブセンター・プロジェクト
 産業カウンセラーとキャリヤ・コンサルタントの資格をとって、心理療法の一つ「認知行動療法」の講座を受講している時、受講者の一人が東京都足立区の計画しているプロジェクト「ヤングジョブセンター」の話を持ってきた。 相談した結果、講師を中心に私も含めた受講者5名が参加することになった。 そして、翌年(平成17年)4月から1年間6人のメンバーがシフトを組んで足立区が用意した施設で、訪ねてくる若者のキャリア・カウンセリングを行った。 一人当たり1時間で、半日最大4人の就業相談を行った。 しかし、このプロジェクトは1年間で終了となった。

2.老人ホーム入居者の話し相手
 最初の話し相手は90歳近い盲目の女性(A子さん)だった。 2週間に1回ホームを訪問することとした。 A子さんは盲目だったが、当初は、耳、口、頭はしっかりしていて、関東大震災や娘さんの一人を養女にした話などをしてくれた。 A子さんよりも1年遅れてB氏(80歳)も話し相手になり、その内、A子さんは他界された。

   誕生花: 斑入りチューリップ
   花言葉: 美しい瞳、思いやり

B氏は特攻隊の生き残りである。 なぜ生き残ったのか。 それは乗る飛行機が無くなったからである。 乗る飛行機を求めてフィリピン、台湾と転戦した話を断片的に聞いてとても面白かったので、「戦歴を纏めてみませんか」と提案しテープに吹き込んでもらうことにした。 学徒出陣、特別攻撃隊員の試験、日本―台湾―フィリピンへの輸送船、フィリピンでの行軍、フィリピンにも飛行機はなく再度バシー海峡を台湾へ、台湾で終戦を迎え、日本へ帰還。 吹き込んでもらったテープを記録するとA4サイズで15ページになった。 すごい記憶力だと感心した。 もし私に文才があれば、この記録を基にして本を出版することができたかもしれない。

3.統計調査員
 これは、八王子市役所に統計調査員の登録をして調査が行われる度に臨時職員として調査を行うものである。 調査は年に1~3回程度。 殆どが総務省統計局によるもので、製造業者を対象とした「工業統計調査」、事業者を対象とした「経済動向調査」等が多い。 最も大がかりなのが、5年に1回行われる全世帯を対象とした「国勢調査」である。 私は11年前に行われた国勢調査から調査を実施し、国勢調査を3度経験した。

4.八王子囲碁連盟の技術顧問
 何ともおこがましい名前である。 10数年前の技術顧問は、若い頃は県代表だったという程の実力者揃いだった。 ところが、これら実力者も歳には勝てず次々と辞めていかれた。 そして、その穴埋めの一人として私も加えられたのである。 技術顧問は、3か月に2回ほど会場である福祉センターで、約30分間大盤解説をしてその後指導碁を3名程実施する。 指導碁は7子~3子の人に対して行う。 「私は技術顧問の資格はあるのか」内心忸怩たる思いを抱きながら「棋力と指導は別問題だ」と自分を励ましながら続けている。 




    
2. 二瓶 和義 さん (4月19日生まれ)

 よくぞご無事で

  喜寿を迎えるにあたり少し振り返ってみたい。 昭和37年に入社し海底線部門に配属された。 山育ちの山猿が何で海の仕事をと思いつつ、それから第二の会社も含めて約50年、何だかんだと海がらみの仕事だった様な気がする。 ケーブルシップの建造も経験し、海底ケーブルの建設、保守、修理に従事した。 船に乗っての仕事で往路と帰路ではマージャンのツキがまったく変わる不思議な事を何回も経験した。 海底ケーブルの陸揚地の選定や陸揚工事も体験した。
  これら海の仕事内容はまさに海方土方的で、仕事仲間も海方土方である。 当然ながらお互いめちゃくちゃな生活でありました。 結果、平成14年の会社生活卒業と同時に体調を崩してしまい胃癌の(内視鏡による)摘出手術を受けた。 早期のためか大事に至らなかったが、これを機に(高血圧の薬を飲みながら)生活習慣を見直す事とした。


    誕生花: 一初(いちはつ)
    花言葉: 使者、知恵

◆さいたま市シニア・ユニバーシテイに進む

◆小学生の登校見守りなど防犯活動に取り組む
  これは10年以上今も続いている

◆「友歩会」に積極的に参加し、ゴルフに励み、ウォーキングを日課とする

◆晴耕雨読というわけでもないが、墨をする事から始める水墨画教室に通う
  これも上達しないながらも、10数年になる

◆酒・タバコはなるべく控える様努力する

裏磐梯
  そして5年前の東日本大震災、わが故郷東北の姿に衝撃を受け、突然禁煙宣言し止めた。 1年後にゴルフを卒業した(飛距離のガタ落ちに耐えきれず)。 残ったのはお酒。 これもまた当然なる結果であるが、メタボ突入一歩手前まで行き、何とかしなきゃの状態である。 大好きな大相撲中継や、これまたはまっている高校野球やプロ野球、駅前居酒屋そして昔仲間との語りと一献などを楽しみ、たまには美術館を巡り、歌謡ショ-に出かけ、水墨画の題材を求めて旅に出たりしている。
  還暦の頃の家族6人生活から、今は妻と2人になった。 幸い子供や孫達は、比較的近くに住んでいるので退屈はしなくてすむ。 目下の夢は、息子、孫と三代で酒を楽しむ事である。頑張らねば。 あと何年? 長いなあ。 ?

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+  会員の皆様から一言 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+

懐かしいね       織間 政美  2016/04/11 20:57:39  

二瓶さんお元気そうで嬉しくなりました。 海中土木ではお世話になりましたね。 年を経て水墨画に到着したようでうらやましい次第です。 私は相変わらず模型飛行機でじゃじゃ馬ぶりを発揮してます。
織間政美




    
3. 猪熊 昭男 さん (4月24日生まれ)

 日々雑感

  1961年(昭和36年)11月に神戸国際電報電話局に臨時配達外務員とし採用され、2004年4月オリックス開発(前身KDDI開発)を退職するまで、家庭の貧困事情はあったにせよ正規の高卒の資格のない小生ごときが、42年余、多くの方々に助けられつつもよくぞ勤めあげられたものと、感慨と感謝で退職した日からはや12年を経過しました。
  退職後はこれといった趣味も無かったため結構退屈するものと思っていたのですが、深い知識は無いもののパソコン、カメラ、撮りためたビデオの簡易編集、はたまた家族のお抱え運転手や雑事に加え、4・5年前からは自身の体調不良による病院通いと、退屈を感じる日々がないほど月日は早く過ぎて行っています。
  とはいえ、拘束されない時間はたっぷりあるゆえ新聞への目を通す時間、テレビ各局のニュースを見る時間は現役当時とは比較にならないほど多くあります。
  それら見聞きする中から、昨今気になっている雑感を羅列してみたいと思います。

◆日本は世界に誇る安全で住みやすい国と言われながらも、殺人事件やモラル低下によると思われる事故がなんと多いことか、そんなニュースが無い日を望むのは絵空事か


◆少子高齢化が進み続ける先に何が起こるのか、為政者や専門家は的確に把握してそれらに対処する術を真剣に取り組んでいるのだろうか


◆膨大な借金を抱えながら身内からの借金だから大丈夫と言われる説もあり、節約や工夫の努力を捨てたごときの毎年増え続ける国の支出予算や、比較的安全とされている円への信頼の不可解さ



    誕生花: ネモフィラ
    花言葉: どこでも成功

◆格差の拡大、母子家庭の年収220万円前後での生活、子供の貧困率の増加、非正規雇用の増大による若者の将来への不安等の解決には何をどうすれば良いのか、知恵は出せないものか


◆国会議員の文書通信交通費(月額100万円)、地方議員の政務調査費(年間240万円前後から500万円超)等にみられる、かなりの数の議員の使い切ろうとする金銭に対するさもしさや、議員以前の人としての資質に問題ある議員への対応策として、議員国家試験を考えてはどうかとの新聞投稿もあった、正に同感なり


◆直近では多摩川河川敷での中1殺人事件にも見える被害者側の救われなさ、どの殺人事件にも複雑な事情はあるにせよ、あまりにも加害者側に軸足を置き過ぎていると思われる裁判判決、これで良いのか憤りを感じる


◆国民全体の増え続ける医療費問題、小生の経験の一例として1時間以上待ち3分前後の医師との会話、請求総額4,830円(10割)この高額さ、それでも医師、病院側には不満有と言われているこの不合理さ、生活保護者等への医療費の無償等は有るにせよ、全体像が見えづらい医療行政、多くの国民が納得出来る制度になるよう知恵を絞ってもらいたいものである


  以上、犬の遠吠えのような雑感になりましたが、何の解決策も持ちえない一庶民として、持病(降圧剤服用(10数年来)、リウマチ治療(発症後5年)など)の不安はあるものの、深刻な難病や明日の生活に追われていない日常をありがたく思いつつ、認知症を始めとする加齢に伴う様々な問題に対して、身内や周辺に可能な限り迷惑をかけないための努力は手を抜かずにと思う日々です。

牛久大仏公園にて




    
4. 櫻井 富雄 さん (4月28日生まれ)

 そ の 後 と 現 況


   誕生花: えにしだ
   花言葉: 豊饒、幸せな家庭

  誕生日で84歳になります。 KDD定年後早や20年を超え、在職中の先輩・同僚・後輩の皆様とお会いすることも少なくなりました。
  退職後も、約十年間、教員やコミュニティーセンターで受付事務の仕事などに就き、その後も、パソコン教室などを地域で主宰しておりました。 残念ながら、昨年9月末日に自転車の転倒事故で骨折をし、約4か月のリハビリテーション入院を余儀なくされ、現在も自宅でリハビリテーションに励んでおります。
能登空港でもらった「蟹」を手に
自宅食堂にて
  20年間、日本全国の観光旅行や数回の外国旅行を楽しみ、それなりに充実した人生を享受して来ました。 また、近場の大学の公開講座なども幾つか受講したりしております。
  近くに在住のKDD退職者にも時々お会いすることもありましたが、近年は少なくなりました。 海老名駅周辺は、東名高速道路の出入りに恵まれ、周辺の開発も進められております。 おついでの折にでもどうぞお寄り下さい。
  では皆様のご健康をお祈りしまして!!









 
  

Happy Birthday !

  3月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

     今月のお誕生会員: 竹中 理 さん  木本 正二 さん  関口 栄 さん  景山 正 さん
                   牛尾 哲久 さん

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1. 竹中  理 さん (3月7日生まれ)

 遠きにありて

  ふるさとのことを少し書いてみます。 「ふるさと」とは、一般的には、物心がついてから学童、生徒と成長していく、言わば感受性豊かな幼少の時期に暮らしていた場所をさしているのでしょう。 しかし、単に地理的な場所だけでなく、当時の自分の周りの家々や、暮らしていた人々、日常の、あるいは四季折々のいろいろな動き、など、要するにスタティックなものとダイナミックなものをひっくるめて立体的にみると、ふるさとという言葉が生きてくると思います。
  組織の束縛を離れ身軽になって、自分中心の生活様態になったとき、時にはゆっくりと来し方を振り返ってみる余裕も出てきますが、その中には子供のころの懐かしい思い出も含まれます。
  私のふるさとは京都で、生まれ育ったのは四条烏丸から南と西にそれぞれ二筋入った、京都の古い家並みが残っている処です。 京都をご存知の方ならお分かりいただけるかと思いますが、京都駅前から烏丸(カラスマルではなくカラスマと読む)通りが直線的に北へ伸びており、東西に走る七条通(京都駅の少し北)、六条通などを横切り四条通に至りさらに京都御所から北山のほうに向かっている、その四条烏丸の交差点のことで、ほぼ町の中心部になります。 この辺りは大体が一町(約百米)四方の碁盤の目に区画が整理されており、公立の小・中・高校も区域制で徒歩通学ができるようになっていました。

  誕生花: ムスカリ
  花言葉: 寛大な愛、明るい未来 

  母校の小学校、中学校(元は小学校でしたが昭和23年6・3制実施で中学校になった)は、ともに維新直後の明治2年の創立ですが、小学校は平成4年、中学校は平成19年に閉校となりました。 これは学童、生徒数が著しく減少したためです。
  私が育った辺りは昔から呉服・繊維関係の商家が多く、一時は繁栄したものの生活様式の変化で和服が廃れ、また、ウナギの寝床と呼ばれる間口が狭くて奥行きの深い旧式の京町屋での昔風の生活様式を好まぬ若い人たちの離散などが原因です。 以前は京都へ行くと生まれ育った懐かしい場所を訪れていましたが、住民は入れ替わり町の様子もすっかり変わってしまい、子供のころの佇まいを半世紀以上も経過した今に見出すのは困難です。
  私の育った町内には菅原道真を祭神とする神社(菅大臣神社―道真とその父是善の邸宅(白梅殿)跡)があり、境内は格好の遊び場でしたが今は駐車場となり、かつての雰囲気は全くありまん。 小学校の通学区域内には、祇園祭の山・鉾をもつ町内が10以上あり、7月に入ると鉾のお囃子の稽古を遠く耳にしながら一学期の期末テストの勉強をしていたこと、梅雨明けの激しい雨音と祗園囃子の音色がダブって記憶に残っています。 京都の祇園祭は観光ショーとなりましたが、当時は山鉾巡行の道順も違っており八坂神社の氏子の町々を鉾が町屋の屋根すれすれに通り、厄除けの粽を鉾から直接家の中に投げ入れてくれるというような身近な祭りでした。
  古希を過ぎて同窓会の開催が盛んになりましたが、ふるさとを最も懐かしく感じるのは小学校の同窓会だと思います。 思い出を共有する同窓会での会話から記憶にあるふるさとをバーチャルに蘇らせることができるからです。
  ふるさとを立体的、多次元的に見ると、「ふるさと」は非現実で時空を超えたものであり、各人各様に心の中に描き懐かしむもののような気がします。 ふるさととは帰るところではないと読んだ詩人がいましたが、私は京都で開催される同窓会には必ず出て、そこにふるさとを見つけ出しています。

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+  会員の皆様から一言 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+

横井 寛さんからのコメント            2016/03/16 17:41:07

私は京都の古い町が好きで、竹中さんの今回の記事をとても楽しく読ませて頂きました。有難うございます。
歳をとると、幼少の時期を過ごした「ふるさと」が特に懐かしく、しかも鮮明に思い出されるものです。
私の「ふるさと」は讃岐の片田舎ですが、両親は勿論のこと、兄を始め、親しくしていた多くの友人も亡くなって、いまは「遠いふるさと」になりました。
                                                         横井 寛



    
2. 木本 正二 さん (3月10日生まれ)

 Happy Birthday


   誕生花: ルピナス
   花言葉: 想像力、安らぎ

  私の誕生日は3月10日です。 近年、この日は戦時中の東京大空襲があった日として記憶されていますが、昭和一桁生まれの私が子供の頃は、陸軍記念日という輝かしい日でした。 当時の日本は中国との戦争が始まり、戦時体制に突き進む時期でしたから国威発揚が喧伝され、この日の小学校の朝礼では校長先生から「日露戦争の奉天大会戦で勝利した栄えある記念日」と説明があり、さらに当日生まれの生徒には励ましの言葉が掛けられて誇らしく思ったものでした。
  話は逸れますが、成長期である小学生時代の3月生まれは4月生まれの同級生とほぼ1年の違いがありますから、体力的に大きな差がでます。 特に運動神経の乏しかった私は体育の時間が苦手で、徒競走などでビリになると先生から「軍人になれないぞ」と叱られるので、誕生日を疎ましく思ったりもしました。 ちなみに、海軍記念日は日本海海戦のあった5月27日でした。
  それから3/4世紀、時代は大きく変って平和が国是となった日本に、最近は何やら騒がしい風が吹いています。 再びこうした記念日が復活することがないよう願うばかりです。



    
3. 関口  栄 さん (3月12日生まれ)

 一冊のノート

  1冊のノートが出てきました。 2年間の、ネパールでの日記とも記録とも言えない書きなぐりのメモです。 退職して3年の間、溜まった写真や記録やその他の雑品の整理に手をつけ、少しずつデジタル化したものは日付、場所順に膨大なファイルになりましたが、未だに整理しきれません。 ノートと、一緒に出てきた領収書やチケット、パンフレット、メモ書き等々を引っかき回すと、当時のネパールを思い出す方が面白くなり、写真はそっちのけ、所謂ドツボに嵌ります。
  生まれて初めての海外は、昭和50年8月14日、12時45分発が5時間遅れたインディアン・エアーAI309便で羽田を立ち、香港、バンコクで経由、15日05:00ニューデリー着、翌16日にニューデリーからロイヤルネパール航空RA208便1時間半で15:00にカトマンズはトリブバン空港着、ちなみに航空運賃170,600円、で始まっています。 結局2日もかかり、運賃も高かったんですね。 このAI309便は、今ではメルボルン - ニューデリー間の便になり、RA208便はどうなったことやら。

    誕生花: 辛夷(こぶし)
    花言葉: 友情、歓迎

  八俣送信所から東京国際回線統制局テレックス試験課に勤務し、入社して5年目の夜勤に、長谷川主任から青年海外協力隊(JOCV)募集の周知がありました。 これからの若い人はこうゆう機会に海外へ、と余計なことをつぶやいてくれたばかりに、ネパール、エジプト、スイス、中国での生活、国際協力業務を担当してあちらこちらへ出張、と海外業務に長く携わることになったなぁ、と思い出します。 つぶやきに感謝です。
  KDDでは、昭和41年に最初のJOCV隊員として吉武さんが、続いて43年に加藤さん、45年に大森さんがいずれもラオスに派遣されており、49年当時には鳥谷さんがタンザニア、林さんがネパール、永田さんがザンビアにと派遣が決定されていました。 50年の募集では、他に佐藤さんがネパール、山口さんがザンビアに応募し、この3名が派遣されることになりました。 今では、その数60人を超える人数になっていると聞いています。
  昭和52年9月5日に帰着しましたが、記録は5月26日で途絶えていました。 帰国前にいろいろ忙しかったよな、としか記憶がありません。 記述は、お祭り、食事、友人、旅行、職場、同僚、物価、バイク、下宿、家、ホテル、ネパール単語等々雑然としており、記憶の引き出しばかりです。 が、一向写真とは結びつきません。 で、写真は未だハードディスクに眠ったまま、こんな覚え皆様にもないでしょうか。
  その後、平成12年、14年と20数年ぶりに再訪、一昨年には3カ月間を同国で無為に過ごし、これぞ退職者の醍醐味、味わってきました。 近代化とも言えない、ひたすら増加した家屋、車両、人間、物価高騰に驚愕させられましたが、錆びついたネパール語を駆使し、当時お世話になった同僚、大家、下宿先、土産物店等々、訪ね歩きには、このノート、大いに役立った次第です。
  昨年4月にネパール大地震がありました。 政府系の復興活動は、ネパールの特殊事情で遅々として進まず、住民に援助が行届かず、頼みの観光客も激減したそうです。 在日ネパール人や協力隊OB等々、様々な団体がより直接的な援助活動のために募金等を行っています。 そういった活動をお見かけの節には、ご協力いただけると幸いです。


1975年ポカラ村の下宿の庭先にて家族と


2000年全く同じ庭先。上の真ん中に立っていた長男が、ま
た、真ん中で子供と。右のドアが住んでいた2畳位の部屋。


マリーゴールドの花輪と額にティカをしてもらい、カジャ(練
った小麦粉を揚げたおやつ、おつまみ)のおぼんを受け取る。
男性からはお返しに、子供から大人まで女性全員に、それぞ
れお金を。見栄を張ったら結構バカにならない額が必要。




2013年暮、女性が主役のヒンズー教のお祭り(ティハール)
で長男の家で宴会。その家の主婦の男性親族達が女性の接
待を受ける。年齢順で最上位(左側の席)に座らせてもらう。




    
4. 景山 正 さん (3月22日生まれ)

 80翁の挑戦

右の写真は、25年前の、在阪時、  
大阪ロータリークラブ創立70周年
記念総会で歌ったさいのもの)



    誕生花: チューリップ
    花言葉: 博愛

  昨年春に80才を迎えた。 退職後、暇に任せて、色々なことをやってきたが、それらも、歳とともに次第に継続が難しくなってきている。
  一番熱心にやってきたのは、30年来の友達であった、Boston在住の元NY大学通信学教授・Dr. J Kochevar との毎日のコレポンで、そのやり取りを一週間分まとめたものを、“CCC”(Cross Culture Communications)とのタイトルの下に、英語練達の士30名ばかりに配布、極めて賑わっていたが、私より十歳も若い先方の方が、先に草臥れてしまい、3年ほど前から、遂に自然消滅となってしまった。
  料理も、未だに続いている捨てがたい趣味である。 大量に作って、周りに配りまわるのが基本のスタイルで、まあまあ、そこそこの出来の所為か、未だ苦情を受けたことはない。 左の写真は、”市場にて“と題する、私の食材物色の姿を、さる同郷の女流彫刻家がいとも見事に作り上げたものである。
  歌の方も、地元の男声四部合唱団のトップテナーとして、10年近く続けてきたが、未だ、声は出るものの、長時間立っているのが難しい状態になってきた為、そろそろ、ソロのシンガーに鞍替えをと、来る、3月2日に、近くの青葉台のフィリア・ホールというところで、デビューをすることとなっているが、本稿での宣伝は、残念ながら、間に合わないようだ。





    
5. 牛尾 哲久 さん (3月27日生まれ)

 私の健康法と趣味について

  退職後はひたすら健康で心豊かに過ごしたいと願いいろいろなことにチャレンジしてみましたのでその一端を披露させていただきます。

結願の朱印
<札所巡り>
健康増進と健康祈願を兼ねて夫婦で坂東33か所札所巡りを7年がかりで結願しました。 巷には数回のバスツアーで済ませるプログラムもありますが私たちは基本的に電車とバスを乗り継いで徒歩で巡礼しました。 1日数本しかない村営バスやローカル線を乗り継いだりの健康旅行です。 気候のいい時にガイドブックを手に初めて訪れる田舎の路傍の草花を愛でながらの古刹巡りは何にも代えがたい心休まる巡礼の旅でした。 現在は秩父34か所札所巡りに取り組んでいて来年には結願したいと思っています。


<太極拳>
全国交流大会
10年あまり地元の武道館で太極拳を練習しています。 練功18法、簡化24式、48式、陳式48式などです。 慣れてくると重心を低く保ちゆっくり四肢を動かす動作は心地よく無理なく自然に各種の筋肉が鍛えられるようでまさに高齢者むけの健康体操です。 数年前にはあの代々木のオリンピック体育館で参加者4,000人規模の全国交流大会に100人の団体の一人として参加し表演しました。 わが人生でこんな大観衆の前での演技は後にも先にもありません。


<ゴルフ>
20代に始めたゴルフですが現在は地域や学校同期の仲間やKDD以来の友人たちと月2~4回程度「健康ゴルフ」を楽しんでいます。

<ラジオ体操>

    誕生花: 菜の花
    花言葉: 快活、財産

私の健康法の極めつけは毎朝欠かさずのラジオ体操です。 小金井公園ラジオ体操会(会員約300名)に所属し、雨天を除き毎朝6時半のNHKラジオに合わせリーダーを前に公園の広場で第一、第二を含む5種類の体操をします。 真冬などはまだ薄暗いうちに始まり体操が終わるころ夜が明けます。 朝6時に起床、身支度を整えて公園の中を広場まで徒歩20分、体操を終えて帰宅し朝食の準備。 私の1日が始まります。

<水彩画・油彩画>
子供のころから絵を描くことが好きでしたので地元の公民館の水彩画と油彩画のサークルに参加してマイペースで絵を描いております。 水彩画、油彩画それぞれに良さがあるのでどちらも捨てきれずいまだに二刀流を続けています。 画才はまったくありませんが絵を描いているときはすべてを忘れ無心になれるのが取り柄です。
    
アジサイ(油彩)    ザクロ(水彩)


市民祭りにて (左が筆者)
<アマチュア無線>
小平市のアマチュア無線クラブに所属し市民祭りでの公開運用、防災訓練での非常通信訓練、山頂からの移動運用などの活動に参加しています。 無線をやっていると国内外の思いがけない人々との出会いがあり人生の糧となることもあります。 KDDハムクラブにも所属していて懇親会などでの交流を楽しみにしています。



<囲碁>
囲碁は退職後に始めましたが奥が深くとても難しいです。 最近ようやく少し面白さがわかってきたという程度です。 毎週1回公民館でのクラス別リーグ戦に参加して少しずつ上達はしているようですが何しろ頭が固くなっていますので若いころ覚えた人にはとてもかないません。 それでもボケ防止と暇つぶしには最高の楽しいゲームだと認識しています。 

ともあれ寿命を全うするまでは可能な限り健康で楽しく過ごしたいと思っています。 



 
  
Happy Birthday !


  2月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。

今月のお誕生会員: 峰村 桂子 さん

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1. 峰村 桂子 さん (2月18日)
 キャンパスの植物をカメラで追って

◆ KDD退社
 1969年1月に長女出産のため、KDDを退社。 当時の井本東話局長から辞令を受け取るときは涙が溢れた。 何が何でも定年までという強い決意があった訳ではないが、5年で会社を去るのは残念だった。 女性も経済力をつけ自立すべきと、田舎から東京の大学へ私を送り出した母は、近くに居たら手伝えるのに、と私以上に残念がった。 それ以前に、同居していた夫の両親からは嫁が働いているのは恥ずかしい、まして子供ができてまで・・・とずっと圧力がかかっていた。 若かった私にはそれを跳ね返すだけの強さはなかった。 しかし、2人の子供の成長をつぶさに観察できたことは新鮮で楽しかった。 悔いはない。

◆ 再就職 / 花や木を撮る
大輪の椿
 1991年49歳の時、人生の転機が訪れた。 母校に新設された学長事務室のスタッフとして採用され、秘書的な仕事も含め、大学新聞創刊、大学広報活動が主な仕事だった。 ニュース集めの必要から著名卒業生や教職員、学生の話題にアンテナを張り、インタビューもした。 キャンパスの写真も撮った。
 27年ぶりに戻った母校のキャンパスは眩しいほどに輝いていた。 敷地3万坪のキャンパスの佇まいの美しさに魅せられた。 なぜ学生時代には感じ取れなかったのか。 足元の野草にも日々新しい発見があり、心が躍った。
 武蔵野の面影を残すキャンパスでは早春の梅、シュンラン、桜に始まり、四季を通して草花がキャンパスを彩っていた。 キンラン、ギンランの絶滅危惧種もあった。 新校舎建築のために最小限の伐採が行われたが木々が大きく成長し、その分、葉数が増え茂ったことにより、むしろ木が増えたかの印象だった。
キンラン
 5月のキャンパスは若葉で覆われ、森の中で仕事をしているような幸福感に浸った。 初冬が盛りのモミジは圧巻。 朱に染まったキャンパスは文字通り燃えていた。 どれくらいの数のモミジがキャンパスにあるのかと昼休みに数えたことがある。 ゆうに100本は超えていた。
 きれいな花を見つけては何気なくカメラに収めていた。 数年経つと写真はかなりの数に達した。 年間を通してキャンパスの木や花を意識的に撮ってみようと思いたったのは、2001年に、同期生が作っていた「花通信」(写真にコメントを添えた冊子)に誘われたことがきっかけだった。 「キャンパス便り」と題して母校の様子を毎月書き送った。 編集者の体調不良で中断するまでの6年間余に集中的にキャンパスの木と花を追った。 特に2006年のモミジは見事で、手元にあるモミジの大半はその年に撮影している。
 この「花通信」への投稿を機に花の名前を調べる必要が生じたが、私にはほとんど名前がわからない。 図書館の植物図鑑で調べる、「花通信」の仲間に訊く、そしてネット検索も大いに利用した。 お陰で今ではいくらか名前が言えるようになった。

◆ 写真展と絵葉書
白梅
 2007年の定年退職を前に周囲の勧めがあって、前年の春と秋に構内で写真展を開いた。 写真の選択、印刷、案内状、ポスター、展示など全てを日常業務の後で一人で行った。 額1枚持たないゼロからの展示会場作りに未経験者は大いに戸惑い、自分の甘さに困惑した。 何から手を付けたらいいのか壁に向かって茫然と立ち尽くしていた。 会場設営にはセンスが必要と気がついても今更遅い。 走り出した以上進まざるを得なかった。 お陰で2回目の秋には少し手際よくやれたとは思うが2度とやる気はない。 その時に買った30枚ほどの安物の額は我が家の天袋に眠っている。
 技術もないずぶの素人がただシャッターを押しただけの写真は稚拙なものだが、卒業生や大学関係者には珍しさと懐かしさもあって、関心を寄せる人が少なくなかった。 写真展を開いたことにより、キャンパスにいる人達、特に同窓生教職員の意識が変わった。 身近にこれほど多くの草花が美しく咲き、訴えかけているのに気付かなかったことを嘆き、改めてキャンパスの自然に目を向ける人が増えたことは嬉しかった。
 市の広報紙にも私の写真展の案内が載った。 一般市民の参加もあり、予想を上回る入場者を数えた。 小さな普通のデジカメ(フィルム時代の写真もあるが)で撮った素人写真を観に来て下さる方々に感謝の印としてお土産を考え、「キャンパスを彩る春夏の花たち」「秋の花たち」「モミジ」の3種類の手製の絵葉書を作った。 学長はじめ教職員にも差し上げ、この絵葉書がじわじわと同窓生の間で知られるようになった。

 ◆ 花カルタ

  誕生花: ムラサキハナナ
  花言葉: 聡明

 たまたま、1年を通してキャンパスの四季を撮り続けた人が他にいなかったことから、私の写真がいくらか役に立っている。 「継続は力なり」「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」と言うこと。 確たる目的もなくただ美しさ愛らしさに魅かれて、無心に被写体と対峙していたからこそ、飽きることなく続けることができたのだと思う。
 前から、撮り溜めた写真を基に「脳トレ」を兼ねた花カルタを作りたいと思っていた。 いろはかるたの要領で正しい花のカードを取るという遊び。 楽しみながら物忘れを防止する一助になればいいと、この構想を自画自賛しているがまだ着手していない。 かるたの「ことわざ」の代わりに花言葉を使うのも一興。
 絵葉書は肩書のない私のために名刺以上の役割を果たしてくれる。 花を撮ることを通じて多くの素晴らしい縁にも恵まれた。 幸せなことである。 果報は寝ていてはやってこない。




 
  

Happy Birthday !

  1月にお誕生日を迎える会員から、お便りをいただきました。 この記事をお読みになられた会員の皆様からも、お気軽にコメントをお寄せいただき、この “Happy Birthday !” シリーズが会員相互の楽しいつぶやき交換の場となればと期待しています。


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1. 星山 文雄 さん (1月4日生まれ)

 ある呆け老人の近況報告書


   誕生花: 水仙(黄)
   花言葉: 感じやすい心

何時の間にか、齢80台の半ばを過ぎる頃となりました。年相応の病気やら、体力の劣い、なども人並みに経験して来ました。 色々の失敗も沢山あり。 また最近は、物忘れなども発生しています。 少し呆けても来ました。 同級生(国際無線通信科など)も半数が亡くなりました。 毎日、平々凡々の生活を送っています。 こんな雑文の近況報告ですが宜しかったらご笑覧下さい。

◎お医者関係
1. 小出クリニック
月1回の診察で薬は3種類投与(降圧剤、気管支、ほか)血圧の薬は在職中からですからもう20余年のキャリアですね。
2. 町田胃腸病院
月1回の診察で血液検査と薬は胃腸薬など3種類の投与です。 異状なしで油断しての6年間の検査の空白。 胃カメラで引っ掛かり手術までしました。 もう2年の月日が経ったが再発したら終わりですね。 大腸カメラ,胃カメラは必要ですね。
3. 永田整形医
加齢による老人性膝関節変形症(週1~2回、電気治療)の診断。 気長に旨く付き合ってゆくしかないと思っている。

◎お遊び関係・1

1. ダンスは週3回(週に、レッスン2回、パーティー1回)で20年も経歴です。 俗にいうダンススポーツですが。 前日呑み過ぎると酒臭いを叱られる。 お風呂に入らないと汗臭いと言われる。 雨でも休む訳にも行かない。 それが良い刺激です。 でも大勢の男性、女性の良き仲間が出来ましたよ。

2. メガロススポーツセンター(週3~4回 水中歩行、サウナ、お風呂など)昔は泳ぐのが主だったが、最近は水中ウオーキングとサウナ、お風呂が主となった。 メガロスで水中ウオーキング40分すると、膝の調子もストレスも少しは良くなり、健康を頂いて帰ります。 もう毎日の習慣となって来ました。

3. お昼は街の喫茶ベローチで410円(コーヒー190円、卵・野彩サンド220円)で過ごす。 家にいるとどうも体の調子が可笑しくなってくるので、出来るだけ外へと出かけます。 ストレスは筋肉に蓄積されるとか、ストレス解消のため出来るだけ動き回っています。


◎お遊び関係・2

4. 朝のダンベル1kgを片手交互に持って30分の歩行は、6時45分頃から歩行開始する。 最近は何でも30分刻みだ。 昔は60分の散歩だったが、今は30分になった。 30分で十分です。 2年間続いています。 「継続は力なり」ですか。

5. 朝食後に犬の散歩は30分(小型犬)です。 昔は、犬2匹の朝と夕方でしたが、小型犬の1匹ですので大分楽です。 なお、朝だけの散歩で勘弁して貰っています。

6. 購読している雑誌類 文芸春秋、週刊文春 朝日新聞、日刊スポーツなど


◎昭和会関係

1. 昭和会については、創設の頃から係わって来ました。 現在では、昭和会ゴルフ(4ヶ所)、昭和会各地区呑み会(9ヶ所)、春の懇親会と夏の懇親会が常設されています。 何れも20余年続いて来ました。 (詳細はホームページ参照)貴重な財産ですね。 なお、昭和会は、何時でも、何処でも、誰でも、参加は自由です。

2. 昭和会呑み会は、・横浜地区呑み会、・小田急相模大野地区呑み会、・三鷹地区呑み会(稀に)に参加しています。 無理の無い範囲で参加しています。 懐かしい仲間との出会いが、活力倍増の源泉です。 なお、ゴルフは、体力の減少から暫くお休みが続いています。

3. 昭和会の想い出は、会社の神鳥谷での昭和会ゴルフの全国大会を10回開催、沖縄ゴルフと観光ツアー、青森ゴルフと十和田観光ツアー、昭和の森ゴルフ150回開催、昭和会韓国観光旅行、昭和会台湾観光旅行など、色々な想い出が沢山、沢山あります。 懐かしい皆さんどうも有難う御座いました。 特に、女性の皆さんには大きく感謝致します。


<追記>
   辿りつき 振り返り見れば山河を 越えては越えて 来つるものかな  (河上 肇)

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+  会員の皆様から一言 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+

樫村 慶一 さんからのコメント           2016/01/26 14:12:35

星山文雄さんは、私と同い年だからことしの誕生日で86歳になるはずだ。 生来の世話好きのため、いまだに、ミニ同友会ともいうべき「昭和会」なる親睦会を主催し、ゴルフに飲み会に持ち前のリーダーシップを発揮している。 各地に支部をつくり、アフリカの草原の動物が水場に集まるが如く、懐かしい顔ぶれが集まってくる。 旧KDDの人間の唯一の交流の場だ。 もう一昨年になるか、胃癌で3分の2を切り取っている。 84歳でこの手の手術をする本人も本人なら、医者も医者だ。 相当な勇気が要ったろうと思う。 同友会メンバーも坂を転げ落ちるように、訃報が相次ぐが、昭和会は最期の2人なるまで続けて欲しいものだ、そして同友会の最期を飾ってほしい。 いるはずがないと信じている神仏に勝手なときだけいのっている。



    
2. 吉田 和男 さん (1月18日生まれ)

 60年余の仕事人生を振り返って

◆ KDDでの37年
蓼科にて 9月
79歳の誕生日を迎えるのに際してこれまでの仕事人生を振り返ってみたいと思います。 22歳でKDDに入社して59歳で退社するまでの37年についての感想は、良い会社に入って良い仕事をさせてもらった年月だったということです。 KDDという会社は何といっても「官」の会社、良しにつけ悪しきにつけ、そのことが基になっています。 「官」でなければできない大きな仕事に加われたことや、協力関係にあった諸会社との協議など、私にとってやりがいのある仕事が多くあり、ありがたいことだったと思います。 一方で元々発想が「民」の私には違和感がいつもあり、住みにくさも感じていました。 ただし後年には、競争の激化で私にとっても出番が多くなったように思います。

◆ 転職に踏み切る
58歳で国際合弁会社会長の仕事が終わったとき、KDDの状況を見ると事業基盤の縮小傾向は明らかで、そのままでの存続は難しいと感じました。 KDDグループにいても役立つことは少なく、いることは却って迷惑であろうと思いました。 そこで国際的なリクルート会社に登録して求職活動を始めました。 この年齢での求職活動は困難でしたが、幸い米国のモトローラ社に仕事が見つかり、61歳で第2の仕事人生を始めることになりました。
その後KDDとDDIの合併が実現し、多くの職員の活動の場が確保され、私たちの年金も確保されたことは、大変喜ばしく、これに尽力された方々に対して深い敬意と謝意を表します。

◆ モトローラでの仕事
仕事は新事業の開発でしたが、就職後6カ月で事業の中止が決定され、3カ月以内に社内転職先を見つけなければ即退職ということでした。 幸いそのときの上司が私をつれて社内転職をしてくれました。

   誕生花: フリージア(黄)
   花言葉: 無邪気

その仕事を1年余りやったところでまた事業中止で社内求職となりました。 このときは期限切れ直前に新しい仕事のオファーがあり、この仕事は67歳まで続けることができました。
モトローラでの仕事は目標管理が厳しく、常に適切な目標を設定することと、それを着実に達成することが求められ、大きなプレッシャーを感じるものでした。 また、部隊を率いるのではなく、個人で関係先との協議説得を通じて仕事を前進させるという仕事も独特の緊張を強いるものでした。 それでも社内に多くの仕事仲間を得て、その人々の助けでどうやら仕事ができたと、うれしく振り返っています。

◆ 地域での仕事
第3の仕事人生のためにと67歳で中小企業診断士の資格を取りました。 この資格で松戸市の相談員の仕事を77歳までやりました。 仕事は月2回程度、相談室で創業希望者などの相談に応じるというものでしたが、相談者が少なくて待ち時間が長いのには閉口しました。
地域では町会の仕事をしました。 役員を2年、会長を6年やりました。 ボランティアで仕事をするのは初めてでしたが、地域の人々と力を合わせて何かをやるというのはなかなか面白く、手ごたえを感じた8年でした。 今は地域の社会福祉協議会の仕事をやっていますが、余り負担を感じないでやれるので、年相応と感じています。




    
3. 梅村 民男 さん (1月22日生まれ)

 
齢78歳となりました。 KDDを退職して早20年となりました。 退職後は地域での町内会や老人会の役員など行うとともに知人から借りた畑での野菜作り、健康維持のためスポーツジム通いと大好きなゴルフを行いながらの生活を楽しんでおります。 畑は10数年ほど前に約50坪ほどを借りで春夏秋冬いろいろな野菜を作っております。 昔ながらの農具を使っての全くの手作業です。 台所で出るごみを畑に埋めて肥やしとし、春にはインゲン、オクラ 、キュウリ、小松菜、トウモロコシ、ニンジンの種まき、4~5月ごろには山芋、トマト、サツマイモ、ナスの植え付け、秋にはエンドウ、キャベツ、ハクサイ、
第27回泉桜会にて
大根、春菊の種まき、玉ねぎ、ブロッコリーの植え付けなどなど、できたものは夫婦二人だけで消化することはできず、友人や子供たちに送ったりしております。 また、ゴルフは町内で同好の志を募りながらときには、大阪南部地域にいるKDD-OBや高校の同級生で作る「丑寅会」なる同好会で愛知県犬山などでプレーを楽しんでおります。 85歳ぐらいまでは楽しみたいと思っております。

   誕生花: アンスリウム
   花言葉: 熱心、旅立ち












    
4. 城下 征治 さん (1月27日生まれ)

 生 活 の 近 況

 
菜園にて
k-unet運営委員の皆様には日頃より有用な情報や動向等を提供して頂きまして有難うございます。 先ずは、お礼のほどを。
いよいよ高齢者75歳へ到達、変わりなく元気で過ごしている日常生活の近況を述べることにします。 私は2002年から健康趣向の一つとして有機栽培で安心、かつ、美味しい野菜づくりに取組み始め、現在も挑戦中です。 最初は地元市農業振興会のレジャ-農園に応募して耕作面積も24㎡(7坪)からスタート、自由かつ気楽に作業していたがその後多種多様の新鮮な野菜を無農薬栽培で育成して、旬の食材を味覚してみたい思いが強まりました。 そこで、農家の遊休地を借用して耕作地の面積は76㎡(23坪)、そして現在の150㎡(45坪)へ順次拡張していきました。
菜園プランとしては、土壌づくり⇒種・苗の入植⇒作物の育成長⇒収穫の周期で動いている。 これらを実践する過程の中で

   誕生花: 七竈(ナナカマド)
   花言葉: 思慮分別

1. 四季・天候条件下での対応
2. 病・害虫対策
3. 効果的な肥料散布
4. 良い農地環境維持
5. 資材・用具の配備等
を細かく配慮していく事が重要である。 特に、高齢者になり記憶力の薄れを補う為、農事の目安に便利な二十四節気や自分自身の雑記帳の活用は作業予定、栽培ポイント、連作障害の防止への応用に役立っています。
らっきょうの花
また、就労時間、肉体的疲労、必要経費等を勘案した場合、あまり欲を出さずに現行の耕作面積により野菜づくりを継続していくのが適当であろうと励んでいます。 当農地にはほゞ同耕作面積を有して、同世代高齢者の農園仲間達が10数名居り、常に何人かと顔を会わせ畑作の状況、野菜の成長度合い、そして体調の具合等について情報交換を行ない乍ら互助、互恵のもとで連携を図り「和気あいあい」の菜園生活を自然とともに愉しんでいます。
現在、元KDD関係者とは趣味を兼ねた野外活動を通じて「友歩会・ハイキング散策」「昭和会・昭和の森ゴルフ」「同年輩の仲間同士が集うつれづれ会・散策会」等の開催時には可能な限り毎月参加し、自由闊達にして元気溌剌な先輩・同輩の方々と交流親睦を深め愉快にやっています。 これからも、人との交流と対話を大切にしていくと共に普段から快眠快便に繋がる体調管理に留意して「自己最高齢」を更新しながら素直に活きていこうと思っています。





 


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