ロココ様式とは、フランスのルイ15世(1710-1774)が王位に就いた1715年頃からフランス革命の始まる1789年の間にフランスの宮廷を中心に花開いた文化様式です。それまでの、スケールが大きく権力と財力を誇示するようなバロック様式が陰りはじめ、ロココ様式へ移行していきました。ここでは磁器からみたロココ様式をご案内いたします。ロココ様式で磁器のデザインに求められたのは、優美さ、女性らしさ、流れるような曲線でした。ロココ時代になると、カップのハンドルもC字やS字を描くような曲線で装飾も少なくなり、すっきりとした印象に変化します。その分、磁器で製作した花などが器の装飾に使われるようになりました。
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花模様の刺繍 ☞ 画像をクリックすると大きく表示します。
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ロココスタイル ディナーセット ☞ 画像をクリックすると大きく表示します。
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1.花
ロココ時代になると、花のモチーフはヨーロッパの花々が中心になります。最も人気の花だったのが、薔薇です。薔薇はギリシャ神話で、愛の女神アフロディーテが誕生する時に舞っていたとされ、愛と美の女神の象徴的なモチーフとなりました。そのため、女性たちが主宰するサロンで薔薇の器を使うことは、マダムの美をさらに輝かせる、とっておきのアイテムになりました。また薔薇はキリスト教では聖母マリアの花とされ、純潔の薔薇とも呼ばれていました。永遠の神性と純潔、神への愛の象徴…絶対王政の宮廷の中で薔薇の食器を使うことは、神や王へのリスペクトにもなったのです。
マリア・テレジア(以下、M・T)もロココ様式の愛好者でした。父のローマ皇帝カール六世(1685-1740)から譲られたバロック建築のシェーンブルン宮殿の内装を、ロココ様式にリノベーションします。宮殿内を飾るためのロココ様式の磁器を求めます。M・Tの時代、ウィーンにはオランダ出身の武官パキエが1718年、マイセンから職人を誘致し、磁器焼成に成功し立ち上げた民間の窯がありました。パキエ窯で働き、のちにマイセンに移籍したのが絵付師ヘロルトです。ヘロルトは絵具やデザインの原画などをすべて持ち去りました。生産不能に追い込まれM・Tにより国家に買い上げられ「ウィーン窯」と呼ばれるようになりました。窯印としてハプスブルク家の家紋である盾のマークが使用されるようになる。息子の結婚披露宴のテーブルは、ウィーン窯の食器で豪華に飾られた。
ウィーン窯が薔薇好きであったM・Tのために捧げ、現在まで継承されているデザインがある。その名も「M・T」。狩猟の館アウガルテン宮殿のディナーセットとしてM・Tに贈られた作品には、18世紀に狩猟のシンボルとされていたもみの木の緑色だけで描かれた美しい花束が描かれていました。現在絵柄は六柄が継承されている。ブーケの真ん中のメインフラワーにはそれぞれ、M・Tへの思いが込められていた。薔薇は愛情、ひな菊は希望、ドッグローズ(イヌバラ)は喜び、水仙は尊敬、菫は誠実、麦わら菊は思い出や感謝…まさにM・Tの人生に捧げられた花束です。
2.花文字と紋章
花を愛したロココ時代の人々は、「花文字」も愛用しました。花文字とは、王侯貴族のイニシャルがモノグラム化されたもので、アルファベットの大文字が装飾され、文章の最初や刺繍に用いられました。美しく装飾された花文字は、その人物の権威や趣味の豊かさをアピールするモチーフでした。飾り皿用として磁器で作った小さな花のバーツで花文字を作る凝った作品も時には見られました。
そしてもちろん紋章も大切なモチーフとして扱われました。紋章は国家、王侯貴族個人やその家系、血統を識別する目印でした。そのため王侯貴族の権威を象徴する大切な役割を持ち、最も高価な食器に描かれました。紋章には他家と同じ紋章の使用の禁止という暗黙のルールがあるため、工夫が施されました。とくに鷲、獅子、百合は、高貴なモチーフでした。
鷲の図案は古くから権力の象徴とされ、まだ紋章という概念がなかった古代ローマ帝国でも皇位の印として使われていました。ローマ帝国にかかわりの深い家系は、鷲の紋章を継承しました。逆に反ローマ帝国は鷲を使わず獅子を好みました。ローマ帝国にかかわりがある王朝のハプスブルク家は双頭の鷲を使用、同じくローマ帝国の後継を自称するロシア帝国の国章も双頭の鷲です。獅子は英国、オランダ、ボヘミア、デンマークなど数多くの国で採用されました。そして百合はフランス王家の紋章となりました。百合はキリスト教で、受胎告知における大天使ガブリエルの象徴とされ、聖母マリアにも関連するシンボルで、獅子とともに王権の象徴ととらえられました。白磁に金で描かれた鷲や獅子、百合の紋章。一見シンプルに見える器が実はとても高貴な器なのです。
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ニンフェンブルク窯ロココスタイル ☞ 画像をクリックすると大きく表示します。
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イタリアンフルーツのティーセット リチャード・ジノリ ☞ 画像をクリックすると大きく表示します。
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3.天使
天使とは天と地をつなぐ存在であり、神の使者です。羽を持つものは天に昇れる存在として、天使、そして羽そのもののモチーフは格が高い食器に描かれ、崇められました。識字率が高くなったヨーロッパでは天使を描いたり、彫刻したりする際に有名な天使にはそれとわかる特徴が施されました。上級天使のセラフィムは体と脚がなく(羽で隠されている場合もある)、こちらは四つの羽と本を持ちます。スロウンズは顔の下に車輪があり、羽は二つです。上級天使は聖書の中で人間と接する機会があまりなかったため、磁器や絵画のモチーフになることは稀でした。中級の天使も同様にあまり描かれることのないモチーフでした。食器のモチーフとして人気だったのは下級天使。エンジェルはラッパを吹いたり、竪琴を弾いたり、花を持ったり、聖人の周囲を飛んだりいろいろなシーンで愛用されました。
私たちの多くが、天使を見間違えてしまうのが、弓矢を持つキューピッド。キューピッドは天使ではなく、ローマ神話における愛の神。背中に羽をつけた子ども、あるいは少年の姿をしています。プシューケーも天使に間違えられやすいモチーフです。プシューケーは、ギリシャ神話の登場人物で、人間から女神になった設定。背中には蝶の羽が描かれました。天使のモチーフはフィギュアのモチーフとしても大人気でした。
4.フルーツ
ヨーロッパに異国のフルーツが紹介されたのは、大航海時代による貿易の幅が広がってから。しかし茶と異なり、フルーツは賞味期限が短く、かつ15世紀は冷蔵庫もなく、暑さや湿気で輸送中に腐ってしまうことも多かったため、完璧な状態で持ち帰ることは困難でした。そのため美しい状態でフルーツを食卓に出すことは王侯貴族のステイタスシンボルになりました。英国王チャールズ二世はパイナップルやオレンジを、アン王女は洋ナシを、ロシアのカタリーナ二世はレモンやスイカ。それぞれ、広大なバロック庭園の中に温室を持ち、大好きなフルーツ栽培に勤しみました。そして瑞々しいフルーツを陶磁器に描いたり、造形したりすることも流行します。
フルーツひとつひとつの意味も大切にされました。葡萄はキリスト教でもっとも神聖な食べ物、イエスの血とされるフルーツ。豊穣や多産の意味も持ちました。洋ナシはその形から、ヴィーナスの涙ともいわれ女性に人気のモチーフでした。リンゴは、聖書の中でアダムとイブを誘惑する「禁断の実」として紹介されていますが、「万病の薬」としても長く楽しまれてきました。フランスでは1,682年にヴェルサイユ宮殿の敷地内に、ヴェルサイユに住む王侯貴族用としての食材を栽培する目的で作られた「王の菜園」が開設され、リンゴも栽培されました。当時は王に献上するために太陽の光を利用してイニシャルや紋章などの印をつけたマーキングリンゴと呼ばれる特別な装飾をされたリンゴも人気でした。
ドッチア窯を運営するジノリ家の二代目の当主ロレンツィオ(1758-1792)は友人から別荘で使用するディナーサーヴィスの注文を受けます。ディナーサーヴィスは家の格式を問う大切な食器ですので、本来はバロック様式で権威を誇示することが求められたのですが、「別荘」という本宅に招くより少数の親しい客人との晩餐の席に使用するものということで、ロレンツィオは、フルーツ柄の食器を提案します。トスカーナ地方で収穫される自慢のフルーツと、自然の花々が色とりどりに描かれたデザインは、のちの世に「イタリアンフルーツ」として受け継がれることになりました。現在受け継がれているフルーツと花のモチーフは100以上。色合わせには一定のルールがありますが、花やフルーツの種類の選択は絵付け職人に任されており、オリジナリティーにあふれる食器が生みだされています。
(参考図書『ヨーロッパ宮廷を彩った陶磁器』Cha Tea紅茶教室 河出書房新書)
(2026.3.1)