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関根勝昭さんの投稿
VTC訪問

関根勝昭  

 20年前、ロシア・ウラジオストックに国際通信の合弁会社「ボストーク・テレコム」(VTC)をつくるためKDDから3名の専門家(石垣英明さん、藤田徹さん、そして私)と、日商岩井の内山恒平さん(元VTC副社長)が赴任しオール日本の設備を設置。 その後私は約1年半現地で技術部長として技術・運用指導をおこなった。
 このたびVTCから20周年記念祝賀会の招待状が届き、6名(石垣英明さん、斉藤正範さん、金澤政和さん、鈴木常春さん、内山恒平さん【元日商岩井】、それと私)が6月28日から7月1日まで滞在した。
 久しぶりのウラジオでどんな変化があるか興味津々であった。これまでのロシアのペースなら陸橋1つかけるのに何年もかかったものだが、驚いたことに空港から市街への道路は高速道路並みに整備され、あちこちで住居の新築・補修工事がされていた。この変化はAPECが9月にここで開催されるのも大きな要因だが、聞くところでは多額の政府の予算がここ沿海州につぎ込まれているとのことだ。天然ガス・石油輸出の拠点になることも要因なのだろう。走る車は99%日本の中古車。コンクリートミキサー車に日本の企業名が入っていた。一部は新車も見かける。ロシア人の車へ欲求は強く、市内に入ると渋滞が予想以上だ。 
 記念祝賀会の前日、VTCの本社や衛星通信所などを見学した。途中ゼーマ前社長の墓に立ち寄り献花した。
 衛星通信所には今6基ものアンテナが据え付けられ、ロシア極東における国際、国内通信の一大基地の様相を呈していた。
 祝賀会当日、会場のウラジオストックホテルに招待客が続々集まってくる。当初予定を上回り190名とのこと。昔一緒に働いたサーシャ、セルゲイ、アンドレーたちと再会のハグや固い握手。祝賀会はまことに派手で戸惑ったが、“郷に入れば郷に従え”のとおり、私も一緒に大いに楽しんだ。会場では型どおりVTC20年間の歴史ビデオを大型スクリーンに写しながら解説(もちろんロシア語)があり、ビデオには機械設置工事や電話・テレビの運用作業にロシア人と一緒に私も写っていた(若い!)。
 
 VTC会社は順調に発展している(当初30人程度が今は120名の社員)。長年の労苦に対し、ロシア人たちに混じって我々も表彰され、ゲームセット(終わり!ではなくゲームの道具)をもらった。硬軟とりまぜてのこの祝典は、歌、バイオリン演奏、社員のパフォーマンス、芸術家の「砂絵」、など多彩な催し。その間、ディスコダンスタイムで多くのロシア人(私を含め日本人もみな)がダンスに興じた。日本人タイムでは各人が自己紹介、そのあと用意したロシア語・日本語の歌集で『百万本のバラ』『カチューシャ』を合唱。私は日本語で歌いリードしたが、最後に大きな拍手と「ハラショー」の歓声。ロマン社長(20年前一緒に仕事した仲間)の奥さんは元歌手だそうで、一緒に1曲ハモった。
 街の様子はと言うと、あちこちで道路や建物の補修、新築工事などが行われているが建物自体は100年以上昔からの煉瓦造りが多く、それを大事に保存しながら新しい装いに変えてきているという感じだ。以前は道路に面した店のドアなど牢獄の扉のように陰気で重いのが普通だったが、見違えるようになっている。道路は幹線道路以外は信号が少なく、平日の移動は混雑で大変苦労する。日本ならすぐ苦情が出て整備されるだろうがロシア人は極めて我慢強い。
 以前は、食料品店に並ぶ生鮮食品は少なく、どこの店でも長い列を作って買い物をする光景が普通だった(そのためか多くの人が郊外にダーチャという自家農園を持っていた)。今度行ってみて驚いたのは大きなスーパーがあったことだ。食料品は豊富で、生活必需品も揃っている感じだ。ロシアならキャビアが安いと思ったが、偽物は700円程度だが、本物は小さな瓶詰めでも9000円以上するのであきらめた。
 VTCが所有する丘の上に建つ125メートルの鉄塔を見学。丘の上からはかつてバルチック艦隊が停泊していたという金角湾が見渡せる。湾に架かる巨大な橋が目の前に、そして遥か遠くのAPECが開かれるというルースキー島への橋もかすかに見える。鉄塔はVTCの携帯電話中継などに使われている。20年前、国際通信改善のために合弁会社をつくったのだが、その後、国内通信に重点を移しているためで、VTCの発展もその見通しがよかったためであろう。
 ウラジオに滞在していたとき、よく町の露店を回った。常設の屋根付きの店のそばに仮設テントなどであらゆる物を売っているのはロシア人よりも韓国人、中国人が多かった。ロシア人はよく「日本は尊敬されている、韓国などは下に見られる。」と言っていたが、泊まったのはヒュンダイホテル。周りには韓国系の食べ物屋もあり、テレビなども韓国製が多い。韓国、中国に日本はおされている感じだ。
 当時をふり返ると、合弁会社設立に尽力された小関常務、松平国際部長(当時)はじめ多くの方々の苦労が思い出される。私自身は合弁交渉には加わっていなかったが、ロシアとの交渉に数多くの困難を経験した斉藤正範さん、鈴木常春さんの話などから、その苦労ははかりしれないものを感じた。事業立ち上げでは、常駐する3名以外でも事前交渉や設置工事に数十名の人たちが協力。NEC技術者も含め20名以上が厳寒のウラジオストックの古びたホテルに宿泊し、マイナス20縲怩R0度の中、ロシア人と一緒にアンテナや機械設備設置に頑張った。金澤政和さんに言わせると、「2年かかる工事を3ヶ月で仕上げるなんて脅威だ!」。 現地派遣の私たちの頼りは石垣さん(元VTC副社長)だったが、今回もロシア側との窓口となっていただき、他の者たちはただ参加するというスタンス。お世話になりました。
 今回のVTC訪問で忘れかけていたロシア・ウラジオストックの思い出が一気に吹き出した。ロシアとは領土問題など難問がある中で、お互いに理解することが友好を保つ上で大切だ。せっかくの有意義な経験を何かに生かしたい、ロシア語を再度学び通訳なしでも自由に会話ができればいいな、と思うこの頃だ。



 


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