3月21日(木)
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  k-unet 紹介
 

  運営委員プロフィール

 


2018年度第4回運営委員会(2018/10/25)にて
前列左から、京極さん、楳本副代表、山本代表、鎌田副代表、北野さん、
後列左から、本間さん、町田さん、小川さん、西澤さん、石垣さんの各運営委員会メンバー
現在の運営委員の個人の紹介は、次の「運営委員プロフィール」をご覧ください。

 
運営委員プロフィール


山本 勝美

(1)自己紹介
KDD入社は1973年、血液型はO型、
印象に残っている職場は、技術協力で1年間赴任したラクダリア地球局(アルジェリア)。何しろ初めての海外体験で、しかもフランス語圏の国。英語と片言のフランス語で何とか意思疎通を図りながら衛星通信地球局の運用保守指導をやりました。
k-unetでの仕事は、代表、会計責任者。コンテンツ・マネージメント グループ、技術支援グループ。
(2)現状報告
KDDを早期退職した仲間3人でコンサルティング会社をやっており、まだ現役。アマチュア無線連盟の仕事も受託しており、年に何回かは海外出張にも出かける。
(3)k-unetあるいは運営委員会に関わったきっかけ
サテライト会のゴルフの際にk-unetに誘われて、当時の世話人会を見学に行ったところそのまま世話人になってしまった。パソコンはやっていたが、ホームページ作りはk-unetで習いました。
(4)最近気になったことや面白い話題
海外出張で飛行機に乗る機会もままあるので、パイロットの飲酒問題は気になりました。
離着陸以外はほとんどオートパイロットで飛んでいるようですが、いざという時にはパイロットにしっかり操縦してもらわないといけません。
(5)今後の生き方、方針、思っていること、心に残る言葉、座右の銘など
昨年11月に腰痛が出て、MRIを撮ると椎間板ヘルニアによる脊柱管狭窄からくる坐骨神経痛との診断。
インターネットいろいろ調べてみて、ヘルニアは必ずしも腰痛を引き起こさない、ほとんどの腰痛は仙腸関節の炎症が原因との説に頼り、仙腸関節の理学療法で治療中。
いずれは故郷の兵庫県に帰ることも考えていたが、仕事もk-unetもあり、なかなか引っ越せそうもない。


 


(1) 自己紹介
  1) 入社年: 1961年
  2) 血液型: O型
  3) 印象に残っている職場:日露合弁ボストークテレコム極東通信会社
ロシア極東地域との国際通信を改善するために日本とロシアとの合弁で設立された電気通信会社に1993年から3年間派遣され、ウラジオストックで会社設立・地球局建設・通信ネットワークの構築そして事業運営に携わることができました。極寒の地で、日本とロシアを結ぶ直通回線を開通させ、現地スタッフと共に過ごした日々は、私の人生の宝物で生涯忘れることのない職場でした。
  4) k-unetでの担当: 
  総務グループ、写真講習会とパソコン研修の技術支援
(2) 現状報告
パソコン研修について
2020年度から小学校でプログラミング教育が全面実施される予定です。やさしいプログラミングとしてスクラッチの講習がパソコン研修でやれればと思っています。
デジカメ写真撮影講習会について
写真撮影のスキルアップ講習会の受講者は減少傾向にあるため、歩く会、見学会あるいはデジカメ作品づくり講座などを盛り込むことを検討しています。
(3) k-unetあるいは運営委員に関わったきっかけ
KDD退職後、パソコンをわかりやすく、優しくサポートするパソコン団体をたちあげることを目指し、NPO法人「ITみらい塾ぷらっと三茶」を設立して13年になります。k-unetの元代表の巻田さんから、パソコン講師の経験を活かしてサポートしてほしいと、お誘いをうけたのが運営委員に関わったきっかけです。
(4) 最近気になったことや面白い話題
「一日が一生、と思って生きる」 
NHKの番組「あさイチ」で紹介され、最近話題になった本「一日一生」(天台宗大阿闍梨 酒井雄哉著)を読んで、一日一日、新しい人生と感じながら歩いていけばいい。今日を大事にしなかったら、明日はないと気づかされた。故酒井師は比叡山で「千日回峰行」を2度満行、87歳で逝去。


 


楳本 龍夫

(1)自己紹介
KDD入社は昭和53年(1978)、血液型はB型。
データ通信部門に所属、オートメックス、VINUS-P、企業通信、法人営業、ネットワークソリューションなどに従事してきました。合併によるKDDI誕生後1年経って退職し電力系通信会社に転職、その後東京電力の情報処理子会社に移りました。2011年の震災直後に定年退職して現在に至っています。
(2)現状報告
定年退職後に、旧KDDの先輩や後輩の力を借りながら、電力の情報処理関係の製品開発する事業会社を立ち上げ(未だ立ち上がってなどいないという話もありますが)、現在その事業を続けています。
(3)k-unetあるいは運営委員会に係わったきっかけ
KDDI退職後、KDDの先輩方とお会いする機会があり、その場でk-unetの紹介と入会の勧誘を受けてすぐに入会したのですが、入会後に学校の先輩でもある有力世話人の方からのパワハラ (??)で運営委員会に参加することになりました。
因みに当該有力世話人や関係世話人の方々は私の参加後にさっさと運営委員を辞められていますが、正直なところ、たいへん感謝しています。
(4)最近の気になっていること
これまでホームページはPCでの閲覧を前提に作成されてきましたが、最近のスマートフォンやタブレットの急速な普及に伴い、これらの端末でもストレスなく同じホームページを閲覧することができるしくみ(レスポンシブWebデザインといいます)が整ってきています。k-unetホームページでもなるべく早期にこのようなしくみの導入が必要ではないかと大いに気になっています。さらに、歳をとっても難なく見ることのできるページにすることが、自分自身にとっても喫緊の課題であると痛感している今日この頃です。


 


小川 明義

(1)自己紹介
1970年入社、血液型はO。
印象に残っている業務は、新規移動通信事業者に対する技術コンサル(第2世代PDC方式の時代)において、新たに携帯電話基地局を関東圏の広いサービスエリア内主要域に何百局も置局すると言った、それ迄とは大きく異なる経験をしたこと。 
k-unetにおける担当は、会計と技術支援。
(2)現状報告
昔は、趣味や家の小さい手直しなどを何の苦も無く楽しくこなしていたのが、近頃ではすっかり不精になり、やろうと思って買い揃えた幾つもの道具や機材がそのまま手付かず状態になっている。 パソコンの性能向上作業も然り、パーツは全部準備済みなのに「明日はやろう」、「明日はやろう」の繰り返し。 
加えて、1年半程前から体力や免疫力・抵抗力が急激に低下し、体質も著しく虚弱化したことが気掛かり。
(3)k-unetあるいは運営委員会に関わったきっかけ
60代後半で仕事を退いた直後から、脳活のため数多くの会合や活動に積極的に顔を出すよう心掛けた。 k-unetへの参加もその一つ。 パソコン研修会や総会などに出席しているうちに、「運営委員にどう?」との誘いが。 「運営の一端を担うと、多くの会員の皆さんと接することが増えて良いかも・・・」との思いに至ったことから。
(4)最近の面白い話
近頃、何故かやたらテレビの高速光インターネットのCMに、限界集落が如き我が高齢者団地を俯瞰するパノラマ映像が利用されている・・・何とも不釣り合いな思い。
(5) 今後の生き方、方針、思っていること、心に残る言葉、座右の銘、など
数年前に京都の家を手放したが、Uターンして郊外にでも再び住んでみたいとの思いがじわじわと大きくなっている。


 


鎌田 光恵

(1)自己紹介
KDD入社は昭和37年(1962)、血液型はO型
国際電話オペレーターとして14名が採用されました。
昭和36年に6名採用されるまで7年間はオペレーターの採用はゼロでした。
当時は無線回線しかありませんでしたから回線状況が悪い場合はODの札を立てじっと回復を待つことが仕事でした。回線状況が悪い中でもベテラン先輩は静かに声を無線に乗せる術を持っていました。そして、日米海底ケーブル開通、国際衛星打ち上げ成功で大量の衛星回線が提供される時代が到来!韓国との間もOH回線で結ばれました。隣で話をしているようによく聞こえました。
ベトナム戦争で負傷した大勢の米兵が横須賀に運ばれて手当てを受けながら故国に電話をし愛しい人の声を聞くコレクトコールを毎日接続したものでした。
完了交換証を1枚2枚と手で数えていたのが秤で量ることになりました。
CLR方式を経てお客様の直接番号ダイヤルによる全自動の時代があっと言う間に実現。今にして思えば貴重な体験の場、国際電話局でした。
(2)現状報告
国際電話センターから網管理センターへ移動し、横浜支店米軍担当から大手町ビルKBQ(KDD Business Quarters)に出向 55歳で早期退職し、即年金受給の生活を始めました。和服の着付け、茶道裏千家、英会話など趣味の道を邁進。
(3)k-unetあるいは運営委員会に係わったきっかけ
流行のパソコンを購入したものの使い方が判らず教えを乞うために入会しました。しかし、女性会員が少なく訃報の同報係ということで委員会に入り今に至っています。
(4)最近気になっていること
昭和64年1月7日網管理センターでは昭和天皇の崩御のニュースに伴うネットワークの混乱が生ずることのなきよう全員がピリピリして対応しました。
平成元年2月24日大葬の礼が執り行われましたが暗い雨の日でした。
平成31年4月31日平成天皇が退位されます。新元号は?皇后陛下となられる雅子妃殿下の体調はどうなのか?マスコミは心して対応してもらいたいものです。英国王室のように退位無き方が良いのか賛否両論ありますが私は今回の退位のご決断は良かったと思います。


 


北野 志津子

(1)自己紹介
入社は1966年  血液型AB型
長いこと電話局で輪番勤務をしていましたが、最後の頃は仮眠しない勤務、しかも2晩続けてという厳しいものでした。今は夜遅く帰宅することは滅多にありませんが、夜9時過ぎにバス停に立っている人を見かけると当時の出勤のを様子を思い出し、眉をひそめたくなります。厳しい勤務形態でしたが、会社の予想に反して退職する仲間は少なかったようです。皆工夫して頑張っていましたから。
(2)現状報告
目下、ボランテア活動は2件になりました。一つはk-unetで、二つ目は近くの荻窪家族の水曜日担当の番頭を務めています。荻窪家族はご近所で役に立てればとの思いで飛び込んでしまいましたが、多岐にわたる活動の企画運営は中々興味深く、老いては居られない気持ちです。でも活発に活動するのは難しいので体調と相談しながらやっています。
(3)k-unetあるいは運営委員会に関わったきっかけ
PCの勉強だけでなく料理教室を開いて会員の交流の場にしたいので手伝って欲しい」と先輩の鎌田さんに誘われて。年数回、お手伝いするならと気楽な気持ちで出掛けてきたのですが...正社員?となりいつの間にやら10年選手となってしまいました。役に立てなくなる前にそろそろ失礼しなくてはと言う気持ちです。
(4)最近の面白い話
「小惑星探査機ハヤブサ1」が7年の歳月を掛けて地球の戻り大変感動したことは記憶に新しいことです。先日「ハヤブサ2」の現状に関する講演が有るというので聞いてみることにしました。それで2の方はと言えば大変順調に運行されているのでマスコミも取り扱ってくれないとか。
実は宇宙開発分野では中国が大変な力をつけていて、アメリカをも凌ぐ勢いというのが現実のことだそうです。では日本の力を発揮するには、「宇宙での排泄」の分野で研究すべきなのだとか。(シャワートイレを開発した国ですから)でも「排泄の研究をするために宇宙工学の勉強をしているわけではない」と言う事で中々研究者が出てこないと聞きました。
(5)今後の生き方、方針、思って居ること
戸建てに独り暮らしとなって3年になります。ボランテア2件、友人との交流など忙しく過ごしているので寂しいと言う気持ちはあまりありません。でも心細くなる事は時折あります。そこで堅牢な建物で身の丈に合う暮らしをすべく環境を変えることを考えています。年齢・健康状態などを考慮して一刻も早く実現したい思いです。
「曲り角の先には必ず良いことが待っている」(赤毛のアン)を信じて。


 


京極 雅夫

(1) 自己紹介
入社は1970年、血液型はO型。
印象に残っている職場は、本社でケーブル保守担当時代に、夜間にかかって来るケーブルの障害の電話連絡を恐れていました。
k-unetでの仕事は、コンテンツマネジメントと会員担当、ログイン情報管理担当、技術支援グループ。
(2) 現状報告
東京都からシルバーパスを「購入して」都内のバスと都営地下鉄に使って重宝しています。定期券のつもり。
(3) k-unetあるいは運営委員会に関わったきっかけ
大昔の上司から運営委員に誘われて、できることをやります、と参加しました。日々勉強です。
(4) 最近気になったことや面白い話題(マンスリーレター)
高齢者の集まりで話題にしてはいけないことは、M B K H だと聞きました。それは、M 「孫」、B 「病気」、K 「介護」、H 「墓」とのこと。確かに盛り上がる話題かもしれませんが、人によっては苦難だったり避けたい話題であることも考慮する必要があります。勉強になりました。既にご存知の方もおられるでしょうが、紹介します。
(5) 今後の生き方
現役時代は特に目立った病気もなかったが、健康診断結果について医者からいくつかの留意点を申し渡されてしまった。注意せねばと考えています。


 


西澤 太郎

(1)自己紹介
KDD入社は1960年、血液型はAB型。
小室受信所を皮切りに、伝送部、技術計画部、施設部、人事部、大阪・東京FS、施設局を経験しましたが、それぞれ思い出深いものがありました。
特に約10年に渡り無線技術の国際標準化に携わることで多くの国際会議に出席する機会があり、今思うと大変充実した時間を過ごせました。
(2)現状報告
入社時に軟式庭球を始め、40歳頃から硬式テニスに変わってから今もなおテニスを続けています。日曜日には近所のシニアの皆さんとソフトボールも楽しんでいます。腰の調子があまり良くないためだましだまし体を使っています。
一方、ボランティアとして日本テニス協会の歴史資料の整理・管理のお手伝いをしています。
(3)k-unetあるいは運営委員会に係わったきっかけ
1998年長野オリンピックで国際放送センターでの仕事を最後にKDDを卒業し、通信機器メーカに再就職して間もなくのころ、世話人(現在の運営委員)から当時まだ家庭での利用が少なかったWi-Fiについて解説してほしいと要請されのがきっかけで、k-unetのお手伝いをするようになって20年になりました。
(4)最近の気になっていること
終活を如何に進めるか苦戦しています。私がこの世を去る時に伴侶が苦労しないようにするにはどうすべきかを調べて徐々に実行はしています。

 


本間 強

(1)自己紹介
  1) 入社年: 1963年
  2) 血液型: O型
  3) 印象に残っている職場:研究所茨城宇宙通信実験所(1966年12月に茨城衛星通信所に改称)
新入社員研修終了後の6月に茨城宇宙通信実験所に赴任しました。その年の11月に行われた米国からの初のTV中継実験や衛星通信商用運用開始後の1969年に実施された人類初の月面着陸TV中継などに携わり、衛星通信が開始された職場でトータル約20年間働いた思い出深い職場でした。
  4) k-unetでの担当: 
   ホームページの更新作業及びパソコン研修会の企画と運営
(2)現状報告
パソコン関係のプログラミングに興味を持ち、k-unetホームページ(こちらをクリック)で紹介させていただいたようにC言語による人工衛星の軌道計算プログラムの作成に挑戦し完成さました。その後もコンピュータグラフィックスクスのプログラムを作ったりして楽しんでいます。
(3)k-unetあるいは運営委員会に関わったきっかけ
2010年に茨城宇宙通信実験所でお世話になった佐藤代表からお誘いがあり運営委員となりました。
(4)最近気になったことや面白い話題
最近はインタプリタ―形式の Python というプログラミング言語が流行っています。 Python はライブラリーが充実しており数値解析に強い言語なそうで、人口知能ソフトの開発、Webアプリの開発、ブロックチェーンやフィンテックの開発などができるそうです。勿論、高度なプログラムは作れませんが、少しずつですがPython の使い方を勉強しています。

 


町田 香子

(1)自己紹介
入社 1980年
血液型 A{皆様にはO型と言われます}
職場 KDD研究所・経理係・契約担当{いつも大変でしたが、やりがいがありました}。
k-unetの担当 宴会係
(2)現状報告
「まちだより」や「まちだスマホだより」の文章を書くのにいつも、題材を考えてます。
(3)委員会に係わったきっかけ
運営委員の北野様からの電話でスカウトされました。
(4)最近気になってること
「まちだより」に何かお題をいただけたら嬉しいです。

 


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