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第19話(後編)

~ 後編:良く生きる ~ 教育・文化・介護 ~

2017年8月 遠藤榮造  

前編では老人ホーム「グランダ調布」での当方の体験・感想等を紹介したが、このホームを運営するベネッセスタイルケア社を含むベネッセ・グループのルーツが、かつて吾ら新宿時代にお馴染みであった(株)福武書店であると云う。同書店は1955年福武哲彦氏により創業され、岡山市に本社を置くが、特に学童用の「福武国語辞典」等を編纂・発行するなど教育分野の図書に力を入れてきたと云う。創業者の急逝により、長男の福武総一郎氏が2代目社長に就き、引き続き教育分野の事業拡大に努め、進研ゼミ(添削付き講座)等で知られる通信教育事業が時流にも乗り発展した。
 余談だが、筆者も戦前の受験勉強時代に英語の通信講座を利用した思い出がある。それはコメント付きの添削が特色で、基礎知識を学ぶのに有効であったと思う。受験に役立ったことは勿論、戦後の英語時代を迎えて当時の通信講座に助けられた思いである。因みに、筆者はKDDにおいて対外交渉を担当、海外体験等の思い出も残った。ともかく福武書店が通信教育を中核に執り組み、発展したことは頷けるところだ。

◆ 福武書店は事業の拡大に伴い、1990年に岡山本社を高層ビルに建て替え、1995年には社名を個人名の「福武書店」から、(株)ベネッセコーポレーションに変更した。一見、馴染みのない外国の会社のように見えるが、2代目社長の説明によると、「ベネッセ」とはラテン語の造語で「良く生きる」を意味し、事業の理念・目標でもあるとしている。つまり、ベネッセ(良く生きる)は、本来「一人ひとりが主体的に人生を切り開いていくこと」であるが、その中でこの事業は、少子高齢化時代に対応し、教育・語学・生活・福祉などの分野において、お手伝いを目指している、と云う。
 ベネッセコーポレーション社は、教育事業に続いて福祉分野の老人介護事業にも参入。既に述べる通り、吾らの老人ホームを取り仕切るベネッセスタイルケア社として分社化し、「人生の達人・お年寄りの幸せなコミユニティー作り」を目指すと云う。また一方、同社は生活・福祉問題として「保育事業」を推進している。このような事業の多角化・拡大に伴い、東京本部として多摩市にも高層ビルを建設している。
 その後2007年には、持ち株会社のベネッセホールディング社を起こし総一郎氏が会長に就き、ベネッセ事業各社を統括した。なお、これらベネッセ3社は何れも東京、大阪などの証券市場において株式の一部上場を果たしている。戦後の成長期に波に乗った企業の一つと云えようか。
 因みに、社名のベネッセ(良く生きる)は、事業目標であると同時に経営理念でもあるとされる。即ち、会社自体も「良く生きる」ため「人を中心とし」「人の能力を生かす」と云うような概念も含めて、既に述べたように、スタフの適切な訓練・洗練されたマニュアルにより仕事の成果を高めると共に、スタフのモチベーション維持向上に資するベネフィット(厚生施設・制度等)の充実も図り、人を軸とする仕事の円滑な循環を醸成しているようだ。「良く生きる」事業の活性化の源泉と云えようか。

◆ ところで、ベネッセ事業がすべて順調満帆に進展した訳ではなかったようだ。福武総一郎氏がベネッセホールディング社会長を退き最高顧問に就いた直後の2014年7月に、進研ゼミ等の会員名簿の一部流出と云う不祥事が発生している。顧客データの流出事故は他の大手企業でもしばしば発生し、企業の顧客データ管理が問われてきた。このベネッセのケースは、顧客データを管理していた関連会社の技術者により名簿(恐らく顧客データのUSBメモリ?)が持ち出されて名簿業者に売捌かれたという悪質な事件のようだ。その影響は大きく、ベネッセコーポレーション社が顧客対応に追われたのは当然とし、通信教育事業の評判は落ち会員数も減少、事業収益にも可なりの打撃を与えたと云う。
 老人ホーム事業のベネッセスタイルケア社には影響が及ぶものではなかったが、当ホーム内の掲示板にも、事件発生の経過やお詫びの言葉が掲示されていた。この不祥事を契機に、創業家の福武氏は、ベネッセの本体の要職からは手を引き、後事を適任の役員に託したとされる。見事な新陳代謝と云えようか!

◆ その後、総一郎氏は福武財団(公益財団法人)の理事長を務めている。この財団はベネッセ・グループに属するが、福武家が代々理事長を継いでいる。つまり、財団は福武氏の出捐により設立、活動資金にも同氏保有のベネッセ株式の配当が充てられているようだ。

 先代の哲彦氏は既に地元の文化事業に乗り出しおり、宇野港に近い「直島(香川県)」の開発について、直島町長の協力を取り付けていたと云う。なお、財団は本部を直島に置くが、岡山・香川両県の協力を得て備讃瀬戸の島々の開発も進めていると云う。
 先代の意志を継いだ総一郎氏は、世界的に著名な建築家・安藤忠雄氏と協同して「直島アート村」の建設を手始めに、隣接の犬島(岡山市)や豊島(香川県)にも開発を進めている。豊島は、以前から産廃ゴミの捨て場として知られるところたが、この2017年春までに漸くゴミの焼却処分を完了、更に直島の工場で無害化処理も終結して、今やオリーブ茂るアート村に変貌した訳だ。自然との調和を重視する安藤氏のユニークなアート的近代建築と共に島々は生まれ変わっている。
 なお、成功企業がその果実を地元や社会一般に還元するようなボランティア活動の例は少なくない。例えば、美術館を開設・公開するとか・・・・・。福武氏も「経済は文化の僕(しもべ)」とし、上述のように地元の文化振興に財団のボランティア活動を充実し、ベネッセの理念である「良く生きる」を地元や来訪者等と共有していると云えようか。
 ともかく、ユニークな瀬戸内のベネッセアート村は海外にも広く知られるようになり、国際アートフェスティバルなども開かれて、観光客も年々賑わいを見ていると云う。その他の備讃瀬戸の島々(併せて10島余)の開発整備も進んでいるようで、出かけてみるのも一興でしょう!?
 因みに宇野港は、かつて本州と四国(高松港)とを結んだ「国鉄宇高連絡船」のターミナルであったが、本四架橋・備讃瀬戸大橋(自動車道と鉄道の2階建)の完成(1988年)により、その使命を終っている。本四架橋実現の契機になったのが、船舶交通の難所・瀬戸内海における国鉄連絡船なども含めて衝突・沈没事故が相次ぎ、多くの人命が失われたことである。その後も瀬戸内海を跨ぐ架橋事業は着々と進行した。渦潮を跨ぐ「明石海峡大橋」の完成。尾道・今治間の島々を結ぶ「島なみ街道の架橋」も完成し、それぞれ供用されていることは先刻ご承知のとおりだ。なお、備讃瀬戸大橋のように2階建ての吊り橋方式に鉄道を通しているのは珍しく、距離としては世界一とされる。島々の観光と併せ、もう一つの観光の目玉になっているようだ。

◆ 最後に当方が入居中の老人ホームの現況などに触れておこう。当方は、既に述べるように足腰の不具合から二人とも手押し車(シニアーカー)の生活になったが、お陰で入居から7年目の今日を老夫婦揃って迎えることが出来た。入居当初の夫婦は10組ほどあったようだが、今では当方の一組だけ。概ね女性が残り、ホーム全体のバランスとしても凡そ5対1でお婆ぁちゃん天国と云うところであろうか? 
 また当然のことだが、元気な老人の中にも認知症傾向の人が次第に目立ってきたように感じるが、スタフの見事な対応で、ホームは穏やかに経過している。老人の変化・衰えは小生のように進行が速いようだ。歩行困難者も増え車椅子の使用が目立つ。ホーム内での移動にもスタフの介助を受けるケースが多くなったようだ。

 ホームでは老人の楽しみや健康維持の一環として、各種イベントが企画・実施されている。例えば、体操・書道・コンサート・映画上映・外食・バス旅行等々・・・・・。ボランティアによるコンサートなど殆どは無料イベントだが。バス旅行などは当然有料になる。当方はこれまでに富士山麓の河口湖と山梨のブドウ狩りの2回参加した経験がある。バス旅行は日帰りだが大掛かりのため、2~3年おきの催行になるようだ。車椅子の参加者が多く、大型の特殊観光バス(リフト付き)を使用し、看護師を含めスタフの介助もご苦労な大名旅行のようである。
 創業者が目指した「お年寄りが幸せになるコミュニティ作り」のアイディア・イベントは、挙げれば限が無いほどだ。この夏は丑の日の関係で、好物の鰻丼が2回出た。家族も招待される夏祭りの準備は、目下スタフの手で着々と進んでいる。
 以上、駄文を連ねたが、当方の老人ホーム暮らしや、ホームの運営・経営などの一端を紹介した。ご参考になれば幸いである。
(おわり)
  

 
 


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