名曲ピックアップ

 
ドビュッシー 
小組曲
リバーオークス室内合奏団(ヒューストン)
指揮:アラステア・ウィリス
 
カーロ・バルザレッティ, 熊谷邦子 (ピアノ連弾)

Claude Achille Debussy (1862-1918)
Petite suite
River Oaks Chamber Orchestra
cond. Alastair Willis
 
Carlo Balzaretti, Kuniko Kumagai
(Pf, four handed piano performance)
 
 
 
 印象主義の創始者であるドビュッシーの小組曲はドビュッシーの作品の中ではあまり印象主義手法を用いていない平易で爽やかな名曲です。ピアノ連弾のために作曲されましたが、友人のビュッセルによって管弦楽曲に編曲されています。今回は欲張って両方を聴くことにします。編曲版は少しマイナーですが、ヒューストンのリバーオークス室内合奏団の演奏で、オリジナルのピアノ連弾のほうは楽譜を見ながら聴くことにします。
印象主義音楽の書法については、長調と短調の曖昧化や平行5度などの不協和音の多用などが挙げられますが、今回はあまり関係ないので、詳しくは別の機会に譲ります。
 
(楳本)
オールディーズコーナー

 
松任谷由美 ー人気曲メドレー
     
JAZZコーナー

 
Benny Goodman - Greatest Hits
 

 

ラテン音楽のお話し (No.3)  

 

by Kuno Joaquín Casimilla

 

タンゴ ~ ア・メディア・ルス A media luz 淡き光に

 

 今月はタンゴです。タンゴには2種類あるのはもうご存知だと思います、一つは1928年にヨーロッパから入ってきた、コンチネンタル・タンゴです。1920年代にアルゼンチンからフランスに輸入されたタンゴを、ヨーロッパ人が演奏しようとしたが、バンドネオンの難しい操作がうまくこなせず、タンゴ独特のザッザッザというスタッカートが出せない。そこでバンドネオンの代わりにアコージョンを用い、スタッカートの部分を柔らかく丸めてメロデイー主体のタンゴにしたのが日本で言うコンティネンタル・タンゴです。もう一つは、言わずと知れた本場アルゼンチン・タンゴです。前者の方が日本に来たのは速いのですが、本場アルゼンチン・タンゴのリズムとテンポの歯切れの良さが日本人の心を捉え、日本は世界で本場についで、2番目にアルゼンチン・タンゴ・フアンの多い国と言われるようになりました

 アルゼンチン・タンゴといえば、泣く子も黙る、じゃないが、時の大統領の名前は知らなくても、この曲を知らない人はいないと言う 「ラ・クンパルシータ」 が代表ですが、この作曲者はアルゼンチン人ではなく、エラルド・エルナン・マトス・ロドリグエスと言うウルグアイ人です。 だからという訳ではないのですが、今回ご紹介するのは、ラ・クンパルシータではなく、「ア・メディア・ルス」と言う抒情詩的タンゴです。
 なぜこれを選んだかというと、第一回でも申しましたが、私の大好きなタンゴで、かつ歌詞が電話に関係しているからです。それは電話番号の部分に秘密があるからです。ただ、これを知っている人は、タンゴの解説者を自尊している人でも知らないと思います。私もKDDの友人のKさんに聞いて知ったのですから。事実、大学でラ米音楽を講義している東大の先生も知りませんでした。ブエノスアイレス人もほとんど知らないと思います。

「ア・メディア・ルス」
 例によって題名の意味から入りましょう。A media luzの、ア は英語の to とか for に当たる言葉ですが、それ以外にも沢山の意味があります。mediaは半分、という意味で、luzは 光です。mediaの反対の”全部”にすると、”真昼のように明るい”というような意味ですが、半分というのは、”ぼんやり、とか”ほのかな” という意訳で、”淡き”、とも同意義です。a がないとただの ”淡き光” になってしまい情緒がありません、 a が”に”に当たります。それでは「ア・メディア・ルス」の”秘密”の部分までの歌詞を対訳で紹介しましょう。

<ア・メディア・ルス>

(注1)1階は、プランタ・バッハ(木の下)と言って階とは言いません。2階から1階、2階、3階と言います。
(注2)ポルテーロは管理人ですが、日本のマンションの管理人より多彩な業務をこなします。
(注3)古い伝統を持つ家具店。KDD事務所の近くにあったが1980年代の超インフレ時代に倒産しました。
(注4)原文は「答える電話」ですが、ここでは、”すぐ出る”と訳しました。
(注5)ブエノスアイレス市の電話自動化は、この曲ができる前年の1923年なので、慣れていない人が多かった。temorは恐怖、不安などの意味ですが、ここでは、遠慮なく、と言うような意味だと思います。 
                      
 このタンゴは、作詞カルロス・レンシ、作曲エドアルト・ドナートで1924年(大正⒔年)にできた曲です。この歌詞には主人公がいません。娼婦(多分高級?)の部屋を彷彿させるもので、当時のアパートの中の様子をうかがい知ることができるものとして有名です。1924年当時にこの部屋に、前年の1923年に自動化が始まったばかりの自動電話があったということは、職業柄?必要としたとしても、また社会構造が違うと言っても、アルゼンチンの先進国ぶりが想像できます。
 日本の電話自動化は、アルゼンチンより11年早い、1912年(明治45年)に京橋局からです。然しその後の普及は遅く、一方1923年に始まったブエノスアイレス市の自動化は4年後の1927年には市内中心部は殆ど自動化されていました。

 そこで、秘密の話です。電話番号が フンカル(Juncal)局1224番となっています。この曲の舞台のコリエンテスと言う通りは、両側がアルゼンチンの経済社会文化活動の中心地です。(政治活動の中心地と隣接している)。ブエノスアイレス市の写真に必ず出てくる広い7月9日通りと十字路を作り、その真ん中に四角の尖塔(オベリスコ)が立っている通りです。丸の内のような環境で、かっての東京銀行の支店もコリエンテス420番地にあります。偶数番地ですから凡そ40米離れた並びです。
 作詞者は、この地域がブエノスアイレス市内で最も重要な地域ですから、すでに自動化されているのは知っていたと思います。電話番号を1224とした理由は分かりません。しかし、電話局名はコリエンテスとしたかったと思いますが、歌詞1番の冒頭にコリエンテスと言う言葉がでているので、同じ言葉を2度使うのを嫌ったのだと思います。そこで、自分が住んでいる地域の電話局名フンカルを付けたものと思われます。しかし、この時はフンカル局はまだ自動化されていませんでした。 しかし、コリエンテス地域にフンカル局の名前がでてきても、特に気する人はいなかったでしょう。フンカルという場所は7月9日通りの北の端近くで、コリエンテス地区から約2キロ離れています。凡そ30年後にエビータが永眠するような、特権階級の霊廟があるレコレータ墓地に近い、閑静な高級住宅地域です。つまりこの曲ができた頃はすでにコリエンテス地域の電話は自動化されているし、歌詞もそのように書いているのに、電話局名はわざわざ他所の地域の自動化されていない電話局の名前を付けたフィクション、つまり事実ではないことを書いたということです。最も歌詞全部がフィクションだと思えばどうということはありませんが。この歌詞の矛盾に気がついたKさんは、かってアルゼンチン電気通信公社=Entelに、コリエンテス局とフンカル局の自動化の時期について確認したと言っていました。 ささやかだけど、Kさんと私以外誰も知らない、有名なタンゴの歌詞の ”フィクション”のお話です。 おわり

では、また 次号まで ( つづく A continuación )

2020.8.1

 

 

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