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今月のコラム |
担当 : 楳本 龍夫
☆ 心のしくみ 〜 唯識について ☆
昨年4月の マンスリーレターNo.150 では、仏教哲学の空観について述べました。その続きとして、今度は唯識についてすこし勉強してみましたので、その成果をご披露してみようと思います。
唯識は空観と並ぶ大乗仏教の主要思想ですが、空観を基礎として心のしくみを説明しようとする試みであり、その内容は哲学というよりもむしろ心理学に属する話で、その内容はかなり面白いと思います。マンガの機械戦士ガンダムに阿頼耶識 システムなるものが登場するので、よく知っているという方もあるかと思いますので、再び釈迦に説法の話になることを恐れず話を続けます。
空観の紹介では、全ての存在は空、すなわち存在の実体は関係性であると述べましたが、唯識の基本的な考え方は、「色」すなわち物質は、実際には存在しているのではなく、私たちの意識により作り出された現象にすぎないというもので、「唯、意識のみがある」という意味で唯識と呼び、空観哲学を基礎として、これを発展、応用した学説といういうことができると思います。そして、この考え方に基づき、心のしくみを解明することにより、「自分とは何か?」という難問にも答えを与えてくれる哲学思想でもあります。
国宝 無著・世親立像(興福寺蔵) 興福寺ホームページから引用 |
西洋では、19世紀にフロイトによって無意識が発見され、人の心理構造が解明されましたが、それよりもずっと前の4~5世紀に、古代インドで、無意識を含めて心の構造を非常にエレガントな形で解明していたということに驚かされます。
北インド、ガンダーラのアサンガ(無著)、その弟のヴァスバンドゥ(世親)の兄弟僧によって確立され、マイトレーヤ(弥勒*)が創始した大乗仏教の瑜伽行唯識学派によって唱導された心理学説です。玄奘三蔵が天竺に出かけた目的は、実は唯識の教学書を入手するためであったという説もあります。玄奘によって唐に伝わり、わが国には奈良時代に法相宗として唐から伝来し、奈良の興福寺、薬師寺、法隆寺や京都の清水寺などが研究機関ということです。大乗仏教を代表する哲学思想であることから、もちろん天台宗でも研究されていたこともあり、後の鎌倉仏教の各宗派にも大きな影響を与えています。
*インドの僧。釈迦の次に仏陀となる未来仏として信仰される弥勒菩薩とは別の歴史的人物であるという説がある。瑜伽行唯識学派は瞑想(ヨガの実践)により心の本質を追究する実践派である。
唯識の内容を大雑把にみてみましょう。
唯識における心のしくみ (オリジナル制作) |
我々の心は、5つの感覚と意識の6つの顕在意識、2つの無意識の計8つの部品で構成されます。感覚の五識すなわち、眼、耳、鼻、舌、身の各識は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の感覚器官に直結する感覚で、前五識といいます。そして感覚を統括する第六識の意識で、前五識と意識は顕在意識です。
無意識または潜在意識の二識は末那識、阿頼耶識といい、2つの階層構造で構成されます。第七識の末那識は、自己の存在を保全するための心の働きを司るレイヤで、根底の自我意識や自己保存や自己に執着する心で、煩悩を生成する場所でもあります。意識がない場合でも活動します。末那識は、生まれたときに形成され、歳とともに変化・成長していきます。
第八識の阿頼耶識は、私たちの心理現象の根源であり、自身が行ったすべての行動(業といいます)の結果を未来の行動や心的現象の種子として保存し、前五識、意識、末那識を起動することにより、これらの保存情報に基づいて影響を及ぼし、制御します。無意識領域にあるので、普段意識されることはありません。
末那識、阿頼耶識はサンスクリット語の音写(サンスクリット語の発音に漢字を当て字したもの)で、マナスは「思い量る」と言う意味、アラーヤは「蔵(倉庫)」という意味です。末那識は自分の都合を思い量り、阿頼耶識は過去のすべての行動や未来の行動の種子を記憶として保存する蔵というわけです。因みに、「ヒマラヤ」はヒム・アラーヤで、「雪の蔵」という意味のサンスクリット語だそうです。
なお、阿頼耶識のうち、悟りの境地に達した場合の阿頼耶識を阿摩羅識(仏識)として区別して阿頼耶識の上位レイヤに置き、全体を九識とする天台宗などの流儀もあります。ここで注意すべきは、これら各レイヤのはたらきは実在するものではなく、時系列に沿って生成消滅する現象で、特に阿頼耶識での現象は瞬間的に発生する現象とされているようです。この点で、心が実在するものと考える唯心論とは根本的に異なっています。
以上のことから、唯識において、仏教での修行は、簡単に言ってしまえば、末那識の働きを最小限に抑えるために行うものではないかと理解しました。また、「自分とは何か?」という問いに対する答えは、阿頼耶識に蓄積されている情報、簡単な言葉で言えば、過去に経験し考えたことの集合体が自分であるということになるのではないでしょうか。
最後に、例によって唯識の理論をコンピュータに例えてみましょう。まず、唯識で論じている内容は、物質的存在ではないのでハードウェアではなく、ソフトウェアの機能であることに気づきます。したがって、前五識は入出力装置からの信号を処理する機能です。第六識の意識は信号処理機能から/への信号やデータに基づき処理をする入出力情報処理機能です。第七識の末那識は、一定基準のバイアスに従って情報を取捨選択したり変形するとともに第六識の処理情報が危険情報の場合には身を守るための割込み処理を実行します。一定基準のバイアスにはエゴイズムが含まれます。第八識の阿頼耶識は、データベースおよびDB管理機能とともに、第七識までの全体を制御するOSの役割を果たします。時々刻々入力される意識の処理情報や末那識の処理情報はすべて阿頼耶識のデータベースに格納され、制御に使用されます。
以上のように唯識をコンピュータの機能に例えることができるということは、今後、AIを人工知能から人工意識に進化させていく動きの中で、ひとつの有力なモデルになり得ることを意味し、実際にも唯識モデルを参考にして人工意識開発のアプローチをしようというアイデアも出てきているようです。今後のAI開発の動きを興味をもってみたいと思います。
あとがき |
AIが人工知能から人工意識に進化していくことは、必ずしもいいことばかりではないように思われます。通信内容によって疎通を制御することは私たちの常識からは大いに外れていますが、最近頻発しているスパムメールやフィッシングメールなどの迷惑メールの疎通を自動的に遮断してくれることは有難いことだと思います。AIが人工知能から人工意識に進化すると判定精度が向上することが期待できますが、その反面、検閲に悪用することも可能になり、一定の考え方のメールの疎通を自動的かつ意識的に遮断することも可能となり、言論弾圧が容易になると思われます。現に、一部の外資系のIT事業者では既に単語ベースの検閲を行っていて、映像配信の停止やメールの受付を拒否するケースもみられるほか、k-unetから会員の皆さんへのメールの疎通に支障が出ることも起き始めています。当面は運用によってカバーしますが、場合によっては会員の皆さんにご協力をお願いすることもあると思います。その折には、よろしくお願いします。
マンスリーレター次号は 京極 雅夫 副代表が担当します。
以 上
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