連載コーナー




 
四 季 雑 感(52)  
 
樫村 慶一
  
残り火が つきる前に・・・

 

 私の生まれた1930年は分かりやすい年号配分である。今年は2020年、生まれてから何年経ったかは小学校1年生でもわかる。 ”よわい”を重ねるということは、神経的(思考、運動両面)、肉体的、本能的(注)に弱ってくることだ。後どのくらいあるのか分からないが、せめて残り日を楽しく笑って過ごしたいと思っているが、いたずらコロナ坊主が邪魔をするのが癪にさわる。それはそれとして、本号では、歳をとったたら後々の為にやっておいた方がいい、と思うことを私の経験から披露しようと思う。

 (注)5大本能とか言われる、名誉欲、出世欲、性欲、物欲、食欲。まだ食欲は快飲快食中。)

1.お墓を作ること

 すでにお持ちの方、田舎の実家の墓に入るつもりの方は無視して頂きたい。練馬区の大江戸線豊島園駅前に11軒のお寺が並んでいる。大正12年の関東大震災で下町で焼け出された浄土宗のお寺が集まって移転してきたお寺団地である。17年前に豊島区へ引っ越してきた私達夫婦は、ある春の午後、散歩の折このお寺団地の前を通りかかった。一軒のお寺の前に石屋が机をだして一生懸命お墓の売り出しをやっていた。すでに結婚して家を出ている娘達に、将来墓を作らせるのは可哀そうだから自分達で作っておこうと、その場で契約した。しかし後で考えたら、もう少し宗派のことを研究すべきだったと後悔した。なぜならば、浄土宗にはジェネリックともいうべき浄土真宗がある。新しい信者を獲得するには、入信条件を元祖より簡素化しなければならないので、それなりに簡略化されている。すなはち、浄土宗は南無阿弥陀仏を10回となえれば極楽へ行けると言うのに対し真宗は1回でよい、戒名は前者が最低4文字から布施額に応じて院号まであるのに対し、後者は全部で3~4文字、(釋と尊の間に本名の字を1~2つ入れるだけ)、前者は塔婆を立てるしきたりがあるが後者にはなし、と経済面で大きな違いがある。更になにより大きな違いは、前者は女人禁制だが後者は色恋自由になっていることである。いずれ要るものだから、まだの方は、精々研究されるといいと思う。

2.古い写真の整理

 K-unetの会員は全員が昭和生まれだと思う。だとすると、アナログ時代の写真がたくさんあると思う。それらはプリントされたものが何冊ものアルバムに貼られて、戸棚やクローゼットのかなりのスペースを占領しているに違いない。子供や孫になると、親や爺さん婆さんの写真にはあまり興味を示さない。そこで、私はアルバムから剥がして1枚ずつスキャンし、パソコンに取り込んで年代順に整理した。70冊のアルバム処理を気の向くままに、気長にやったのでほぼ2年かかった。スキャンなのでピントが甘くなるので、鮮明にするアプリを買った。

 剥がした写真は、燃えるものなら何でも引き受けてくれるお寺が都内だけで数か寺あり、お焚き上げと称して、ダンボール1箱を3000円~5000円のお布施で処分してくれる。私は神楽坂のお寺に頼む。例年6月に祈祷会があり、埼玉県の所領?に運んで焼くのである。あとで証拠に焚き上げ現場の写真と証明書を送ってくる。朝日新聞社の関連会社が、スキャンしてくれるサービスをやっているが、アルバムに張った写真の上の透明フイルムの上からスキャンするので、鮮明度が落ちるのと、1枚1枚のスキャンではなく1ページ全体なので、後の始末がしにくいのでやめた、料金も高い。

3.戒名の授戒

 これは是非とか絶対という話ではなし、常識的でもない。でも「生前戒名の進め」なんていう本もある。お通夜の日に付ける戒名の方がずっと高い布施(15万円~30万円位)が入るのにと思うけど、何故かお寺は推奨する。私は二つの理由により一昨年につけた。一つは、上記に書いたように安く済むこと。娘達に負担させなくても済むようにとの思いである。もう一つは、自分の好きな名前で作れることである。私の生涯の趣味の源泉であり、心身の研鑽の場でもあった「ラテンアメリカ」をもじったものにしたかったからである。浄土宗は4文字(〇〇信士、信女)から院号の付く10文字くらいまである。院号居士となると生前戒名でも100万円はかかる。生まれた時の新しい名前が僅かな手数料だけなのに、使うことなどない死後の名前が何十万円もするのが不思議でならない。さりとて戒名がないと寺が葬儀をしてくれないので、こればっかりは仕方がない。私が作った理想戒名の一字が浄土宗では使えないと住職が苦情を言ってきた。それじゃ止めるといったら、私の裁量で認めましょうと手の平を返した。戒名は住職の専決事項だそうだ。こうしておけば、死んだときにはお寺へのお経料だけですみ、葬儀は随分と経済的に上がるという寸法である。今は”現世と来世”両方の名前を背負って生きている。

4.遺言の作成

 作ろう作ろうと思っていても、なかなか腰が上がらないことの一つに遺言作成がある。自分はまだまだ生きていけるという自信というか、そんなものはまだ早い、縁起が悪いという思いか、いずれにしても思いだけで動かないのは、結局億劫だからだと悟った。娘が公証人役場の予約をしたのでやむなく出かけた。そして、あまりにも簡単でかつ費用が安いのに驚いた。これこそが、まさに「百聞は一見に如かず」の例えそのものである。

 初回は顔合わせである。遺言の内容は大きく分けて、不動産と金融資産に分けられる。不動産については、評価額が証明されるものが必要なので、何が必要かあらかじめ電話で聞けばよい。金融資産については何もいらない。銀行名、証券会社名を口頭で告げるだけで、金額は不要である。それはそうだ、遺言を作った後でも預金の出入りがあるからだ。役場の書記の小母さんに、不動産は誰に、〇〇銀行は誰に、▲▲銀行は誰に、と告げる。配分率は法定遺留分を考慮しなくても決められる(侵していても有効)。公正証書遺言の効力は絶対で裁判の判決同様の効力があるので、配分率に同意できな場合は遺言無効の民事裁判を起こさなくてはならない。差をつけるのはそれなりの理由があるわけで、相続権があるのにゼロのような場合を除き、面倒なので何とか納まるものだと公証人は言っていた。

 以上が主文になり、贈与者に事故や死亡などで変動があった場合のために「予備的遺言」、いわゆる第2案も書ける。そして、なぜそうゆう風に分けたかの理由と言うか心情を述べる「付言事項」という欄があり、言ったことを書記が書いてくれる。、親に孝行した子供とそうではない子供とで、差を付けた親の気持ちが伝わるという塩梅である。以上は全部口頭でしゃべればよい。数日すると下書きをメールで送ってくれるので、細かい字句の修正まで含めても2~3回のメール往復で完成し、次回訪問を予約。

 2回目は実印を持って役場へ行けば、役場で用意した保証人という年寄りが二人待っている。保証人屋ともいうべき人間で、過去に法曹業界にいた隠居老人のアルバイトである。遺言書の読み合わせをしてこれで結構となれば本人、二人の保証人が実印を押して終わり、10分も待つと遺言書本文、謄本の2通が出来上がり、原本は役場で保存してくれる。封もなにもしてないので、公正証書遺言は原則オープンだ。原本が公証人役場にあるので、誰に見せても改ざんされる恐れはないし、秘密にするかどうかは依頼者の自由ということである。

 費用は思ったほどかからない。料金は不動産価値と相続人の数で決まる。マンションの場合は土地面積が小さいので比較的安くすみ、(金融資産の額は関係ない)保証人2人の謝礼14000円(一人7000円)を含めて10万円以内で収まる。今年7月から個人遺言書の扱いが若干簡素化されるというが、裁判所へは2度行かなくてはならないし、面倒くさい。それに引き換え公証人役場はあちこちにあるし、自分ですることはなにもない。私は、公正証書が一番簡単だと思う、億劫がっている方は、是非今年は思い切って腰を上げられてはいかがかと思う。

5.物品の始末

 90年も生きてくると雑多な品物がたまってくるのは仕方がないことである。問題は、それらをどう始末をつけるかだ。本、新聞記事・雑誌のスクラップ、趣味の中南米の民芸品コレクションなど雑多である。民芸品は愛着があってなかなか始末ができない。東京へ出てくる際に、競売とか人に譲るなどして随分処分はしたが、まだまだ残っている。本当は1か所に纏めて引き取ってもらいたくて、適当な場所を探したがうまくいかない。やむなく、まだ居間に飾ったままになっているものがかなりある。いよいよ先行きが見えてきたときに、友人知人を集めて形見分け会でもやろうかなどと考えているが、まだいいかと踏ん切りがつかない。まだはもう、という言葉があるので、先読みを誤らないようにしないと、と気は使っているのだが。結局娘に後始末を頼むことになる恐れも十分ある。

 私なりに考えた終活は上記のようなことである。残った物は娘の手には負えないだろうから、その道のプロに任せることになるだろう。目の黒いうちに出来るだけのことはしておいてやろう、というのは親馬鹿の類かもしれない。

 (2020.3.1 記)