連載コーナー




 
四 季 雑 感(56) 
 
女を乗せた特攻機  敗戦4日後の満州における悲劇
 
樫村 慶一

 
 この話を読んで、なんと言ってよいのやら、当時の緊張した時代を少しだけしか知らない私には、”えーー 本当かよ”と、しばし茫然となった。戦時中の軍歌には替え歌がいくつかあるが、その中でよくでてくる歌詞で 「女を乗せない・・・」と言うのがあり適宜歌詞を挿入するのだが、まさにその真逆をいったのだ。
始めて知った。

 最近読んだ本で「関東軍 神州不滅特攻隊」の若い将校が2人、それぞれの飛行機に女を乗せてソ連軍戦車に突っ込んだという衝撃的記事を読んだ。昭和20年8月⒚日、敗戦から4日後のことで、ソ連軍へ降伏するため南満州の大虎山航空隊から11機の残存飛行機(97式戦闘機を改造した練習機)を錦州飛行場へ移送し、ソ連軍へ引き渡す命令を受けた若い少尉達が、命令に反して特攻を敢行し、そのうちの1機は新婚の妻を、もう1機は恋人を載せてソ連軍戦車に突っ込んだ、という話である。

 21歳から26歳までの若い将校をここまで駆り立てたのは、8月14日に同飛行場を飛び立った偵察機の乗員が、ソ連軍戦車隊による日本人に対するすさまじい蛮行を目撃したからである。「葛根廟事件」と言われるこの虐殺事件は、日本人移住者の婦女子約2500人が集団で避難しているのを丘の上から発見したソ連戦車隊が、ウサギを追うように戦車で次々とキャタピラーに巻き込み草原に無残な光景を描きだしていた。これを上空から目撃した乗員が基地に帰り報告した。この乗員は数少ない加藤隼戦闘隊の生き残りで操縦技量、偵察能力にすぐれたパイロットだ。⒚日の特攻隊の実質的指揮官である。基地のある大虎山付近にはより多くの日本人居留民がいるので、このままでは大変なことになると思い、ソ連軍に敢然と立ち向かう決断を下したのだ。
 そのための機会は集団でまとまった飛行をする19日しかないと考えた。昭和20年8月19日夕刻、大虎山飛行場には最後の飛行を見送ろうと大勢の日本人が集まっていた、その中に日傘を差した二人の白いワンピースを着た女性が飛行機のそばに立っていた。だれもがただの見送りと気にしなかった。軍用機ましてや特攻機に女を乗せるなんて最高の軍規違反である、が、すでに戦争は負けたのだ。男と女のどちらから言い出したのかは分かるよしもないが、新婚の夫も、将来の夫かもしれない少尉も断り切れなかったのだろう。将校の妻には帰還列車に優先乗車の権利があったのを放棄したのだ。計画を知った基地司令官が、「ソ連軍に突っ込むなんて重大命令違反だ、貴様ら11機が体当たりしても露助はビクともせん、無駄死だ」と声を荒げた。これに対し11人は「無駄だと言う理由で特攻を止めるなら、今まで散った仲間に合わせる顔がないじゃないか」と答え、葛根廟の悲劇を知っている皆は、「この体当たりでたとえ少しの時間でもソ連軍の南下を食い止めて、少しでも多くの帰還者が無事に南へ逃げられるよううにできれば本望だ」と答えた。
 11人は白い鉢巻をしめ、エンジンを始動させたその時、先ほどの二人の女性が、喧噪の隙をつき日傘を捨ててさっと搭乗した。それを目撃した人々が「女が乗ったぞー」と口々に叫んだが、その声はプロペラの音と小旗を振る群衆の歓声にかき消された。二人の女性は搭乗機の中で身を屈め群衆から見えなくなった。しかし後年、生き残りのH少尉が書いた手記「学鷲の記録、積乱雲」によると、どちらかの女性の黒髪がなびいていた、と書かれている。離陸後、飛行方角が違うのに不審を持った残留飛行兵が行き先を悟り、跡を追おうとしたが、もう大虎山飛行隊には飛べる飛行機は1機もなかった。11機が到着するのを今か今かと待っていた錦州飛行場では、ソ連軍に突入するとの連絡を受け、びっくりして隊長みずから飛行機で大虎山にやってきた。事情を確認して直ちに北方の空へ飛んで行ったが、ついに、11 機の攻撃の痕跡は発見できなかったという。

 敗戦後、女を乗せた特攻機ということで、元軍幹部たちは彼らを切り捨ててきたが、紆余曲折を経て敗戦から12年目の1957年(昭和32年)に靖国神社に合祀された。さらに1967年(昭和42年)5月になり通称世田谷観音に「神州不滅特別攻撃隊」の碑が建てられた。しかし、新妻の死については、ずっと生死不明のままだったので葬式できないでいたが、色々な人たちの証言や協力により、1970年(昭和45年)になってようやく夫と同じ日付けの死亡告知書が県から届けられた。そして敗戦後25年もたって晴れて妻として同じ墓地に収まることができた。一方、恋人同士の結末は何も知らされていない。故郷に正式な婚約者がいたので遺族が話したがらなかったためであった。 
 この話は、単なる昭和の秘史とか夫婦愛の美談とかではなく、戦争が生んだ残酷な悲劇的な運命の物語といえよう。しかし、女を乗せない特攻機に、女性が乗っていたなんて、確かに悲劇ではあるが、カーキ色一色の世界に紅の雫を2滴も垂らし、前人未踏の艶模様を作ったことは、大和撫子の愛の強さを改めて知らしめ、軍神もやはり人間であったということの証であろう。
おわり
 (2020.7.1 記)

 <参考:角川文庫 豊田正義著 妻と飛んだ特攻兵より>