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  2025年

 

 NEW 田代 務さん
米国小学校における子女教育体験など
〜 会社サイト掲載の宇宙開発新時代過去ブログから 〜

 

  2024年

 

 田代 務さん
フライ・ツー・ザ・ムーン・アゲイン
〜月への宇宙開発新時代と通信〜

 

  伊藤英一さん
パトリツィア・ヤネチコヴァPatricia Janečkováに花束を
─ 若き歌姫の死とメディアの光 ─

 

  2023年

 

 森弘道さん
ミュンヘン・オペラフェスティバルに行ってきました

 

 

  2022年

坂口行雄さん

アニメ ー 花水木(秋の続編)

 

小林 洋さん(町田香子さん)

山口県の酒「獺祭」「雁木」裏話

 

坂口行雄さん

アニメ ー 花水木(本編 続編)

 

  2021年以前の投稿

 

 

☝上のバナーを クリックして アーカイブサイトで ご覧ください。

 


2025年の投稿

 田代 務一さんの投稿

 

 

米国小学校における子女教育体験など
〜 会社サイト掲載の過去ブログから 〜

田代 務

自身はひと昔前、主に企業テレワーク等に係わる関連ブログをA2A株式会社WEBに連載しておりました。先般これを読み返したところ、現在なお通用する部分があると思われたので下にリンクを示します。
また、右の表紙の画面をクリックするとビューアで全文をご覧になれます。


https://a1a.jp/report/columnrev.pdf    

 

おりしも米国では新大統領が就任、一方、日本では少数与党政局下での高校無償化の決議もあり子供達の教育環境の変化が気になります。

それもあってか米国在住時の次のような経験知見を思い出した次第です。

暇な折りにご笑覧ください。

特に下記ページはpdfの目次にて下線をクリックすると当該ページにジャンプします。また、下記の項目をクリックすると直接、当該ページが開きますので、拡大してお読みください。

16 主夫業も慣れたもの
17 テレビCMを作る
56 Star of the Week
59 米国のコミュニティカレッジ
97 大統領からの手紙
112 父さんとドーナッツ
113 Back to School Night
117 先生は褒め上手

 

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2024年の投稿

 田代 務一さんの投稿

 

 

フライ・ツー・ザ・ムーン・アゲイン
〜月への宇宙開発新時代と通信〜

田代 務

先日、「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」というラブストーリー映画を観て、1960年代の米ソ宇宙開発競争の頃が懐かしくなりました。
アルテミス計画では、日本人宇宙飛行士が月面に降り立つ日も期待されます。
そこで、過去の宇宙開発の歴史とともに月に関する科学や面白いお話をまとめた文書を次の2つのサイトに掲載しました。

https://a1a.jp/     http://a2a.jp/

 

その目次は次のとおりです。

1 1960年代の宇宙開発競争
• アポロ11号
• 米ソによる宇宙開発競争
• 月面撮影に使用されたTVカメラ
• 映画「フライ・ミー・ツウ・ザ・ムーン」
• アポロ11号月着陸のTV中継
• 当時の通信やテレメトリ等の方式
• 70年大阪万博での宇宙関連展示

2 月の歴史と環境
• 月の起源
• 月の昼夜や地球での潮の干満
• 百人一首に詠まれた月
• 月から見た地球
• 月の表と裏の2分性
• 月面環境 (重力や温度)
• レゴリス
• レゴリスの利用

3. 月探査の新時代
• 月探査ミッションの歴史
• 日本のSERENE「かぐや」
• 日本の小型月着陸実証機「SLIM」
• 月面基地の候補地
• 米国アルテミス計画
• アルテミスII号
• アルテミス計画での通信リンク
• アルテミス計画での使用周波数

お暇なおりにご笑覧頂き、間違い等あればご指摘頂ければ幸いです。

 

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メッセージもよろしく。

 

 

 伊藤英一さんの投稿

 

 .

 パトリツィア・ヤネチコヴァ Patricia Janečková に花束を

─ 若き歌姫の死とメディアの光 ─

伊藤 英一

目次
1 . 若き歌姫の死を悼んで
2 . オストラヴァそしてチェコの花が世界へ
3 . 小荘厳ミサ曲の小天使として
4 . モラヴィアの空を見上げて
5 . ビロードの歌声はアクセス禁止の国境を越えて
6 . パトリツィアの闘病に花束を
7 . 天使の翼とメディアの光
参考資料、参考サイト
PDFダウンロード
♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥
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☞ 伊藤英一さんへのメッセージ
 

 

 1 . 若き 歌姫ラ・ディーヴァ の死を悼んで

「悲しいニュースがチェコのクラシック音楽界にもたらされました。歌姫パトリツィア・ブルダ・ヤネチコヴァが25歳で早世したのです。(1)
 2023年10月8日、チェコ放送傘下の国際プラハ・ラジオのスペイン語放送は、その1週間前の10月 1日、日曜日に逝去した若き歌姫を悼んで31分8秒の追悼音楽番組を放送した。輝かしい未来を約束 されたかに思われた、歌姫パトリツィアの成功への飛翔が、余りにも唐突に中断されてしまった痛 みが伝えられた。
 どこまでも澄み切った、しかし優しいふくよかさにつつまれたソプラノで、彼女が朗唱するヨゼフ・ハイドン作曲のサルヴェ・レジナS a l v e  r e g i n a とアントニオ・ヴィヴァルディによる同曲名のサルヴェ・レ ジナが流された。ハイドンおよびヴィヴァルディの2大作曲家の手になるサルヴェ・レジナが捧げ られた聖母マリアの優しさとパトリツィアの歌声が渾然一体となったような深い憐れみを感じさせ る時空間となっていた。
 サルヴェ・レジナは聖務日課の終わりに歌われることが多い聖母讃歌とか元后讃歌と呼ばれる聖 歌であるが、パトリツィア・ヤネチコヴァが古楽器を主体に編成されたコレギウム・マリアヌムを バックに朗唱する音の響きが素晴らしかった。

 そんなスペイン語放送だけでなく、10月8日の国際プラハ・ラジオは、フランス語、ドイツ語、 ロシア語、英語の放送でも、多少の編集上のヴァリエーションを加えながらも、いずれも30分前後 の枠でパトリツィアの歌声と人となりを紹介する追悼音楽番組を流した。

 フランス語放送(2)では、スペイン語放送よりも多少ポピュラーな話題と曲も選ばれており、番組は パトリツィアが12歳だった2010年に歌った「Time to Say Goodbye」で開始された。これは、チェ コおよびスロヴァキア両国のテレビ会社合同開催によるコンクールであるタレントマニアで120万票を得て、1万人の参加者から勝ち抜きパトリツィアが優勝(3)した時のものである。もっとも、それ は冒頭のさわりのイントロだけで、パトリツィア・ヤネチコヴァへの追悼番組にふさわしい、彼女 の歌う聖歌をメインに置く流れに直ぐ切り替えられたのではあるが。
 パトリツィア・ヤネチコヴァ(Patricia Janečková)は、スロヴァキア人の両親の下、ドイツの バイエルン州ミュンヒベルクで、1998年に誕生した。しかし、生後3ヶ月で、父がチェコのオスト ラヴァに本拠を置くヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団のコントラバス奏者として赴任した 為に、一家もオストラヴァに同行。以来、パトリツィア・ヤネチコヴァは25年の生涯を乳癌により 閉じざるを得なくなった2023年10月1日迄、大半の時をオストラヴァで過ごしたのだった。彼女は 一昨年2022年2月に癌との診断を受け、苛酷な闘病生活に入ることを公表していた。亡くなる3ヶ月 前となった昨年の6月には、スロヴァキアの俳優ヴラスティミル・ブルダ(Vlastimil Burda)氏と 念願の結婚、パトリツィア・ブルダ・ヤネチコヴァ(Patricia Burda Janečková)と新夫ブルダの 姓も織り込まれた名前と変わった。
 フランス語放送では、2010年のタレントマニアに出場した時の思い出として、「歌うのが好き だったので、勝ち負けは大事ではなかった。未だ、子供だったこともあり、優勝した後は、カメラ やインタヴューに慣れていないせいで、大変だった。内気だったし、大人の人達とどう話して良い のかも判らなかった」との述懐も紹介している。
 その後で、パトリツィアの本領発揮の分野である、教会での歌声を流しての、30分14秒の放送時 間であった。

 ドイツ語放送(4)では、彼女がドイツで生まれたものの、オストラヴァで成長、ヤナーチェク音楽院 で学んだことに触れた後、オストラヴァにあるモラヴィア・スレスコ(シレジア)国立劇場でレ ナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」に出演、マリア役で喝采を浴び、来シーズン の主役となる演目も予定されていた彼女の死を伝えた。
 急逝した彼女の美しい歌声を思い出すよすが としてと、2019年に南モラヴィアのユネスコ世界遺産レ ドニツェ=ヴァルティツェ(ドイツ語ではアイスグルプ=フェルツベルク)で開催された古楽器 フェスティバルで彼女がコレギウム・マリアヌムと共演した折の録音が流され、29分56秒の番組と なった。

 ロシア語放送は「オペラ歌手のスターが消えた(5)」と報じ、2年にわたって癌と戦って亡くなった若い パトリツィア・ブルダ・ヤネチコヴァの死が、チェコ共和国に衝撃をもたらしたと伝えた。2014年 ローマで開催された国際典礼音楽歌唱コンクールで優勝、2016年にはチェコ・ボヘミア西部の温泉 都市カルロヴィ・ヴァリ(ドイツ語名;カールスバート)で開催されたドヴォルザーク歌唱コン クールで三つの賞を受けたパトリツィア・ヤネチコヴァを追悼した30分01秒の番組であった。

英語放送は、「日曜の半時間、今日の音楽の時は、少しaほろ苦いb i t t e r  s w e e tものです」と前置き、「オペラ界の輝く新進の星、パトリツィア・ブルダ・ヤネチコヴァは、25歳で癌に倒れました(6)」として、いき なり彼女の歌うサルヴェ・レジナを聴かせていた。番組は30分13秒で終了したが、最後の視聴者への慰めとして、「25歳だったが、彼女は録音・録画を永続的遺産として残してくれた」の言葉で締 め括られた。
 とはいえ、ハード媒体での記録は、CDが12年ほど前、タレントマニア優勝時に出されたものが 一枚とクリスマス・ソングを他の奏者と共に歌ったものが一枚、加えてスロヴァキア語の童話朗唱 が一枚あるのみで、最新の録音・録画技術を駆使したものが残ってくれていたらと切に願いたい。

 チェコの国際プラハ・ラジオの追悼音楽番組からは、スロヴァキア人の両親に守られドイツで生 まれたパトリツィアが、育ったチェコで暖かく迎えられ、惜しまれつつ亡くなった悲しみと哀悼が 伝わっていた。そこには、国籍や国境の制約が全く影を落とさない空気感も感じられた。 同時に、パトリツィアへの追悼音楽番組であり、30分前後と時間の枠がありながらも各々の言語 による番組の内容と選曲には差異があり、時間のずれに関して柔軟性があり、編成上の自由に幅が あることにも、興味が持たれる番組となっていた。

 尚、パトリツィア逝去の翌々日、2023年10月3日の国際プラハ・ラジオは、その3日後の金曜日6日に開催されるレドニツェでの音楽祭(7)は、パトリツィアに捧げられると報じていた(8)。ちなみに、レ ドニツェはドイツ語ではアイスグルプと呼ばれ、リヒテンシュタイン家ゆかりのワイン畑と史跡で 有名なところである。

 また、チェコ放送(Český rozhlas;ČRo)のディジタルによるクラシック音楽チャンネルである ČRo D-Dur は、2023年10月25日水曜日の午後8時から「Zpívá Patricia Janečková(9)(パトリツィ ア・ヤネチコヴァは歌う)」とのタイトルで、4時間に及ぶ長時間番組を編成放送した。「25歳で早 世したパトリツィア・ヤネチコヴァを偲ぶ最良の手立ては、録音を通して」と、ラジオ放送用録音 ストックからドヴォルザーク歌唱コンクールに於ける彼女の歌声等(10)を選曲しての番組だった。前半 はバロック音楽を中心に取上げたが、後半に入ってから、パトリツィアが素晴らしい声を披露して いるロッシーニの小荘厳ミサ曲(本稿 3 で取上げる)全曲を紹介した。

 続いて、一昨年(2022年)にスプラフォンのレーベルで発売されたCDから、パトリツィアが 歌ったクリスマス ・ ソングとして「Tichá nocテ ィ ハ  ノ ス 」を含む3曲を選び番組を閉じた。「Tichá nocテ ィ ハ  ノ ス 」は、 「静かな夜」との意味で、日本でも「きよしこの夜」としてお馴染みである。ザルツブルク近郊のオーベルンドルフで1818年のクリスマスに初演された賛美歌「Stille Nachtシュティレ ナ ハ ト 」は、オーストリアの 無形文化遺産としてユネスコが2011年に指定しているが、ボヘミアやモラヴィアでも19世紀半ばか らチロル民謡のように愛唱されて来た。 チェコ放送の音楽チャンネル名である「D-Dur」とは「ニ長調」を意味している。同時に、Dは神デウスD e u sの頭文字あることから、D-Dur とは神デウスD e u sの長調、即ち「神の調べ」を示唆している のであろう。オーストリア近辺では、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団を、そのドイツ語名 「Die Wiener Philharmoniker デ ィ  ヴ ィ ナ ー  フ ィ ル ハ ル モ ニ カ ー」の冠詞 Die と「ヴィーンの」を意味する Wiener をリエゾン風に続けて、ラテン語の Divinaデ ィ ヴ ィ ナ(神の)と同音同義のように呼ぶことを好む音楽ファンが多いのと同様 の感じを受ける。

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2. オストラヴァそしてチェコの花が世界へ

 国際プラハ・ラジオのフランス語放送では、番組冒頭にパトリツィアが12歳だった2010年に、 チェコおよびスロヴァキア両国のテレビ会社合同開催によるコンクールであるタレントマニアで優 勝した折に歌った曲で開始されたことを前の項で述べた。 その番組をインターネット上でストリーミングにより流すだけでなく、ニュース部分を文字で要 点を伝えると共に、番組で放送できなかった曲目をカヴァーするユーチューブ等をウェブサイトで 紹介している。それはフランス語放送だけでなく、他の言語による放送も同様であるものの、紹介 された曲目と曲順はいずれの放送も差異があり、自由に選ばれている。

 フランス語版(11)の紹介サイトでは、先ず、放送時には冒頭のさわりの部分だけに留められた 「Time to Say Goodbye(12)」を、ユーチューブで全曲視聴出来るようリンクを張っている。 次いで、パトリツィアが機械仕掛けの人形オランピアに扮して歌った「生垣には、小鳥たち (Les oiseaux dans la charmille)(13)」が紹介されている。ジャック・オッフェンバックの幻想的オペラO p e r a  f a n t a s t i q u e である「ホフマン物語」の第2幕で、機械仕掛けの粋を尽くした精華である人形オランピアにより 歌われる曲である。

 この「生垣には、小鳥たち」は、パトリツィア自身が2016年5月15日にユーチューブ上にアップ している。以来7年余り経過した2023年12月7日11:00JST(日本標準時)現在で視聴回数20,002,730 回と、2千万回を超えており、クラシック音楽では異例とも言えるヒット数を伸ばしている。上演 されたのは、2016年1月7日のオストラヴァ新春コンサートで、ヤナーチェク・フィルハーモニー管 弦楽団が共演している。指揮はマティアス・フェルスターであるが、当時パトリツィアは未だ17歳 であり、コントラバスを支える父君はさぞ嬉しかったであろうと思うと微笑ましい。機械仕掛けの 人形を生身の人間が演じるアンビバレントな魅力を見事に出している。機械仕掛けの人形そのもの を本当の娘(fille)のように錯覚させる可愛らしさ、コロラトゥーラやトリルの見事さは勿論とし てスタッカートの歯切れの良さをはじめとした歌い上げる技術の正確さ、声の清澄度と暖かさの融 合した素晴らしさ、と魅力に満ち溢れた逸品となっているところが世界の人々を魅了しているので あろう。同時に、そのコメント欄に世界各地から寄せられた1万4千を超えるメッセージから溢れ出 る、パトリツィアの早世を悼み、悲しむ声の多さに圧倒される。

(この「生垣には、小鳥たち」へのアクセス先は https://youtu.be/mVUpKIFHqZk

 第3曲目には、アントニン・ドヴォルザークが作曲した「ルサルカ(14)」から、水の精ルサルカが歌 う「月に寄せる歌」が掲げられている。人間の王子様との恋に落ちてしまった水の精のルサルカ。 はかなくも、危うい恋が成就したかに見えながらも、ルサルカ自身が人間の姿でいる限りは口もき けず、話すことも出来ない水の精の切ない悲しみを、月に訴える歌である。

 そして最後の4曲目にシャルル・グノーがヨハン・セバステアン・バッハの前奏曲に聖句「アヴェ・マリア(15)」を重ねた曲が紹介されている。

 スペイン語版では、フランス語版の4曲に「私のお父さん」1曲を加えた計5曲とし、その「私の お父さん」を2番目に紹介している。
 ジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ「ジャンニ・スキッキ」の中で、娘のラウレッタが父スキッキに「私のお父さん(16)(O Mio Babbino Caro)」と呼びかけながら、彼女の願いである、愛する彼と 一緒になる為の指輪を買い行きたいとの思いを歌い上げるアリエッタ(短いアリア)である。 

 ドイツ語版(17)は、パトリツィアが機械仕掛けの人形オランピアに扮して歌う「生垣には、小鳥た ち」の一曲のみに絞っている。 

 ロシア語版(18)では、バッハ=グノーのアヴェ・マリアに加え、「私のお父さん」、と「生垣には、小 鳥たち」の3曲が紹介されている。

 一方、英語版(19)では、「Time to Say Goodbye」、ルサルカからの「月に寄せる歌」、「私のお父さ ん」、「生垣には、小鳥たち」の順序で4曲が選ばれている。

 このように国際プラハ・ラジオがウェブサイトで案内しているユーチューブでのパトリツィアの 活躍を見てみると、25年の生涯を殆どオストラヴァで過ごした彼女がオストラヴァから、チェコ全 国に、更には地球全体、くまなく世界の各地から視聴者層の熱烈な支持と情熱的関心を集めている ことが判って来る。オッフェンバックのホフマン物語「生垣には、小鳥たち」への2千万回を越え る視聴者が受けたであろう感激、印象、哀悼を多様多彩な言語によるコメントの数々から読み解い て行くと、彼女の歌声の素晴らしさとその力の大きさと共に、ユーチューブのグローバル性も同時 に理解できる。
 だが、他方で、25歳で散った彼女、オストラヴァそしてチェコの花としてのパトリツィアが残し てくれた録音・録画に残された歌声そのものは素晴らしいものの、音質と画質には問題があり、記 録そのものも断片的なものが多く、その水準が彼女の真価を伝えるのにふさわしいものなのかどう か淋しく思える部分があることは否めない。

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3 . 小荘厳ミサ曲の小天使として

 ブルノのチェコ・フィルハーモニー合唱団はそのホームページ(20)で、合唱団の推奨演奏録画を掲げている。その筆頭に、ジョアキーノ・ロッシーニの「小荘厳ミサ曲(21)(La petite messe solennelle)」 が挙げられている。これは、同合唱団による2020年〜2021年シーズンの第4回定期演奏会の模様を 録画した1時間27分に及ぶものだが、この演奏会でソプラノのソロを担当したのがパトリツィア・ ヤネチコヴァで、彼女の素晴らしい歌声を思い起こす為の貴重な記録となっている。
 ジョアキーノ・ロッシーニ(22)は1869年、76歳の時にパリのパッシーで没している。その数年前の 1863年から1864年にかけて、アレクシス・ピレ=ウィル(Alexis Pillet-Will)伯爵の求めに応じて ロッシーニが作曲したのが「小荘厳ミサ曲」で、当時71歳、引退表明してから既に34年を経た頃の 作品である。 小荘厳ミサ曲は演奏時間に1時間半近くを要する大曲の部類に入るが、「小(petite)」との形容 詞が冠されているのは、オーケストラのような大編成ではなく、ピアノ2台とハーモニウム(リー ド・オルガン)1台によるコンパクトな小編成での伴奏を想定していたからである。この作品は、 発注者のアレクシス・ピレ=ウィル伯爵の館での私的な集まりで、法王庁大使も出席の下、1864年3月14日に初演されている(23)
 その小編成の伴奏により、逆にソプラノ、アルト、テノール、バスと合唱団による歌唱パート(24)の素晴らしさ、繊細さが際立つ場合もある。

 もっとも、ソプラノのソロによる部分である Crucifixus(クルシフィクス)および O Salutaris Hostia(オ・サルタリス・オスティア / ホスティア)の内、後者の O Salutaris Hostia は当初の小 編成による曲には入っていなかったと言われる。ロッシーニが後にオーケストラ編成の曲を用意し た際に、トマス・アクィナスによる O Salutaris Hostia の冒頭4行分に曲を付け、小荘厳ミサ曲に 加えている。以後、ピアノ2台とハーモニウムをバックとする小編成の場合も O Salutaris Hostia を含む形で演奏され、歌われるのが慣例となったとされる。
 この慣例の御陰で、ブルノのチェコ・フィルハーモニー合唱団による小編成の演奏でも、パトリ ツィア・ヤネチコヴァによるソロ独唱での O Salutaris Hostia を、Crucifixus に加える形で視聴す ることが出来たのだとも言えよう。 ここでは、まさに小編成のメリットである繊細さが生かされ、特にパトリツィア・ヤネチコヴァ のソプラノが際立っている。

(小荘厳ミサ曲のアクセス先は、https://youtu.be/CqrzmdevQSI である。ここで取上げたパトリツィア・ヤネ チコヴァ独唱の Crucifixus は、冒頭から45分29秒〜48分50秒、O Salutaris Hostia は1時間12分48秒〜1時間17 分54秒の部分で視聴出来る。)

 Crucifixus は、andante sostenuto(アンダンテ・ソステヌート)で、音を丁重に扱いながら歩 く速さで演奏される変イ長調の部分であるが、ピアノ伴奏の静かな下支えを受けながら、パトリ ツィアの伸びのある声が天上に届くかのように響いている。十字架上でキリストが受ける苦難と試 練の場が天上の世界に通じていることを確信させるようである。
 パトリツィアがこのパートを練習している模様の録画はチェコ語版(25)とスロヴァキア語版(26)双方のウィキペディアに掲載されており、後に英語版(27)にも追加されている。そこでの彼女は歌唱とメロ ディーの美しさそのものを楽しんでおり、十字架上のキリストの受難が大きく開かれた天上の門へ 繋がっていることを信じながら歌っているようだ。新約聖書の使徒言行録2-36にある、「あなたが たが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです(28)」とのペトロの説 教を体現するかの雰囲気が感じられる。
 文豪スタンダールは、彼の『ロッシーニ伝』の序文で、ロッシーニのことを「才気があり、何もかも笑いとばす男(29)」と描いており、案外、パトリツィアが練習している時のような明るい歌声が ロッシーニの本意に近いのかも知れない。 とは言っても、やはり演奏会本番で、パトリツィアが聴かせている清澄な響きの方が、魅力的に 思われる。

 O Salutaris Hostia は、「天の門を私たちの為に開いて、励まして下さる聖体に感謝します。追ってくる敵と闘う力をお与え、お救い下さい(30)」と祈るトマス・アクィナスが綴った冒頭の4行部分に、 ロッシーニは、andante mosso(アンダンテ・モッソ / 躍動して早めに歩くような速さ)でト長調 の曲を付けている。

 小荘厳ミサ曲の歌い手は、小天使に他ならないとロッシーニは言い、また使徒になぞらえたりも こな している。この小荘厳ミサ曲で、属音上の七の和音等を縦横無尽に使い熟して歌い上げ、アルペジ オで高音部に向かうパトリツィアの声は、まさに小天使になりきっている。
 もっとも、小荘厳ミサ曲を歌うパトリツィアを、真珠に例えるコメントもあり、頷かれもする が。
 3行目の「Bella premunt hostilia(追ってくる敵と)」との、少々好戦的にも受け止められるトマ ス・アクィナスの表現は、この曲を嘗て聴いた際には余り良い印象は持たなかった。しかし、パト し リツィアが、この演奏会の1年後から闘うことを強いられた敵がコロナ禍であり、更に引き続いて の病魔であったことを思えば、「Bella premunt hostilia(追ってくる敵と)」と朗唱する合間に置かれた無音の部分の重さが胸に迫って来る。頑張れと応援したくなる場面である。敵と戦うための援 軍と救いが差し伸べられ、快癒に向かう術はなかったのかと疑念も湧いて来る。

 パトリツィアは両親がスロヴァキア人の為に、スロヴァキア人として紹介されることも多い。ま た、パトリツィア自身も、自己紹介時にはスロヴァキア人と称することを好み、選択している。そのスロヴァキア出身のソプラノ歌手としては、1939年生まれのルチア・ポップ(31)が個人的な印象に 残っている。
 1968年4月14日の日曜日、ウィーン国立歌劇場でモーツァルトのオペラ「魔笛」が上演されたが、 その時、「夜の女王」役を務めたのがルチア・ポップだった。当時、彼女は未だ29歳で、パミーナ の母親役は一寸可哀想とも思った記憶がある。しかし、そのコロラトゥーラは素晴らしかった。
 ただ、その前日、1968年4月13日の土曜日、レナード・バーンスタイン指揮によるプルミエール 初日公演「ばらの騎士」は割れんばかりの拍手が鳴り止まず、観客の熱狂振りが凄かった。その余 韻が冷めやらぬ中の翌日の公演で、ルチア・ポップがパミーナの母親役を務めるよりも、前日の公演(32)にあったヴェルデンベルク侯爵夫人の役で彼女の声を聴いてみたかったと、贅沢にもあらぬ配役 をイメージしたりした。
 そんなルチア・ポップが、脳腫瘍の為に54歳で亡くなった時も早世と感じたが、25歳で逝去して しまったパトリツィアの若さは、余りにも苛酷なものに思われ、惜しまれる。

 2013年、15歳になったばかりの頃のパトリツィアは「誰を理想像としているか?」とのインタヴューに答えて、「音楽上のモデルと考えている人はいないけれど、オペラ界のスターだったルチア・ポップが大好きです。私たちの間に、もういらっしゃらないのが残念(33)」、と語っていた。 「何故、大好きなのか?」との更なる突っ込みに対しては、「ルチア・ポップのグローバル(全体 を包み込むようなとのニュアンス)な表現は、多くの面で美しい。彼女の歌は、軽くて、簡潔であると同時に、敏感で、優しく、やすらぎと幸せの感興を運んで来てくれます(34)」と、しっかり答えてい た。
 それから、10年目、まばゆいばかりの天才的な閃光をきらめかせながら25歳で亡くなったパトリ ツィアが、15歳の時点で、既に先輩のルチア・ポップの業績から、謙虚に、また懸命に学びとる努 力を払っていたことが推察できる回答だった。

 また、時系列的には時をさかのぼることになるが、2011年11月、13歳のパトリツィアが父君と共に雑 誌のインタヴューを受けた際、「将来の夢として、是非、歌いたい一曲は?」との質問に、「魔笛の 中で夜の女王が歌うアリアだ」と答えている。ただ、「うんざりする程、練習して、アリア中の最高音 F3もこなせるようになったけれども(35)」との話だった。「音楽でじけることはありますか?」 との質問に対して、パトリツィアは「Ne(Non;いいえ)」と即座に否定したのに加え、父君は「恐れるのも、敬い過ぎるのも駄目で、何事も挑戦と受けて立つのが大切(36)」と補足していた。

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4 . モラヴィアの空を見上げて

 パトリツィア・ヤネチコヴァの素晴らしい歌声を、ブルノのチェコ・フィルハーモニー合唱団演 奏会での小荘厳ミサ曲で視聴出来ることを、先の項で紹介した。

 ブルノはチェコ第2の都市であり、モラヴィア地方の中心地であるが、音楽の都ヴィーンまで高 ただよ 速道路 E461と A5で南下すると130km 程の至近距離であり、オーストリアの香りが漂う街でもあ る。逆に、オーストリア側から見れば、ドイツ語ではブリュン(Brünn;泉、源泉)と呼ばれるブ ルノの都市名どおり、泉湧く憩いの地なのだ。

 そのブルノを出て東南東に向かうと23km 程でスラフコフ・ウ・ブルナ(Slavkov u Brna)、ド イツ語でアウステルリッツ(Austerlitz)に着く。
 ブルノから東南の方角、数 km 足らずの一帯は、1805年12月、ナポレオン・ボナパルトが7万 3200人の兵力を擁するフランス軍の本陣を構えた場所である。その先、東方向は、アレクサンドル 1世とクトゥーゾフ総司令官が指揮する8万7千人のロシア軍に加え、腰は引けていたもののフラン ツ1世の擁するオーストリア軍が加わり、墺露連合軍は優勢を確保、兵力的には劣勢のフランス軍 と対峙した場所になる。

 1805年12月2日朝からの「アウステルリッツの戦い」の描写は、ロシアの大文豪トルストイの 『戦争と平和』を一読、再読+α回、読み直すことを薦めておきたい。史実に近いか否かの問題はさておき、正に血湧き肉躍る描写から味わえるダイナミックな小説の面白さは、『戦争と平和』を 読んでこそ味わえるものだと言える。サマセット・モーム(Somerset Maugham)、ジョン・ゴー ルズワージー(John Galsworthy)、ロマン・ロラン(Romain Rolland)、アーネスト・ヘミング ウェイ(Ernest Hemingway)を始めとした小説家が、世界第1級の作品と評価していることが腑 に落ちる。

 戦いに敗れ、重傷を負ったアンドレイ・ボルコンスキー公が、出血多量で意識朦朧となっていく中、それでも軍旗を手に、仰向けになったまま、プラツェンP r a t z e n 高地から見上げる空は、あくまでも高く、清らかで、寛やかだった(37)。そんな空を眺めていると、勝利で慢心し虚栄心にまみれたナポレオ ンが、とてもちっぽけに見えた。そのように描かれた紺碧の空は、プラツェン高地やアウステル リッツを包摂するモラヴィアに拡がる無窮の空である。 トルストイが描くモラヴィアに拡がる空に触れたからには、フランスの文豪スタンダールの描い た『パルムの僧院』の話を避けては通れない。 「アウステルリッツの戦い」から下って、ほぼ9年半後のことになる。『パルムの僧院』に描かれ る、侯爵家のうら若き青年ファブリスは、崇拝するナポレオンがエルバ島を脱出したことを知り、 1815年6月18日のワーテルローの戦いに向け、フランス軍に組みするべく馳せ着けようと試みる。 未だファブリスが16歳半ばから17歳にかけての頃であった。しかし、フランス軍は敗れ、故郷イタ リアの景勝地コモ湖周辺は敵方オーストリアの保護下に入ってしまった。そこで、ナポレオンの共 鳴者と見做され逮捕投獄されることを恐れての、ファブリスの逃避行と恋の遍歴が始まるのであ る。ファブリスの老恩師が語る、「(恩師は司祭に昇任されなくて、かえって良かった)もし司祭に なっていたら、モラヴィアの丘の牢獄、シュピールベルクに行く運命だったのだ(38)」との回想は、 ファブリス自身にとっては身近に迫った恐怖であった。「(ファブリスが官憲に)見つかったらコモ湖畔からシュピールベルク一筋道(39)」を辿らざるを得ない窮地に立たされていた。

 このように、スタンダールは『パルムの僧院』の中で、モラヴィアのシュピールベルク城塞を牢 獄として描いている。それから125年程後の第2次世界大戦中、シュピールベルク城塞は、ナチスド イツの秘密国家警察ゲシュタポ(Geheime Staatspolizei)により利用された時期もあった。

 しかし、シュピールベルク(ドイツ語で Spielberg、チェコ語では Špilberk)とは、ドイツ語の 意味では「遊ぶ(Spiel)山(berg)」であり、楽しく遊ぶ野山なのだ。事実、シュピールベルクは ブルノの市街を眼下に望み、周囲に拡がるモラヴィアを一望に眺められる景勝の地である。
 シュピールベルクを軍事拠点として利用することは1959年に廃止、ブルノ市立博物館として改装 され、本来の「遊ぶ(Spiel)山(berg)」との意味に近い場所に戻りつつある。

 更に、2000年からは、夏になると、シュピールベルク城塞の庭園でシュピールベルク音楽祭 (Festival Špilberk)(40)が開催されるようになった。
 2019年8月14日から22日にかけて開催された第20回シュピールベルク音楽祭では、その初日にパトリツィア・ヤネチコヴァがブルノ・フィルハーモニー管弦楽団と共演している。
 エクトル・ベルリオーズの「夏の夜(Les Nuits d’été)」から「田園詩(Villanelle;牧歌)」、フ ランツ・レハールの「ジュディッタ(Giuditta)」から「私の唇は…(Meine Lippen Sie Kussen so Heiss)(41)、オッフェンバックの「ホフマン物語」から「生垣には、小鳥たち(Les oiseaux dans lacharmille)」等、パトリツィアの十八番おはこがプログラムに選ばれており、特にレハールの曲では、彼女の声の潜在性の高さが示されていたとの評価であった(42)。また、この日と同様のメンバーとプログ ラムで、8月24日、ドイツ・ベルリンのブリツァー庭園で野外コンサートが開催されており、楽団の人達に夏休みの無い様子も伝えられている(43)

 2019年から2020年初頭にかけては、オストラヴァ、ブルノ、スロヴァキア、ポーランド、ドイツ と、パトリツィアの超過密スケジュールが続いていた。本拠地であるオストラヴァの管弦楽団に加 え、プラハのスメタナ・ホールでは西ボヘミア交響楽団と、ポーランドではポズナン・フィルハー モニー管弦楽団等と共演し、素晴らしい躍進を示していた。 しかし、パトリツィアの飛翔する空が大きく拡がったかに思われた元気溢れる時期、2020年初頭 から、世界中がコロナ禍に席捲されてしまった。そのコロナ禍に前向きに挑戦しようと葛藤するパトリツィアの様子が、自宅の携帯ピアノで弾き語り、歌う姿(44)から覗われるのが痛ましい。

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参考文献
参考サイト

(1)

“Una triste noticia afectó el ámbito de música clásica checa. A los 25 años de edad falleció la diva Patricia Burda Janečková.”

Fallece la diva Patricia Burda Janečková a los 25 años de edad 08/10/2023

https://espanol.radio.cz/fallece-la-diva-patricia-burda-janeckova-a-los-25-anos-de-edad-8796249

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(2)

“« J’adorais chanter et peu m’importait de savoir si j’allais remporter le concours ou pas. J’étais encore une enfant. Après ma victoire, c’est devenu plus compliqué pour moi, je n’étais pas habituée aux caméras, aux interviews… J’étais timide et ne savais pas comment parler aux adultes », s’était souvenue Patricia Janečková dans un entretien.”

Musique : hommage à la jeune soprano Patricia Burda Janečková 08/10/2023

https://francais.radio.cz/musique-hommage-a-la-jeune-soprano-patricia-burda-janeckova-8796386

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(3)

2010年12月10日09:00ET(Eastern Time)放送の CNN は、12歳の、パトリツィア・ヤネチコヴァが チェコおよびスロヴァキアのタレントマニアで、最終投票120万票の内、53% を獲得して優勝したことを 報じたと記録されている。

“All right, now, an amazing performance in Slovakia. Take a look. Oh my goodness. Her voice is amazing and she is just 12. Patricia Janeckova is the winner of the Czech/Slovak Talents Mania television show. Some 1.2 million viewers took part in the final vote; 53 percent favored her and you can bet the music world is taking notice. My goodness.” CNN NEWSROOM Aired December 10, 2010 - 09:00 ET.

http://edition.cnn.com/TRANSCRIPTS/1012/10/cnr.01.html

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(4)

“Ihre Karriere begann sehr früh, sie endete aber viel zu früh. Die Opernsängerin Patricia Burda Janečková ist am vergangenen Sonntag im Alter von nur 25 Jahren an Krebs gestorben”

Tod mit 25 Jahren: Opern- und Musicalsängerin Patricia Burda Janečková 08.10.2023

https://deutsch.radio.cz/tod-mit-25-jahren-opern-und-musicalsaengerin-patricia-burda-janeckova-8796311

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(5)

“Погасла звезда оперной певицы Патриции Бурда Янечковой”

https://ruski.radio.cz/pogasla-zvezda-opernoy-pevicy-patricii-burda-yanechkovoy-8796312

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(6)

“Rising opera star Patricia Burda Janečková succumbs to cancer at 25. Soprano Patricia Burda Janečková was one of the bright lights of the opera world. Her young life and promising career were tragically cut short by cancer to which she succumbed at the age of 25. She died on October 1, 2023.”

https://english.radio.cz/rising-opera-star-patricia-burda-janeckova-succumbs-cancer-25-8796299

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(7)

In memory of Patricia Janečková 23. 10. 2023

cf. G. F. Handel - Acis and Galatea( HWV 49) https://youtu.be/8zNxWvQXJpY

Baroque Theatre in Valtice - Festival Concentus Moraviae( 2017)

https://www.collegiummarianum.cz/en/in-memory-of-patricia-janeckova/

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(8)

“Le Festival de Lednice consacre le concert de vendredi à la mémoire de la chanteuse Janečková 10/03/2023”

https://cesky.radio.cz/lednicky-festival-venuje-patecni-koncert-pamatce-pevkyne-janeckove-8796113

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(9)

“La chanteuse Patricia Janečková est décédée à l’âge de 25 ans et la meilleure façon de se souvenir d’elle est à travers ses enregistrements.”

Zpívá Patricia Janečková( Patricia Janečková chante)

https://d-dur.rozhlas.cz/zpiva-patricia-janeckova-9097361

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(10)

https://www.klasikaplus.cz/cro-d-dur-dva-prenosy-z-kralovehradeckeho-hudebniho-fora-a-nahravky- patricie-janeckove/

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(11)

Musique : hommage à la jeune soprano Patricia Burda Janečková 08/10/2023

https://francais.radio.cz/musique-hommage-a-la-jeune-soprano-patricia-burda-janeckova-8796386

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(12)

 Patrícia Janečková First Audition,12, Amazing Pure Tone So Beautiful!! | “TIME TO SAY GOODBYE” 

https://youtu.be/OfNul7LZCdc

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(13)

 Patricia Janečková ; “Les oiseaux dans la charmille”( Jacques Offenbach ; Les contes d’Hoffmann) 20,002,730回視聴 2016/05/15アップロード Jacques Offenbach : “Les oiseaux dans la charmille”( Les contes d’Hoffmann / The Tales of Hoffmann) Patricia Janečková, soprano - “New Years Concert in Vienna Style“ Janáček Philharmonic Ostrava, Chief conductor: Heiko Mathias Förster, January 7, 2016, Ostrava, Czech Republic.

https://youtu.be/mVUpKIFHqZk

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(14)

Patricia Janečková ; Antonín Dvořák, Rusalka - “ Měsíčku na nebi hlubokém”

https://youtu.be/8WrXtnCX_9g

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(15)

Patricia Janečková: J S Bach - Charles Gounod, Ave Maria.

https://youtu.be/GiNyV6AK7kM

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(16)

Patricia Janečková: Giacomo Puccini, O Mio Babbino Caro, Gianni Schicchi

https://youtu.be/Q5L3W_uzygU

cf. https://espanol.radio.cz/fallece-la-diva-patricia-burda-janeckova-a-los-25-anos-de-edad-8796249

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(17)

Tod mit 25 Jahren: Opern- und Musicalsängerin Patricia Burda Janečková

https://deutsch.radio.cz/tod-mit-25-jahren-opern-und-musicalsaengerin-patricia-burda-janeckova-8796311

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(18)

Погасла звезда оперной певицы Патриции Бурда Янечковой 08.10.2023

https://ruski.radio.cz/pogasla-zvezda-opernoy-pevicy-patricii-burda-yanechkovoy-8796312

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(19)

Rising opera star Patricia Burda Janečková succumbs to cancer at 25 10/08/2023

https://english.radio.cz/rising-opera-star-patricia-burda-janeckova-succumbs-cancer-25-8796299

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(20)

Czech Philharmonic Choir Brno

https://www.youtube.com/@czechphilharmonicchoirbrno626

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(21)

Českého filharmonického sboru Brno ; Gioacchino Rossini: Petite messe solennelle, 指揮;パオロ・ガッ ト(Paolo Gatto). 

https://youtu.be/CqrzmdevQSI

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(22)

Thierry Beauvert et Peter Knaup, Rossini : Les Péchés de gourmandise, Plume, Paris, 1997, 214 pp.

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(23)

Mario Nicolao ; La Maschera di Rossini, RCS Rizzoli Libri S.p.A., Milano, 1990.(マリオ ・ ニコラーオ、 小畑恒夫訳;ロッシーニ 仮面の男、音楽之友社、1992年、p.265)

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(24)

このブルノのチェコ・フィルハーモニー合唱団の演奏会では、Patricia Janečková がソプラノ、Monika Jägerová, がアルト、Aleksander Kruczek がテノール、David Szendiuch がバスを担当している。指揮は Paolo Gatto(パオロ・ガット;最終項の7項で改めて紹介する)。合唱は勿論、ブルノのチェコ・フィル ハーモニー合唱団である。 

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(25)

Patricia Janečková, G. Rossini, Petite Messe Solenelle, Crucifixus.

https://cs.wikipedia.org/wiki/Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1

https://cs.wikipedia.org/wiki/Soubor:Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1_-_G._Rossini_-_Petite_Messe_ Solenelle_-_Crucifixus.webm

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(26)

https://sk.wikipedia.org/wiki/Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1

https://sk.wikipedia.org/wiki/S%C3%BAbor:Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1_-_G._Rossini_-_Petite_ Messe_Solenelle_-_Crucifixus.webm

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(27)

https://en.wikipedia.org/wiki/Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1

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(28)

聖書 新共同訳;使徒言行録 2-36、日本聖書協会、1989、p.(新)216.

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(29)

スタンダール、山辺雅彦訳;ロッシーニ伝、1992、みすず書房、p.4.( Stendhal ; Vie de Rossini suivie d’un Dilettante, Cercle du Bibliophile, Genève, 1968.) cf. マリオ ・ ニコラーオ、小畑恒夫訳;ロッシーニ 仮面の男、音楽之友社、1992(Mario Nicolao ; La maschera di Rossini, Rizzoli Libri, 1990, Milano, 240pp.)

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(30)

トマス・アクィナスによるラテン語原文では、O salutaris Hostia / Quæ cœli pandis ostium / Bella premunt hostilia / Da robur, fer auxilium( Amen)と歌われ、フランス語では、Ô réconfortante Hostie / qui nous ouvres les portes du ciel / les armées ennemies nous poursuivent / donne-nous la force, porte-nous secours と訳されたりしている。これを、不肖は、「天の門を我らの為に開いて、励まして下 さる聖体に感謝します。追ってくる敵と闘う力をお与え、お救い下さい」と意訳してみた。

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(31)

 cf. Lucia Popp, Brigitte Fassbaender, Nicolai Gedda, Dimitri Kavakos, Choir of King’s College- Cambridge, Stephen Cleobury( direction), EMI, 1992.

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(32)

 尚、1968年4月13日の「ばらの騎士」でヴェルデンベルク侯爵の夫人(Die Feldmarschallin / 元帥夫人) の役を演じたのは、クリスタ・ルトゥヴィッヒ(Christa Ludwig)だった。

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(33)

 “Je n’ai pas de modèle musical particulier, mais j’aime beaucoup la star de l’opéra slovaque Lucia Popp, qui n’est malheureusement plus parmi nous”

https://operaplus.cz/ucitel-a-zak-aneb-eva-drizgova-a-patricia-janeckova-v-jaromericich-nad-rokytnou/

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(34)

“Son expression musicale globale est d’une beauté à bien des égards. Son chant véhicule une sensation de bien-être et de bonheur, il est léger, simple et à la fois sensible et doux. C’est un baume pour l’âme.” ibid.

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(35)

 “Il y en avait un, mais j’en avais marre. C’était l’air de la Reine de la Nuit de La Flûte Enchantée, où la note la plus haute est F3. Et c’est vraiment assez élevé. J’ai même commencé à le chanter. Cela a fonctionné, mais c’est toujours difficile pour moi.” Alena Uhlířová ; Patricia Janečková + Martin Janeček,, : Cizojazyčné texty se učím foneticky jako básničky, 27. 11. 2011.

https://www.topzine.cz/patricia-janeckova-cizojazycne-texty-se-ucim-foneticky-jako-basnicky

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(36)  (“ Son père Martin Janeček) Nous ne devrions pas créer de peurs ni de respect. Tout doit être pris comme un défi.” ibid.

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(37)

Léon Tolstoï ; La Guerre et la Paix, Livre Premier, Chapitre XIX, No 66 de La Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1978, pp.369-373.

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(38)

スタンダール、大岡昇平訳;パルムの僧院、新潮文庫、新潮社、1951、p(. 上)246. (“ Mais tout a été pour le mieux. ...) si j’eusse été curé à Brescia, ma destinée était d’être mis en prison sur une colline de la Moravie, au Spielberg.” Stendhal ; La Chartreuse de Parme, No 13 de La Bibl

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(39)

 iothèque de la Pléiade( Stendhal ; Romains II), Gallimard, 1977, p.173.「d de lac de Côme au Spielberg.” ibid. p.176.

cf. 伊藤英一;情報社会と忘却権─忘れることを忘れたネット上の記憶─ in『 法学研究』第84巻第6号、 慶應義塾大学法学研究会編、平成23年6月、pp.161-208.

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(40) https://www.facebook.com/SpilberkFestival/

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(41)

 下掲の録画は、ブルノでの演奏ではないが、2016年1月7日オストラヴァ新春コンサートでの記録を参考 までにメモしておきたい。

cf. Patricia Janečková ; Meine Lippen”( Franz Lehár - Giuditta)

https://youtu.be/pzF3ubtimGE

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(42)

 “Dans l’air de Giuditta tiré de l’opérette du même nom de Franz Lehár, la soliste dont on se souvient a encore mieux démontré son potentiel vocal.”

http://www.musicfriendlycity.cz/feature-articles/reviews/dance-and-romance-at-the-opening-of-the- spilberk-festival

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(43)

 “Brno’s Music Scene Doesn’t Go on Holiday – Špilberk International Music Festival Coming in August”

https://brnodaily.com/2019/07/04/culture/brnos-music-scene-doesnt-go-on-holiday-spilberk- international-music-festival-coming-in-augus/

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(44)

 “2020/04/17 The time we are experiencing is unique and specific in many ways. That requires an original and uncoventional approach for artists who want to keep in touch with their audience. That’s why I pulled out my picnic version of the grand piano and accompanied myself to Rossini’s song La Danza.” Patricia Janečková ; La Danza”( Rossini)

https://youtu.be/Xy4bFpaGnII

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(45)

 Clément Vérité; State-owned Czech Radio Blacklisted in Russia, Newsendip. July 20, 2021.

https://www.newsendip.com/public-czech-radio-prague-international-blacklisted-in-russia-2021/’

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(46)

 “Russia blocks Radio Prague International’s website on its territory、 07/17/2021”

https://english.radio.cz/russia-blocks-radio-prague-internationals-website-its-territory-8723337

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(47)

 “The Russian agency says the article violates Russian laws by speaking about suicide in positive terms.”

https://english.radio.cz/russian-service-radio-prague-international-blocked-russia-over-20-year- old-8723440

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(48)

 Laura Andrieu ; Vingt-cinq ans après le « divorce de velours », Tchèques et Slovaques conservent des relations exemplaires, le 28/10/2018.

https://www.lefigaro.fr/international/2018/10/28/01003-20181028ARTFIG00023-vingt-cinq-ans-apres-le-divorce-de-velours-tcheques-et-slovaques-conservent-des-relations-exemplaires.php

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(49)

 “Погасла звезда оперной певицы Патриции Бурда Янечковой”

https://ruski.radio.cz/pogasla-zvezda-opernoy-pevicy-patricii-burda-yanechkovoy-8796312

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(50)

 “Царствие небесное рабе Божьей Патрисии. Как же тебя жаль, почему тебя не защитили не сберегли? Для меня ты останешься в памяти навечно самым милым ребёнком насвете, с родными глазами и улыбками.. Помилуй Господи и спаси твою душечку.”

https://www.youtube.com/watch?v=u9UR8KZARfg

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(51)

Patricia Janečková ; Co mi dáš( La Maritza). 

https://youtu.be/gaFLpYiS17M

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(52)

 “C’était l’année dernière, le 31 janvier, un lundi. Et c’était magnifique. Le soleil brillait, les routes et les arbres étaient gelés, donc tout brillait au soleil. Le médecin m’a appelé pour me dire que je devais venir le plus tôt possible pour avoir les résultats, car elle ne pouvait pas me les communiquer au téléphone. (...) Je me souviens que lorsque je suis sorti de l’ambulance, il faisait déjà nuageux.” L’épreuve fatale du prodige. Mon monde s’est arrêté, dit Patricia Janečková( Osudová zkouška zázračného dítěte. Můj svět se zastavil, říká Patricia Janečková)

https://www.idnes.cz/zpravy/revue/spolecnost/patricia-janeckova-rakovina-nador-nemoc-zpevacka- talentmania.A230313_140527_lidicky_rodi

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(53) https://www.instagram.com/p/CZwhrrnsxR1/

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(54) https://www.facebook.com/patriciajaneckova

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(55)

Patricia Janečková - For all my fans. 

https://youtu.be/9c55bCbCogI

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(56)

 “Cependant, la vérité est que tous les messages n’étaient pas gentils. Cela fait probablement partie de la nature humaine.”

https://www.ostravan.cz/81552/zemrela-patricia-janeckova-1998-2023-andelsky-talent-ktery-nestacil- plne-rozvinout-sva-kridla/

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(57) https://www.facebook.com/patriciajaneckova/posts/pfbid0368mhA5r5aZGiLiEAaAX9hSLfZYPBpaX AFB6UAoG9xeVKnQzaThkVPqLf8t59Npm2l

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(58) https://www.i-divadlo.cz/divadlo/narodni-divadlo-moravskoslezske/harpagon-je-lakomec https://www.ndm.cz/cz/opereta-muzikal/inscenace/5806-harpagon-je-lakomec/

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(59) https://www.facebook.com/patriciajaneckova/posts/pfbid02XSZDXAPEJDavevoyKNupTzzweiBPrtE NcKQd5zfH74ZrsAyy1ndbqSUAdWtd7vNSl

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(60)

 Patricia Janečková už opět rozdává radost zpěvem. Je náročné nabrat původní sílu a kondici, říká 29.12.2022 ostravan.cz - Milan Bátor

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(61)  https://www.ostravan.cz/77212/patricia-janeckova-uz-opet-rozdava-radost-zpevem-je-narocne-nabrat- puvodni-silu-a-kondici-rika/

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(62)

 “One month ago it was the most beautiful day of my life”, on 24th July. 2023.

https://www.instagram.com/p/CvFJNOgMVT5/

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(63)  “après un traitement réussi contre l’apparition initiale du cancer, au cours de l’été 2023, la maladie est réapparue sous une forme beaucoup plus agressive, affectant cette fois le foie, et même tous les traitements disponibles n’ont plus aidé” ibid.

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(64)

 “La maladie est revenue avec beaucoup plus d’intensité pendant les vacances d’été et a attaqué son foie. Tous les traitements disponibles n’ont pas aidé et Patricia est décédée le soir du 1er octobre à l’âge de vingt-cinq ans.”

https://www.ostravan.cz/81552/zemrela-patricia-janeckova-1998-2023-andelsky-talent-ktery-nestacil- plne-rozvinout-sva-kridla/

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(65)

 Wedding Part One. 

https://youtu.be/c5dKlEqrwnk

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(66)

 “Zemřela Patricia Janečková( 1998-2023): Andělský talent, který nestačil plně rozvinout svá křídlan (C’était un talent angélique qui ne suffisait pas à développer pleinement ses ailes, mais elle a fait de son mieux pour son choix.)”

https://www.ostravan.cz/81552/zemrela-patricia-janeckova-1998-2023-andelsky-talent-ktery-nestacil- plne-rozvinout-sva-kridla/

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(67)

 “Mais elle a développé ses ailes lorsqu’elle était enfant et a accompli plus que beaucoup d’autres dans sa vie. Et maintenant elle au ciel.” op. cit.

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(68)  “Patricia Burda Janečková a quitté ce monde prématurément à l’âge de vingt-cinq ans et a laissé derrière elle une marque brillante et indélébile. On se souviendra toujours de son art comme d’un éclair éblouissant de talent génial et d’un témoignage d’une jeune artiste incroyablement travailleuse, responsable et polyvalente.” ibid.

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(69)

 Patricia Janečková & Eva Dřízgová-Jirušová ; Canzonetta sull’ aria( W. A. Mozart)

https://youtu.be/d4s5VHlAwDw Pěvecký récital 24. 4. 2021 - E. Dřízgová-Jirušová, P. Janečková et A. Farana. Slovo: M. Kociánová. https://youtu.be/-kgXyWa_SDo

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(70) https://www.ostravan.cz/17618/patricia-janeckova-dobyla-rim-a-rika-chci-aby-me-zpev-provazel-celym- zivotem/

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(71)

チェコ語地名では Jaroměřice nad Rokytnou。

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(72)

Pěvecký recitál 24. 4. 2021 - E. Dřízgová-Jirušová, P. Janečková a A. Farana. Slovo: M. Kociánová.

https://youtu.be/-kgXyWa_SDo

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(73)

ちなみに、オッフェンバックの「ホフマン物語」は、ラクメ(Lakmé)」初演の2年程前の1881年2月10 日に、同じ劇場であるパリのオペラ ・ コミック座で初演されている。

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(74)

“J’essaie toujours de choisir un répertoire qui lui permette d’évoluer progressivement et sans force, sans l’obliger à changer ou déformer sa voix. Les compositions oratoires et les œuvres à thèmes spirituels que nous avons sélectionnées, qui conviennent parfaitement à Patricia, répondent exactement à ces critères et, à mon avis, l’aident également dans sa croissance et sa maturation artistique”

https://www.denik.cz/hudba/patricia-janeckova-maly-rimsky-zazrak-20141114-5n8o.html

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(75)

cf. ex. Le chef Tugan Sokhiev démissionne du Bolchoï et de l’Orchestre du Capitole, publié le lundi 7 mars 2022 à 10h32.

https://www.radiofrance.fr/francemusique/le-chef-tugan-sokhiev-demissionne-du-bolchoi-et-de-l- orchestre-du-capitole-5904362

cf. ex. Le chef d’orchestre russe Tugan Sokhiev démissionne de tous ses postes à Moscou et à Toulouse - Le directeur musical du Théâtre du Bolchoï et de l’Orchestre national du Capitole se dit contraint de démissionner, victime de la « culture d’annulation », publié le 7 mars 2022 à 09h14.

https://www.lemonde.fr/culture/article/2022/03/07/le-chef-d-orchestre-russe-tugan-sokhiev-demissionne- de-tous-ses-postes-a-moscou-et-a-toulouse_6116429_3246.html

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 伊藤 英一(いとう えいいち) 元日本大学法学部新聞学科 教授

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2023年の投稿

 森弘道さんの投稿

 

 

ミュンヘン・ オペラフェスティバル に行ってきました

 

森 弘道

 このフェスティバルは1875年に開始された歴史あるイベントで、今年は6月23日から7月31日までミュンヘンのバイエルン州立歌劇場などで開催されました。今年のテーマは「戦争と愛」、私は7月26日から30日まで滞在してオペラ二本を観ました。ミュンヘンは涼しくて気温は日中最高の時でも摂氏22度程度、長袖が欲しい気候でした。帰国したら35度を超えるこの暑さ、すっかり参っています。

フェスティバルのため ジェンダーレスカラーの 虹色で彩られた バイエルン州立歌劇場正面

  一本目の「アイーダ」はウクライナを意識した読み替え演出の新作で、第一幕の舞台は保育園か小学校の体育館で、天井が至る所破けている中で子どもたちが遊んでいます。緊迫した場面になると爆撃で天井の破れ目から大量の砂や灰が落ちてきます。そんな中でエチオピアの侵攻が伝えられ物語は始まります。第二幕はこのオペラの見どころ、凱旋パレードですが、何と行進してきたのは凱旋軍ならぬ戦傷兵の列、車椅子や松葉杖の行進です。私としてはこのような読み替えには抵抗があったのですが、休憩後の第三幕は歌が感動的で、第四幕のお墓に生き埋めになった場面は非常に綺麗で、保育園の子どもたちが天使のように上座後方に立ち、実に感動的でした。私はこれまでこのお墓の生き埋めがあるため、アイーダを観るのが億劫だったのですが、今回のこの最後の場面を観てホッとしました。最初の嫌な演出の後でこの印象的な最終場面、まさに演出のうまさを感じました。後味の良い舞台でした。

指揮:ダニエレ・ルスティオーニ(ミラノ出身の新進気鋭、将来の巨匠との呼声が高い)

アイーダ:エレーナ・スティヒナ(ロシア生まれのソプラノ、2017年から世界的に活躍)

ラダメス:ブライアン・ジャッジ(ニューヨーク生まれのテノール)

「アイーダ」のカーテンコール

  二本目の「トリスタンとイゾルデ」ですが、10年くらい前にパリのオペラ座バスティーユで見たことがあります。長くて退屈で、眠たくなるオペラでした。しかし、ドイツではやはりワグナーです。迫力のある歌いっぷりで、メリハリが効いて心打たれました。10年たって私の耳が肥えたのかもしれませんが。それに、終幕後のカーテンコールで観衆の熱狂ぶりには圧倒されました。皆さんスタンディングオベーションで、しかも足を踏み鳴らして大変な騒ぎでした。やはりドイツはワグナーの国です。オペラならワグナーでイタリアオペラなど眼中にないという人も多いそうです。

 ミュンヘンではウクライナ支援の旗が至る所に見られました。地政学的にもNATOの一員としてもウクライナ侵攻は日本では想像できないくらい深刻なようです。もちろん世界的にも影響は大きく、今回の飛行ルート、日本航空なんですが、往路は太平洋をアラスカに向けて北上し、カナダ北部から北極圏を突っ切ってヨーロッパに入りました。かってのアンカレッジルートに近いものです。しかし着陸無しで15時間もの飛行でした。今回はビジネスクラスだったからよかったものの、エコノミーだったら私の歳では耐えられないところでした。復路はヨーロッパから黒海の上をトルコ沿岸に沿って飛び、カスピ海を横断し、中央アジア諸国、中国の上を飛んで北京上空から日本へ向かう南回りのルートでした。偏西風の追い風で往路より短く13時間程度の飛行でした。つまり、往復合わせて、ロシア周囲をぐるりと回るミニ世界一周の旅でした。私にとっては珍しいルートでしたが、ヨーロッパが本当に遠くなりました。これもロシアのウクライナ侵攻のせいです。

2023.8.11 投稿

 


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