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ジェイン・オースティン『エマ』を読む

島崎 陽子  

 広々としたライムの並木道の涼しそうな木陰…この並木道は小川と平行して庭園の向こうまで伸びている…とにかく素敵な散歩道であり、目の前に広がる眺めもすばらしい。…みごとな樹木におおわれた小さな丘があり、その丘に抱かれるようにしてアビー・ミル農場がある。農場の前には牧草地が広がり、そのまわりには小川が美しい曲線を描いて流れている。
 美しい眺めだ。目にも心にもやさしい眺めだ。これぞまさに英国の緑、英国の田園、英国の安らぎであり、威圧感のない穏やかな風景が、太陽の光を浴びて横たわっている。(本文より)

 19世紀英国ハイベリー村を舞台に繰り広げられる人間模様、結婚にまつわる心理描写の小説。200年前の作品、登場人物は階級社会の人々。エマという貴族でプライドが高く傲慢、お嬢様、世間知らずで思い込みの激しい女性と、村民と村にやってくる人々との交流物語である。
 登場人物の個性がひとりひとり際立っていて、会話や行動が、どのページを開こうとも誰であるかがすぐに特定できるほどである。エマのおせっかいや「自分が主人公」の言動や愚行にあきれたり唖然としながらも、遠くから同情しつつ見守りたくなる読者の自分がいて、オースティンにしてやったりされた感があり、この辺りがオースティンの小説の魅力のひとつに違いない。
 最後はエマが、当初結婚の想定外であった身近にいた男性ナイトリーと結婚するというハッピーエンドに胸を撫で下ろして読了。
 大きな出来事が起こるわけでもなく、住民たちのハイソな日常の生活を描写し、巧みな会話のやりとりで物語が流れるように展開していく。この感覚が大島一彦のいう“モーツァルト”といわれる所以かしらと思う。「部分と全体との関係が実に有機的で、作品全体がまさに渾然一体の出来栄えに達している」(大島一彦)。
 私は、廣野由美子氏がいう「距離を隔てて客観的に、皮肉な笑いをこめて眺めるという風刺の精神があること」に、まさにその通りと膝を打ちたくなった。

【大島一彦】
  オースティンは音楽でいえばモーツァルトにも匹敵する第一級の作家なのである。
  オースティンを読むとモーツァルトを聴いたときの感じに似ている。
 トルストイ、ドストエフスキー、ジョイス、カミュ、カフカ…そしてオースティンを読む、これが一番いいオースティンの読み方ではないだろうか。そのとき初めて漱石のいう「平凡の大功徳」の意味がよく判るのである。
 オースティンの創作には、よくdetachment ということがいわれる。超然、冷淡、無関心という意味であるが、それではニュアンスが逃げてしまう。作者が、自己主張をせず、偏見に囚われることなく、作中人物あるいは対象とのあいだに常に然るべき距離を保ちつづける公正かつ冷静な態度をいうのである。

【ラフカディオ・ハーン】
 文学的教養が十分でないと彼女の小説の並はずれた長所を理解することはできない。ありふれた品のない人たちには届かないのである。…私はやはり、あなたがたにはオースティンのよさは本当に理解できないのではないかと思う。
*自分に向けられているメッセージのようで、イタイ思いがしました(笑)。

【夏目漱石】
オースティンは写実の泰斗なり。

【廣野由美子】
 オースティンが国民的作家と呼ばれる所以は、彼女の小説が、いわゆるイギリス的特質が顕著な文学であるからでしょう。「イギリス的特質」とは何か。それは、人間の性格の特徴や、日常における人間関係の洞察に重点を置き、対象から距離を隔てて客観的に、皮肉な笑いをこめて眺めるという風刺の精神があること、オースティンの作品は、まさにこのような精神で満ち溢れていいます。

本好き・音楽好きの方、ご連絡ください。
(2019.4.7)
 


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