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 会の紹介
 最近の会

 

 

 

 

会の紹介

 41会とは、昭和41年入社組で41会(しじゅうひとつかい)と言います。
 昭和41年は不況の真っ只中で、採用人数は業務系、技術系合わせて11名と少数でした。そのためもあって、同期のまとまりが当初から非常に良いです。
 また電話系は当初24名いましたが、訓練期間中ほぼ一緒だったこともあり、電話系、業務系、技術系と合わせて同期会を作ることになりました。
 会の名前は「しじゅうひとつかい(始終一つ会)」と呼ぶことになっていましたが、専ら「よんいちかい」と呼んでいます。

 


最近の会の模様

 

41年度入社の同期会
<大川典久さんの墓参>

 

 私どもは昭和41年入社組で通称41会(しじゅうひとつかい)と言います。
 同期会を長らく続けるのは結構なエネルギーを要するのですが、歴代の幹事さんたちの努力のお陰で大所帯での交流を続けております。
 かつては年一回の七夕の夕食会、秋のハイキングなど企画していましたが、コロナでも2か月一度の“zoom meeting飲み会”で交流を続けてきました。

 悲しいお別れもありました。3年前7月10日技術系の大川典久さんが亡くなられました。
 そのころは疫病初年度でしたのでお墓参りに伺う事も控えておりました。そしてコロナが収束に向かい始めているこの時期にようやく実施にこぎ着ける事になったのです。
 外での行事は3年ぶり、首を長くして待っていた墓参のため、男性7人、女性8人(大川夫人を含め)計15人が集まってくれました。

 7月7日、文京区関口の大泉寺に参集、あの暑さの中、一同汗をふきふき墓前に額ずいたのですが、小さな蝉の抜け殻が墓石に張り付いていたのを奥様が見つけられ、「あら、主人が来ているのかしら」という一コマが!きっと大川さんも参加されたのでしょう。

 

 墓参後の直会では、男性群からの大川夫人に心温まるプレゼントがありました。

〇入社当時の御殿場での合宿時の集合写真を各自に配って下さった方。
 34人の清々しい若者達が写っています。懐かしくて見入ってしまいました。

〇かつての41会での大川氏の素敵な写真をフアイルにして奥様にプレゼントなさった方。

〇PC持参で懐かしい画面を見せてくださった方。
 奥様は大感激!ご家族も喜ばれているようです。

 奥様は各テーブルを親しく回られ、この日をきっかけに一区切りついたとの感想を述べられていました。思い出話などがあちこちから聞こえた心温まる交流の中で大川氏への良いご供養ができたのではと一同喜んでおります。
 私どもは気持ちだけは若いのですが80歳前後の集団ですから、時間配分・暑さ対策・坂や階段の多い関口台町を歩くに当りケガや事故など懸念材料はありました。しかしお陰様で何事もなく済みほっとしています。皆さんまだまだお元気で嬉しい限りです。

41会幹事:北野志津子

 実は現在のk-unet HPに41会を紹介下さったのは大川さんでした。
 深い感慨を覚えます。

※ アーカイブサイトに大川さんの取りまとめによる41会の実施報告記事が写真とともに掲載されています。左コラム(スマホでは下端)のリンクバナーをクリックしてご覧ください。

 

ー 哀 悼 ー
哀悼のページに同時掲載しています)

 
小さな胡瓜 ・・・ 静寂の間際に

 

もう役立つ薬がなく治療することはできないと、病院で言われた。自宅に戻り、家族の皆に看病してもらっていた。

治療薬がないとは何事だろうと、アメリカのサイトをあさり、やっと新薬を見つけた。
ぜひ使いたいと医者に乞うと、未承認薬を使う訳にはいかないと、にべもなかった。

あの日、「庭に小さな胡瓜ができているので、食べてみますか?」と妻が問うた。
いつになく浮き浮きとした気分になり、「食べてみよう」と言った。
すごく暖かい気持ちになり、それまでの激しい痛みが消えていくようだった。
小さな胡瓜をつみ、支度してくれている妻を楽しみに待っていた。

真っ青な明るい空へ、晴れ晴れとし全く痛みのない体が空気の様に浮き、のぼり始めた。
妻が枕元に近づいてきたようにうっすらと見えた、お盆にのせた小さな胡瓜と。

大川典久君の墓参後に奥様からいただいたお話をもとに

ご逝去を悼みつつ  ・・・巻田文男