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 島崎陽子の

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美術散歩
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第40回

 

紅茶物語~アフタヌーン・ティーへようこそ~(1)

 

 絵画を鑑賞しながらアフタヌーン・ティーを楽しみましょう。2回に渡り紅茶のお話をさせていただきます。

1. 紅茶のルーツをさぐる

ジョン・ロバート・ディックシー
ウェイトレス(1872)
ロイヤルパビリオン 蔵
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 お茶それ自体もお茶という言葉も中国を源として、2つのルートで世界各地へと広がっていきました。シルク・ロードのようにティー・ロードがあり、陸路と海路がありました。

広東語:CHA チャ →陸路 日本語 ロシア語 韓国語 モンゴル語 ヒンディー語 ペルシア語 アラビア語 トルコ語 ギリシャ語 ポルトガル語(マカオを統治していたため) 

福建語:TAY(TE) テー →海路 オランダ語 英語 ドイツ語 フランス語 スペイン語

2. お茶の発祥はどこか? 中国です。

・中国の伝説ではBC2737年、農耕の神様が木陰でひと休みした際に湯を飲もうとすると、風が吹いて、はらりと木の葉が湯の中に落ち、その香りの素晴らしさに、この飲み物がすっかり気に入ってしまいました。

・BC202年に始まった前漢時代には、薬の一種として既に飲んでいたのではないかといわれています。カフェインやカテキンが疲労回復、老化・ガン防止に利く、有効成分まで分からなくても、人間の知恵で、体によい飲み物であることは分かっていたのでしょう。このあとヨーロッパ大陸へ渡りお茶ブームが起きるまでには、15-17世紀前半にかけての、大航海時代の到来を待たねばなりませんでした。

・日本でのお茶の起源 

 ヤマ茶自生説と中国・唐からの渡来説があります。国内に広めたのは禅僧たちで、臨済宗をひらいた栄西(1141-1215)が宋からお茶の種を持ち帰り栽培しました。著書「喫茶養生記」でお茶の効用をのべ、お茶を広めるのに大きな役割を果たしました。

3.紅茶の木と緑茶の木??

アレクサンダー・ロッシ
アフタヌーン・ティー(1878)
個人蔵
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 お茶にもさまざまな種類があり、また製造過程や味わい、形状などによって細かくわかれます。

 たとえば緑茶なら…煎茶 玉露 番茶 釜炒り茶 かぶせ茶、みな同じ茶の木の同じ葉からになります。製法の違いで紅茶にもなります。昔の人々は緑茶と紅茶の木が別々にあると考えていました。

緑茶:摘んだ葉を蒸してからもんだ不発酵茶

紅茶:完全に発酵させた発酵茶

ウーロン茶:この中間で発酵を途中でやめた半発酵茶

 発酵するにつれて色が褐色に変わっていきます。紅茶が英語でBlack Teaと呼ばれるのも納得します。ロシア語では「黒いチャイ」といわれています。なぜ日本では黒茶ではなく紅茶なのか、日本人の色彩の審美眼といえるでしょう。四季にめぐまれた日本は自然の色合いも豊かで、それを表現する言葉もまた豊富です。最初は「赤茶」と呼ばれていました。茶の木はツバキ科ツバキ属の永年性常緑樹です。大別すると緑茶向きの中国種と紅茶向きのアッサム種に分けられます。

中国種:葉が小さく背も低い 寒さに強く、中国や日本で栽培。

アッサム種:葉が大きい 10mを超すものもあり 寒さに弱く、インド、スリランカ、アフリカ等々、熱帯や亜熱帯で栽培。

 今、世界中で収穫される葉から造るお茶の8~9割は紅茶となり、緑茶は少数派です。世界で飲まれているお茶は圧倒的に紅茶です。

4.紅茶王国インド

メアリー・カサット
お茶(1880)
ボストンミュージアム 蔵
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 今や紅茶の産地は、インドを筆頭にスリランカ、インドネシア、アフリカ諸国と広がっていますが、インドは生産量、消費量ともに世界一でまさに紅茶王国です。三大産地:アッサム、ダージリン、ニルギリとそれらのお茶についてご紹介いたします。

〈アッサム茶〉アッサムはインドの北東部になります。ヒマラヤ山麓の広大な平坦地です。熱帯モンスーン気候が強い日光と多量の雨をもたらし茶葉の生産に適しています 葉が大きく味が濃くミルクティーにもっとも合います。平坦地のため大規模経営ができ生産量も多く、生産量の約半分を占めています。1823年イギリス人がやってきて野生に生えている茶の木を発見したことに始まります。イギリスはすでに支配が及んでいたインド各地で栽培を試みるようになり、そのインドから1838年紅茶がロンドンに到着します。それまでは中国から紅茶を輸入していましたが需要が増えるにつれて、イギリス領インドで作るようになりました。こうしてミルクティーにすると味がよくなり、イギリス人に欠かせない飲み物になっていきました。インド人が日ごろ飲む紅茶もアッサム茶です。

〈ダージリン茶〉高級茶としてしられています。ダージリンというのはチベット語で「雷といなづまの土地」という意味です。風光明媚で観光や登山で知られています。保養地としても知られ1835年イギリスがシッキム王国から割譲、避暑地として町を開いたことに始まります。標高世界3位の霊峰カンチェンジュンガ(8586m)の勇姿がそびえたち、その神々しさは霊験あらたかな山として知られています。日中は強い日差し、朝夕は気温が下がる、標高差や気温の差、夏の多量の雨、冬の霧、これらが香りのよい良質なダージリン紅茶を生み出すもとになっています。

 茶摘みが年に3回行われ、風味の異なる紅茶が作られていきます。

① 3月中旬~5月中旬 ファーストフラッシュ(春摘み)さわやかな味と香り 

② 5月中旬~6月 セカンドフラッシュ(夏摘み)茶摘みシーズン 

③ オータムフラッシュ(秋摘み)味がもっとも熟成する時期 

 今日ダージリンティーは「紅茶のシャンパン」と称されていて、最高級の品質、繊細な花の香り、深い琥珀色、豊潤な味わいを醸し、オークションでダージリンティーは世界一の高値で売れるそうです。

〈ニルギリ茶〉ニルギリはインド南部の丘陵地帯 「青い山々」の意味 青い山々に茶園が広がっている 生産量はアッサムに次ぎます。さわやかな香りが特徴となっています。

 以上が、インドの三大産地になっています。

 ここで《紅茶と玉露》の二人の名人をご紹介いたします。これまで説明してきましたように、摘み取った葉を発酵させたり、発酵を止めたりと、製法の違いによって、紅茶が生まれ、緑茶も生まれることがわかりました。その製法は、いったいどれほどちがうものなのか、そこにはどんな工夫や苦心があるものか、その違いを、身をもって実感した二人のお茶づくりの名人のお話です。

 バナジーさん。ダージリンでもっとも歴史の古い茶園のひとつマカイバリ茶園のオーナーです。 バナジーさんのもとに日本食ブームの影響もあり「緑茶、玉露がほしい」と注文がくるようになりました。「インドの茶葉で玉露を作り、世界市場に広めたいので、この玉露の手もみ製法を教えてほしい」とバナジーさんは日本人の山下さんという人を知り山下さんに頼んできました。緑茶は茶葉を、製造の何段階にもわたって手でもみますが、山下さんの作る玉露は、山下さんの手もみがすこぶる上等と、評判でした。この山下さんという方は、京都府京田辺市で最高級の玉露を作る山下壽一(としかず)さん です。バナジーさんはこの山下さんのもとにやってきて、玉露作りの名人山下さんの玉露製茶技術研修工場へ体験入門、でも短期間で習得できる技ではないので、山下さんにダージリンへきてもらいました。山下さんはバナジーさんの茶園に泊まり込み、玉露作りを伝授。でも本物の玉露の完成までにはいたりませんでした。なぜ玉露ができないのか。「緑茶の一番の特色は蒸すことにあります。玉露は木の成長を抑えるために日光をさえぎるように被覆する。自然の良さをいわば逆手にとり(成長を止めて)自分の思っているものを作るのが玉露。バナジーさんのやっている有機農法はこれとは逆だからできない」ということが分かりました。

 バナジーさんの茶園は、化学肥料をいっさい使わない有機農法、日光をわざわざ少なくあて、成長をおさえるなんて考えられなかった。それでも山下さんは訪れたマカイバリ茶園で、たくさんのインド人の茶園労働者の前に、玉露作りの手本を実践して見せました。山下さんの手もみ製法は、ひととおり終わるのに約6時間かかる重労働。結果的に玉露ではありませんが、釜煎りによる緑茶メード・イン・マカイバリができるようになった。

 このバナジーさんは、イギリス留学中にバイオダイナミック農法を知ったことが転機となり有機農法を行っています。バイオダイナミック農法への理解を広めたいと来日して講演活動をし、日本とのつながりを深めています。

5.紅茶をひろめたオランダ人

パウル・グスタフ・フィッシャー
インテリア(1914)
個人蔵
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 紅茶をヨーロッパでいち早く生活の中に取り入れ、流行という言葉が当てはまるほど普及させたのはオランダ人でした。いったいなぜオランダは、ヨーロッパの中でいちはやくお茶に親しんだのか、その背景を知るためには当時の世界史をひもとく必要があります。

 1607年オランダ船が相当量のまとまった中国茶をヨーロッパに初めて運び込み販売を始め、1610年平戸からジャワ(インドネシア)のバンテンを通じて日本茶(緑茶)を運びました。茶の本家でルーツ、茶の木の原産国は中国です。四川省の山岳地では不老長寿の薬のように飲まれていました。初めは茶葉を蒸してもんだだけの緑茶が主体でしたが、ウーロン茶や紅茶も生産されるようになっていきます。ヨーロッパ市場に登場した茶は、中国産で独占状態でした。日本はまだオランダとの貿易を始めていなかった時代です。

 日本の茶と中国の茶との違いは、日本が茶道や茶の湯に象徴されるように茶の文化を作り上げたことです。飲み方も、日本は抹茶といって粉状にしましたが、中国は茶葉を熱湯の入ったボットに入れ葉を残しました。

 16世紀末にオランダ人が書いた「東方案内記」の「ヤパン(日本)島について」から一部をご紹介いたします。「彼らは食後にある種の飲み物を飲用する。これは小さなポットに入った熱湯で、それを夏でも冬でも耐えられるだけ熱くして飲むのである。…このチャと称する薬草の、ある種の粉で調味した熱湯、これはひじょうに尊ばれ、財力があり地位のあるものはみな、この茶をある秘密の場所にしまっておいて、主人みずからこれを調整し、友人や客をおおいに手厚くもてなそうというときは、まずこの熱湯の喫することをすすめるほど珍重されている。かれらはまた、その湯を煮立てたり、その薬草を貯えるのに用いるポットを、その飲むための土製の碗とともに、我々がダイヤモンドやルビーを尊ぶように、たいそう珍重する」

 当時のアジアですが、当時のアジアは中国、日本のみならず、インドネシアやマレーシアなど、東南アジア一帯をふくめて、ヨーロッパから見るとあこがれともいえるほど豊かであり、欲しいものもいっぱいあったということにも注目する必要があります。アジアは十分に豊かで繁栄していた。インドネシアでは、13世紀末~16世紀まで栄えたマジャバイト王朝ですが、最盛期の版図は、マレー半島からフィリピン南部にまでおよんでいた。アンコールワットを築いたカンボジアのクメール王朝も同様です。最盛期にはベトナムまで広大な地域を配下におさめ、栄華をきわめました。余剰米を出すほど米作りに成功し、農民の生活はとても豊かなものだったと言われています。

 当時のオランダはヨーロッパの中心で強国でした。ヨーロッパの貿易品は香料、絹、綿製品、砂糖でしたが、それらを上回るようになっていったのがお茶です。買い付け先は中国だったので緑茶が大半でした。明の茶器や日本の茶の道具も運ばれていきました。お茶は高級品で、貴族や金持ち階級の人々にしか手が届きませんでしたが、17世紀後半普通の人々の間にも広まっていきました。1679年、オランダの医師が言っています「毎日お茶を8-10杯ほど飲むことを提唱する。200杯飲んでも害はない」 この発言でお茶の愛好者たちにおおいに支持され、茶貿易発展に寄与、ジャワに茶園を開いて茶の生産に本格的に乗り出すようになります。中国や日本を経由する必要がなくなり、庶民にも手が届くようになっていきました。

 ティーを楽しむ貴婦人たちの興味深いお話をご紹介しましょう。アムステルダムで上演されたというコメディーからの一場面です。「午後2時か3時、ティ(茶会)に招かれたお客がやってくると、女主人はうやうやしく迎え、あいさつを終えると、客は足下を暖める足ストーブの上に、足を乗せてすわります。ストーブは夏でも使われたそうで、ヨーロッパの夏は今ほど暑くなかったのでしょう。やがて女主人が運んでくるさまざまなお茶を吟味しながら飲むのですが、その飲み方といえば、客たちは茶碗に入ったお茶をいったん受け皿に移し、その受け皿から、大きな音をたててすすったのです」

 今の私たちは、音をたててお茶をすするのは行儀の悪いことだと理解しています。ところが当時のオランダでは、音をたててお茶をすするのは、当時のオランダではお茶を供してくれた主人への感謝の表現で、礼儀正しいしぐさと考えられていたのです。茶会での話題は、お茶と出されたケーキに限られ、婦人たちは、10-20杯のお茶を飲んですごした。オランダでは茶にのめりこむあまり、家庭を顧みない人々もあらわれ、茶のために多くの家庭が崩壊しました。茶は単なる飲み物を超え、東洋へのあこがれをともなったファッション、流行現象であったのです。

 1648年、オランダはウェストファリア条約によって完全にスペインから独立を認められる。この条約は1618年からの宗教戦争(30年戦争)を終わらせるためのものででした。皮肉にもオランダは、この頃を境に衰退に向かう。アジアの富によって栄え、茶を愛好した通商国家オランダの栄光は、イギリスにとって代わられます。

 次回は、紅茶が広まったイギリス、ニッポン紅茶が生まれるまで、紅茶の効用についてご紹介いたします。

(2025.9.1)

 

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