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  四 季 雑 感 (45)

樫村 慶一   
 
- 八十路の頂点に立つ、先行きは霧の中 -

 今年は、年紀的には明治151年、昭和94年、2019年、どれも半端な年である。私も89歳で、米寿と卒寿の間のなにも祝いのない齢である。しかし、80代の最後で、このまま無事で過ぎれば、来年のオリンピックがみられる事になる。でも、オリンピックを特に楽しみしているわけではないし、先行きには一瞬の闇底が待っているかしれないし、どこまでも平坦な大地が続いるかもしれない。いずれにせよ、先行きは霧の中だ。不安な気持ちで先行きを遠望するのはいやなので、もっぱら、過ぎにし来し方だけを眺め、懐かしきこと、つらかったこと、嬉しかったこと、楽しかったことなどを想いだすばかりである。前回44号も、やっぱり回顧物だったけど、今回もそんな風なものになりそうなので、近年の、嫌でも目や耳にする不快な内外の世相(注1)を振り払って、最近印象深いことを書いてみようと思う。しかし、これらはあくまでも、私個人の勝手な思い込みや偏見であることをお断りしておく。

「老人ホームの実態」
 昨年、長年の親友が老人ホームに入った。早速見舞いに行った。高額の入居金を払ったのに、まるで刑務所のような(入ったことがないので本当は比較できないけど)感じである。現金は一切持てない。認知症が4割位いるので、その人たちが、盗まれたとか、無くしたりするとか言いだすので禁止している。友人は頭は正常なので、自分で管理できるんだから、そうゆう人には持たせても良かろう、と事務所に言ったが規則だと言う。正月でも雑煮が出ない。喉に詰まらせる恐れがあるからという。何かあった時の責任逃れである。結局、来客に自動販売機の飲み物はおろか、食事のもてなしもできない。彼が肉が食べたいと言うので、私が車いす押して近くのレストランへ連れて行き、見舞客の私が入居者の分まで払うことになった。
 食事時間に食堂にはいった。4人掛けテーブルに座った入居者は、それぞれの視線は全く相手をみずに、あさっての方角を見て一言も言葉を交わしていない。黙々と食べ、だまって部屋へ帰る。1フロアーに14~ 5人入居者がいるそうだが、3~4割が認知症で、勝手に外へ(徘徊)出ないようにエレベータは暗証番号で開くようになっており、時々変更すると言う。違う階の入居者同士の交友はおろか、同じ階の入居者同士の話し合いも全くないという。部屋も狭いから私物は殆ど持ち込めない。パソコンをやらない彼は、面白くもないテレビを見てCDやDVDを繰り返し見聞きして、マッサージとか入浴とか、幼稚園児のやるようなお遊びなどやって、死ぬまでいるなんて、正常だから言えるのかもしれないが、とてもたまらないと感じた。暮れに再度訪問したが、やはりストレスが溜まってきていると本人も言っていた。自分のことを考えたが、必要になった時の心身状態によるので、今は考えないことにした。

「新しいタクシーの乗り心地」
 最近、ロンドンのタクシーを思い出させるような、トヨタ製の黒塗りの軽自動車に毛の生えたような外観のひょろっとしたタクシーが増えてきた。横腹に「2020 Toko」と書いてある。私は、昔人間なので、従来のクラウンとかセドリックの、横幅の広いオーソドックスな2,000CCのセダン形のものが好きだ。ところが、元日の夜、これに初めて乗った。そして驚いた。中が従来型より広いのだ。理由は、前輪駆動なので床の中央部が盛り上がっていないこと、外人にも向くようにと天井が高いこと、助手席が通常は前に押してあること、さらに、車載カメラが完備なので強盗除けのアクリル板の仕切りがないことなどである。しかも1500CCのハイブリットなので音も静か。乗り心地はとても良い。百聞は一見に如かず、とはよく言ったものだと改めて諺に敬服。

「馬鹿な奴がいるもんだ」
 昨年の暮れの新聞に、名古屋の方の老人女性が1億円を何回かに分けて宅急便で東京へ送り、詐取されたと言う記事があった。きっかけは、なんだか裁判からみの手紙がきて、家族にも絶対話さないようにと書いてあったそうだ。最初は極く少額を送ったら、次第に理由が難解になり、金額も高くなり、何回かにわたって定期預金を解約したり、生命保険を解約したりして、合計1億円になったとか。150%馬鹿としか言いようのない事件で、他人事ながら腹が立った。そういえば、パソコンのメールにも時々変な請求書メールがくる。100人に送って馬鹿の一人か二人がはまってくれれば商売?になるんだろう。これも諺どうり、浜の真砂が尽きるまでは無くならないのだと思う。

「コニカ・ミノルタのCMを見て」
 前からやっていたのに気が付かなかったのかもしれないが、先日(昨年暮れ)「コニカミノルタ」のCMを見た。コニカ、ミノルタと言う名前を聞き、なぜか胸に、えも知れぬ懐かしさが沸き起こり、すっかり頭から消えていた父親を思い出した。親父は、昔、新宿伊勢丹のちょっと手前にオリピックという洋食レストランがあって、その角が路地になっていて、そこを入ったすぐの所に写真屋の店をだしていた。昭和14,5年~18年(1939,40~1943)頃のことである。中野に住んでいた私は、ときどき親父の店へ遊びに行き、カメラを弄り回しては叱られた。当時の日本はまだ戦争中という気分はなく、それなりに平和であった。勿論写真もマニアの間では上品な趣味として楽しまれていたと思う。
 その頃のカメラと言えば圧倒的にドイツ製のもので、今覚えているものでは、コンタックス、ライカ、イコンタ(注2)、バルダックス、ローライ(注3)、ロボット(注4)、エキサクタなど、まだ他にも沢山あったように思う。カメラの先進国、米国は映画用カメラは結構いいものがあったのだろうが、子供の頃の私が覚えているのは、普通のカメラとしてはコダックのベス単(注5)という、玩具に毛の生えたようなものだけだった。
 「コニカ」と言う名前は戦前から一般的に言われていたのかどうか分からない。昔は、創業者の小西六兵衛の名前をつけた、「六桜社」の製品を「コニシロク」と言っていた。社章は桜の花びらを模したものだった。フイルムはサクラフイルムがほぼ独占していたと思う。そして国産カメラはコニシロクの「パール」(注6)シリーズが王者であった。それに追随したのがミノルタである。パールはイコンタの真似ん坊だったけど、イコンタを買えない人には随分と人気があったように微かに覚えている。今でも新宿の中古カメラ屋に並んでいる。当時から日本のカメラ、レンズは優秀なもので、小西六のパールのレンズも最高クラスで、一般向けがオプター、高級品がヘキサーだったように思う。これらと肩をならべていたレンズが、当時の日本光学のニッコール、高千穂光学のズイコーであり軍部に採用され、望遠鏡や照準鏡などに使われていた。ニッコールは今のニコン、ズイコーはオリンパスである。
 戦前のカメラ事情など、インターネットで検索して、ウイキペディアで調べれば、正確に詳しく出てくると思うが、それでは、折角の少年期の”今でも薄ら覚えに頭に残る貴重な記憶”が台無しになってしまいそうで、それはできないし、そっと胸にしまい続けて行きたいと思っている。  おわり

 四季雑感は、まだまだ続けます  (2019.1.9  記)

(注1) 米中貿易戦争の影響、孤立主義、米国の横暴、宗教対立、民主主義の危機、気候変動、大地震の切迫、格差拡大、一強政党の強引な支配、ITの発達により落ち着かない世相。 一方、医学の進歩は大きなメリットだけど、交通手段の発達はすでにあまり恩恵を感じない、むしろ昔のゆっくり走る列車が懐かしい。

(注2) イコンタは蛇腹式カメラで、ベビーイコンタ、セミイコンタ、イコンタ、スーパーセミイコンタ、スーパーイコンタがある。スーパーと付くのには自動焦点装置がついている。ベビーイコンタはセミ版フイルムを使用、それ以外は、ブロニー版フイルムを使用。

(注3) ローライは2眼レフで2種類ある。一般向けはローライコード、高級品はローライフレックス。フイルムはブロニー版。

(注4) ロボットは今のアニメのように、連続シャッターが切れ連続画面が撮れるユニークなカメラだった。カメラの下にゼンマイ巻き上げ用摘みがついている。小型だが意外に重かった。

(注5) ベス単とは蛇腹式カメラで、ベスト単玉の略である。ベスト版フイルムを使用し、レンズは直径5mm位のガラス玉一枚だけの固定焦点、シャッター速度は、B、25分の1、50分の1、100分の1。玩具みたいだがよく写った。

(注6) パールはコニシロクの至宝カメラ。ベビーパール、セミパール、スーパーセミパールの3種類がある。3種ともイコンタにそっくりで、スーパーパセミパールはイコンタ同様自動焦点装置が付いている。

(注7) イコンタ、パール、バルダックスは蛇腹式、ローライは箱型、それ以外はみな鏡胴型で35ミリフイルムを使用する。

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