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  2025年

 

 NEW 田代 務さん
米国小学校における子女教育体験など
〜 会社サイト掲載の宇宙開発新時代過去ブログから 〜

 

  2024年

 

 田代 務さん
フライ・ツー・ザ・ムーン・アゲイン
〜月への宇宙開発新時代と通信〜

 

  伊藤英一さん
パトリツィア・ヤネチコヴァPatricia Janečkováに花束を
─ 若き歌姫の死とメディアの光 ─

 

  2023年

 

 森弘道さん
ミュンヘン・オペラフェスティバルに行ってきました

 

 

  2022年

坂口行雄さん

アニメ ー 花水木(秋の続編)

 

小林 洋さん(町田香子さん)

山口県の酒「獺祭」「雁木」裏話

 

坂口行雄さん

アニメ ー 花水木(本編 続編)

 

  2021年以前の投稿

 

 

☝上のバナーを クリックして アーカイブサイトで ご覧ください。

 


2025年の投稿

 田代 務一さんの投稿

 

 

米国小学校における子女教育体験など
〜 会社サイト掲載の過去ブログから 〜

田代 務

自身はひと昔前、主に企業テレワーク等に係わる関連ブログをA2A株式会社WEBに連載しておりました。先般これを読み返したところ、現在なお通用する部分があると思われたので下にリンクを示します。
また、右の表紙の画面をクリックするとビューアで全文をご覧になれます。


https://a1a.jp/report/columnrev.pdf    

 

おりしも米国では新大統領が就任、一方、日本では少数与党政局下での高校無償化の決議もあり子供達の教育環境の変化が気になります。

それもあってか米国在住時の次のような経験知見を思い出した次第です。

暇な折りにご笑覧ください。

特に下記ページはpdfの目次にて下線をクリックすると当該ページにジャンプします。また、下記の項目をクリックすると直接、当該ページが開きますので、拡大してお読みください。

16 主夫業も慣れたもの
17 テレビCMを作る
56 Star of the Week
59 米国のコミュニティカレッジ
97 大統領からの手紙
112 父さんとドーナッツ
113 Back to School Night
117 先生は褒め上手

 

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2024年の投稿

 田代 務一さんの投稿

 

 

フライ・ツー・ザ・ムーン・アゲイン
〜月への宇宙開発新時代と通信〜

田代 務

先日、「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」というラブストーリー映画を観て、1960年代の米ソ宇宙開発競争の頃が懐かしくなりました。
アルテミス計画では、日本人宇宙飛行士が月面に降り立つ日も期待されます。
そこで、過去の宇宙開発の歴史とともに月に関する科学や面白いお話をまとめた文書を次の2つのサイトに掲載しました。

https://a1a.jp/     http://a2a.jp/

 

その目次は次のとおりです。

1 1960年代の宇宙開発競争
• アポロ11号
• 米ソによる宇宙開発競争
• 月面撮影に使用されたTVカメラ
• 映画「フライ・ミー・ツウ・ザ・ムーン」
• アポロ11号月着陸のTV中継
• 当時の通信やテレメトリ等の方式
• 70年大阪万博での宇宙関連展示

2 月の歴史と環境
• 月の起源
• 月の昼夜や地球での潮の干満
• 百人一首に詠まれた月
• 月から見た地球
• 月の表と裏の2分性
• 月面環境 (重力や温度)
• レゴリス
• レゴリスの利用

3. 月探査の新時代
• 月探査ミッションの歴史
• 日本のSERENE「かぐや」
• 日本の小型月着陸実証機「SLIM」
• 月面基地の候補地
• 米国アルテミス計画
• アルテミスII号
• アルテミス計画での通信リンク
• アルテミス計画での使用周波数

お暇なおりにご笑覧頂き、間違い等あればご指摘頂ければ幸いです。

 

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メッセージもよろしく。

 

 

 

 

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5. ビロードの歌声はアクセス禁止の国境を越えて

 ロシアはロシア国内の消費者権利を保護する為として、国際プラハ・ラジオのロシア語放送ウェブサイトへのアクセスを2021年7月15日以降、全面的に禁止する措置をとった(45)、と報じられている(46)。 禁止の理由は、その20年前の2001年に国際プラハ・ラジオが取上げた、ヤン ・ パラフ(Jan Palach)に関する報道内容が、自殺を肯定的に語ることを禁止するロシア国内法に抵触するとの理由によると(47)推測されている。

 2021年のアクセス全面禁止措置の起因となった、対象報道は20年前の2001年のものだが、その報 さかのぼ 道の内容そのものは更に半世紀以上前の1968から1969年にかけての時期に遡るものである。
 当時、ヤン ・ パラフはチェコスロヴァキア・カレル大学の学生で20歳だったが、プラハの中央に あるヴァーツラフ広場にあるヴァーツラフ像の下で、1969年1月19日に焼身自殺した青年である。 その前年、1968年の新春から晩春にかけて、チェコスロヴァキアには、報道、表現、流通の自由が もたらされるかと期待された「プラハの春」と呼ばれる季節があった。しかし、ソ連主導のワル シャワ条約機構軍による侵攻を受けて、期待された夢が敢え無く潰えてしまった。その後のチェコスロヴァキアでは、自由が抑圧されているにも拘わらず、あきらめムードが蔓延、チェコスロヴァ キアの人々だけでなく、世界の反応も消極的になってしまっていた。ヤン ・ パラフはそんな状況に 抗議して、焼身自殺を決行したのだった。

 ヤン ・ パラフの歿後20年を過ぎた1989年2月、ヤン ・ パラフのメモリアルに花束を捧げようとした劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルが逮捕され、9カ月間の禁固刑に処せられた。これが、チェコ スロヴァキアでの革命の切っ掛けの一つとなり、共産党による一党独裁が終焉する糸口となった。 この革命が、比較的平和裡に推移し、ビロードの表面が白鳥の羽毛のように柔らかく優しい感触で あるように、共産主義から脱却する革命がスムーズに成就したことから「ビロード革命」、あるい は平穏に革命が実現したことから「穏やかな革命」とも呼ばれるようになったのである。そこで、 ヴァーツラフ・ハヴェルはチェコスロヴァキア大統領に就任した。
 なお、チェコスロヴァキアで41年間続いた一党独裁に終止符を打った、1989年11月17日から28日 にかけての革命を、チェコ語では Sametová revoluce(ビロード革命 / The Velvet Revolution / La révolution de Velours)と呼んでいるが、スロヴァキア語では Nežná revolúcia(穏やかな革命 / The Gentle Revolution / La révolution douce)と呼ばれている。
 更に、続いて、1992年末にはチェコとスロヴァキアの二国に別れる分離独立により、1993年1月1 日、チェコ共和国とスロヴァキア共和国が誕生した。この時、ハヴェルがチェコ共和国初代大統領 となり、ミハル・コヴァチがスロヴァキア共和国大統領に選出されている。
 この一連の分離独立について、英語やフランス語ではビロード(velvet;ヴェルヴェット / divorce velours;ヴルール)との比喩を援用してビロード離婚との表現を用いる向きもある。しかし、現 地ではチェコおよびスロヴァキアの両国とも、単にチェコスロヴァキア解散あるいは分離と呼んで いる。両国とも、分離独立に伴う痛みを味わっており、そのメリット / デメリットについての評価 は今も賛否相半ばと言われており、ましてや離婚に喩えられるのは好まれていないようだ。2004年に両国がヨーロッパ連合に加盟し、分離の痛みは軽減したとも言われているが(48)

 様々な紆余曲折があったにせよ、ユーゴスラビアのような悲劇が分離独立に伴って多々見られる 中で、チェコとスロヴァキアの温和な関係は高く評価されるべきである。それこそ、ビロード (ヴェルヴェット)のように柔らかくふんわりとした静穏な分離が実現し、その後もヴェルヴェッ トのような関係を保っており、そんなゆったりした穏やかな関係を世界中が範としてくれたらと願 わざるを得ない。

 ただ、そのような穏やかな革命や国家関係の礎に、もう半世紀も前の話になるが、当時、未だ20 歳だったヤン ・ パラフの焼身自殺による抗議、犠牲があったことは事実である。 その半世紀前の、しかし忘れられてはならないと思われる事実が、20年前の2001年に於ける国際 プラハ・ラジオの報道内容に含まれた。それが、自殺を肯定的に語ることを禁止するロシア国内法 に抵触するとされ、2021年7月15日以降、国際プラハ・ラジオのロシア語放送ウェブサイトへのア クセスを全面的に禁止するとの措置に繋がったのであろう。

 しかし、「オペラ歌手のスターが消えた(49)」と報じた国際プラハ・ラジオのロシア語放送の例に見るよ うに、国際プラハ・ラジオ側の報道姿勢は健在である。
 また、パトリツィア・ヤネチコヴァが残したウェブ上の歌声は、ロシアでも根強く愛されている ようである。ロシア語によるファンのコメント投稿も多く、またそこで表明されている彼女の死を悼む思い(50)には深いものがある。

 シャンソン歌手のシルヴィ・ヴァルタンS y l v i e  V a r t a n が、故国ブルガリアのマリツァ川を偲ぶと同時に、自由を求めパリへの亡命を家族帯同で先導してくれた父君への感謝を込めて歌った曲に「 La Maritza ラ  マ リ ザ ァ(想い出のマリッツァ;ジャン・ルナールJ e a n  R e n a r d 作曲)」がある。この曲に、チェコの作詞家パヴェル・ ザックP a v e l Ž á k の歌詞を付けた「Co mi dáš(51)(何を私に下さるの)」を、パトリツィアが歌っている。彼女の 歌声に寄せられた、ロシア語でのコメントや、パトリツィアへの愛惜哀悼からは、中欧から東欧に かけて通底する文化的な香りが感じられる。
 もっとも、ロシア語で書き込みされているからとか、ロシアに割り当てられている国別コード= トップ・レベル・ドメイン名(ccTLD)が使われているにせよ、必ずしもロシア国内からの発受 信とは断定出来ないが。しかし、ロシア語を話し書く人々のパトリツィア・ヤネチコヴァを愛する 層は広く厚いのである。

 スロヴァキア人の両親の下にドイツで生まれ、スロヴァキア人の恋人と結婚したパトリツィア・ ヤネチコヴァが、チェコのオストラヴァで活躍、チェコ放送傘下の国際プラハ・ラジオの追悼音楽 番組で哀悼の意が世界に伝えられるという、まさにビロードのような環境に包まれた、パトリツィ ア・ヤネチコヴァの歌声が国境の壁を超克していることが実感される。

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 6. パトリツィアの闘病に花束を

 コロナ禍からの黎明がようやく輝きだした2021年末から2022年にかけて、コンサート、オペラ、 ミュージカルと予定も目白押しで、パトリツィア・ヤネチコヴァの素晴らしい活躍と一層の飛躍が 期待されていた。

 しかし、「2022年1月31日の月曜日、快晴の朝、太陽の光を反射して、氷結した木々や道路がきらめき壮麗だった。電話では検査結果を伝えられないので、直ぐ来るようにと医師から告げられ、病院 に出掛けた。その帰り、救急車から出ると、既に空は雲に覆われていました(52)」と、パトリツィア・ ヤネチコヴァは、後に雑誌の対談で語っている。

 2022年2月9日、インスタグラム(53)およびフェイスブック(54)で、更に、その2週間後にはユーチューブ (55)を介して、1月末に乳癌との診断を受けた為、厳しい闘病生活に入らなければならないと公表した。 舞台を離れ、コンサート等の予定もキャンセルしたことを伝えると同時に、チェコの芸術家支援基 金を通じての援助を依頼した。そして、病魔との戦いに打ち勝って、歌う世界に何時か凱旋するこ とを誓ったのだった。

 インスタグラムおよびフェイスブックでの公表に衝撃を受けた人々から、お見舞いや激励の言葉 が寄せられた。チェコ語やスロヴァキア語によるものは勿論だが、ドイツ語、ポーランド語、英 語、日本語、韓国語、中国語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、ポルトガル語、フランス語、 等々、世界各国語によるメッセージが投稿された。フェイスブックでの700を超えるコメントは、長文も多く、懇切丁寧な治療方法や望ましい食事なども綴られている。
 もっとも、「総てのメッセージが優しいものでは無く、それが人間の本質の一面なのでしょう(56)」 と、ミラン ・ バトール記者との4回目のインタヴューで、厳しくも重い現実を述懐している。

 しかし、そのような暗いニュースが流れた2ヶ月後には、一転して明るいメッセージが届けられ た。化学療法結果は良好で、担当の腫瘍医と相談した結果、慎重を要するもののミュージカルに出演することは可能とのことであった(57)。オストラヴァのモラヴィア・スレスコ(シレジア)国立劇場でのミュージカル「Harpagon je lakomec?(58)(アルパゴンは強欲か ?;モリエール「守銭奴」のオリ ジナル・ミュージカル版)」で4月6日舞台に復帰し、4月12日には「ウエスト・サイド物語」のマリア役(59)で出演している。

 その後も、癌の治療は順調で、8月10日からの外科手術は厳しいものの成功しているとの経過が 果敢にアップされ、回復基調にあることが報告されていた。
 2022年12月15日には、ベドルジハ・スメタナのオペラ・ブッファ「売られた花嫁(Prodaná nevěsta / La Fiancée vendue)」のエスメラルダ役で舞台に出ている。しかし、12月22日のインタヴューでは、「本来の力を出せない(60)」との苦悩も漏らしている。
 闘病を続ける彼女を支援し、激励する為のコンサートが2023年1月7日、オストラヴァ福音教会で開催されている(61)。半年後の6月18日には25歳の誕生日を迎え、更に彼女が「人生で最も美しかった日(62) 」と書き込んだ6月24日には結婚と、朗報が続いた。 

 しかし、夏には肝機能の不全が重症化し(63)、薬石投与を含む利用可能な治療が望めなくなり、パトリツィア・ヤネチコヴァを救うことが出来なかったと報じられた (64) 。2023年10月1日夕刻のことである。その前々日、9月29日に結婚式の模様(65)ユーチューブにアップし、30万回を超える視聴と、1千 通を超えるコメント欄での祝辞が寄せられる最中であった。

 病魔という敵に勇気を奮って挑戦し、頑張って、立派に闘ったパトリツィア・ヤネチコヴァに花 束を贈りたい。

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 7. 天使の翼とメディアの光

「天使のような才媛は、その翼を完全に拡げるには時間が足りなかった(66) 。しかし、彼女は最善を 尽くした。」
 オストラヴァの日刊文化サイトである「オストラヴァン」でミラン ・ バトール記者は、パトリ ツィア・ヤネチコヴァが逝去した翌日の記事に、そのような見出しを付けた。

 しかし、パトリツィア・ヤネチコヴァを8歳の頃から指導し、更にはヤナーチェク音楽院、オストラヴァ大学を通じて、公私双方で彼女に寄り添って来て、彼女の心に極めて近い存在であるエヴァ・ドリズゴヴァ教授からは、「パトリツィアは子供のころから翼を拡げ、人生で他の人より多くのことを成し遂げました。それで、今は天にいるのです (67) 」とのメッセージがあったことを同時に 紹介している。
 更に、パトリツィア・ヤネチコヴァは、余りにも拙速にこの世から離れてしまったものの、信じ られない程の努力家で、強い責任感に裏付けされた、多岐に亘る能力を見せながら、輝ける、消されることのない極印を残したのだと記した(68)

 生徒としてのパトリツィア・ヤネチコヴァと、彼女を指導し「パトリツィアは子供のころから翼を拡げ…」とのメッセージを寄せたエヴァ・ドリズゴヴァ教授との、息の合った二重唱 デ ュ オ を視聴して みると(69) 、良い関係の雰囲気に二人が包まれている様相が実感される。

 そんな二重唱の例として、先ず、「そよ風によせて(Sull’aria...che soave zeffiretto)」にアクセス してみよう(アクセス先;https://youtu.be/d4s5VHlAwDw
 モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚(Le Nozze di Figaro)」の第3幕で、放蕩の過ぎる伯爵 を懲らしめる為に、結婚を間近に控えたスザンナと伯爵夫人が二人で手紙をドラフトする場面で歌われる「手紙の二重唱」とも呼ばれる小曲 canzonetta である。
 伯爵夫人ロジーナ役を先生のエヴァ・ドリズゴヴァが、スザンナ役を生徒パトリツィア・ヤネチ コヴァが務めているが、如何にも二人が共同作戦を練っている様子が上手く演出されている。 なお、この二重唱のバックで共演しているのはオロモウツのモラヴィア・フィルハーモニー管弦 と 楽団であるが、指揮者は先に3項で紹介した小荘厳ミサ曲の指揮をったパオロ・ガット(Paolo Gatto)で、エヴァ・ドリズゴヴァ先生の伴侶である(70)
 2013年8月17日、モラヴィアのヤルメリッツ城 (71) での音楽祭最終日の模様が録画されたもので、パトリツィアが15歳になったばかりの頃となる。演奏後、パオロ・ガットにうながされ、聴衆の拍手に応 える二重唱の2人の笑顔が素晴らしい。

 二重唱の二番目の例として、23歳になったパトリツィア・ヤネチコヴァがエヴァ・ドリズゴヴァ 先生と出演したリサイタルでの模様にアクセスしてみたい(アクセス先;https://youtu.be/- kgXyWa_SDo)。
 この録画は(72)、コロナ禍で苦闘する教育関係者支援の為に、チェコ・テレビの支援の下、オルロ ヴァのシレジア福音教会に於いて、2021年4月24日に非公開で行われた。出演者は二重唱の2人にピ アニストとアナウンサーの計4人に留められている。録画の長さは1時間9分54秒であるが、例とし ての曲は、録画の最後の部分となる1時間3分42秒以降の小曲を視聴してみよう。

 レオ・ドリーブ(Léo Delibes)作曲のオペラ「ラクメ(Lakmé)」第1幕からの一曲(73) で、1883年4 月14日にパリのオペラ ・ コミック座で初演されたものである。イギリス統治下のインドで、バラモン教僧侶の娘ラクメが侍女マリカと共に、ジャスミンの花咲く寺院 D ô m e へ出掛け、青い蓮の花を一緒に 摘みましょうと歌う「花の二重唱(duo des fleurs)」である。可憐な娘ラクメとイギリス軍将校 ジェラルド、二人の未来を待ち受ける悲恋を予知させる曲となっている。
  娘ラクメを演じるパトリツィア・ヤネチコヴァと、侍女マリカ役のエヴァ・ドリズゴヴァ先生と の掛け合いが、静寂な中で穏やかな雰囲気を醸し出している。
 二人が、同時に、しかし異なる歌詞を掛け合わせる部分が絶妙な調和を保っており、フランス語 みんな での文意が鮮明に伝えられて来る。二人が違ったことを語っているのだけれど、しかし一緒。皆が 違って、皆が良い、との二重唱版となっている。
 一方、コロナ禍が続く中で、様々な制約があったことが再確認される記録ともなっている。2021 年初春は未だ、コロナ感染予防の為、非公開を余儀なくされていた時期でもあり、静寂な環境の利 点もあるものの、拍手や観客の反応が得られない寂しさがある。また、教会の中の暖房設備の制約 からか、厚手の外套を着込んでの長時間演奏の厳しさも伝わって来る。パトリツィアたちが抱えて いた苦難が偲ばれる。

 前例の2013年に歌われた「手紙の二重唱(そよ風によせて)」では15歳だったパトリツィアが、 後者の例の「花の二重唱(duo des fleurs)」を歌った2021年には23歳となり、その間の技倆の進展 に著しいものが覗えると同時に、エヴァ・ドリズゴヴァ先生の良き指導も推察される。
 パトリツィア・ヤネチコヴァとエヴァ・ドリズゴヴァ先生が一緒に歌う二重唱の例を追って見る と、良き伝統を次世代に継承しようとする微笑ましい関係が麗しい。
 エヴァ・ドリズゴヴァ先生は、「パトリツィアの声を変えることや、歪めることが無いように、「力を入れないで、漸進的に成長できるようなレパートリーを選ぶようにしている(74)」と、2014年に 語っていた。「力を入れない」、「無理をしない」との、先生の的確な判断やアドヴァイスが報われ つつあり、喜びや期待には大きいものがあったのは確かであろう。

 とは言え、ミラン ・ バトール記者の「信じられない程の努力家で、強い責任感に裏付けされた …」との記述からも推察されるパトリツィアの長所が、逆に2022年の術後スケジュールを厳しいも はこ のに留めてしまった可能性は否めない。公演予定をキャンセルしたとのメッセージどおりには運ば なかった事情が垣間見える。もっとも、2022年4月の「ウエスト・サイド物語」のマリア役での出 演は、当の本人の希望に沿ったものでもあったようで、その際の写真が彼女の逝去を報じるニュー ス等で多く使われていた。
 結果として、師よりも次世代を担う若者が早世してしまうような痛ましいケースもあり得ると の悲劇が実感させられてしまう。
 同時に、若い世代から学ぶこともまた多く、パトリツィア・ヤネチコヴァが、翼と十分に拡げら れたのかどうかはさておき、「パトリツィアは子供のころから翼を拡げ…」との先生の述懐も共感 させられる思いがする。

 パトリツィア・ヤネチコヴァとエヴァ・ドリズゴヴァ先生との世代の境界を越えたコミュニケー ションが織りなす、ほのぼのとした空気感は、『戦争と平和』でアンドレイ公が見上げるモラヴィ アの紺碧の空のように、あくまでも高く、清らかで、寛大な感じをもたらしてくれる。

 1805年12月2日朝からの「アウステルリッツの戦い」を含め、第一次と第二次に及ぶ世界大戦を挟み、更には20世紀末の冷戦終結時までを振り返って見ると、国境の壁、人種や国籍による境界、 言語や信仰信条への干渉、等々で苦難の歴史を辿ったのが、バイエルン、ボヘミア、モラヴィア、 シレジア、スロヴァキアにかけての地域である。

 しかし、1998年6月18日にドイツのバイエルン州ミュンヒベルクでスロヴァキアの両親の間に生 まれたパトリツィアが、チェコのオストラヴァで育ち、学び、歌いながら、2023年10月1日夕刻、 天に召されるまで、嘗ての地域的な対立が影を落とした形跡は皆無である。
 20世紀の終わりから21世紀の現在にかけて、バイエルン、ボヘミア、モラヴィア、シレジア、ス ロヴァキアにかけての地域に穏やかな、寛容度の高い、清澄な空気が流れていることが感じられ る。

 しかし、不寛容の風潮が地球を取り巻くように蔓延し、国家間の対立や悲惨な戦争が、音楽を始めとした芸術の分野にまでインパクトをもたらしている昨今の世界情勢である (75) 。パトリツィアが活 躍し、翼を拡げつつあった地域の優しく、穏やかで、ふくよかさに包まれた寛容度の高い在り方を 模範として考え直して見る必要があると思われる。

 また、パトリツィアが早世したこともあり、DVD やテレビ放送等による高品質メディアの記録 が殆どないことは残念である。しかし、逆に方式や地域性の制約を受けないメディアによる世界へ の拡がりが、インスタグラム、フェイスブック、ユーチューブ等の双方向メディアで確保され、そ の光の恩恵を世界の人々が享受出来ることは幸せであると思われる。特に、パトリツィアの投稿し た録画やメッセージを巡って飛び交う多様な言語からは、そのコミュニケーションを支援する自動 翻訳機能の精度が高まり、言語の壁が克服されつつあることが実感される。

 ただし、そのようにコミュニケーションが容易な時代であればこそ、パトリツィアを苦しめた、 「総てのメッセージが優しいものでは無く、それが人間の本質の一面なのでしょう」と述懐させた ような、悪意ある虚偽メッセージに関しては、そのようなメッセージの流通交換を決して許さない システムの構築が迫られている。

 歌姫パトリツィアの成功への羽ばたきが止むことなく、翼が更に拡がり、迎え入れられた天での 飛翔に支障が無いことを、そして彼女の歌声が世界中で更に愛され続けることを祈りたい。

なお、脚注に付したウェブ等の参照日時は、特に記載の無い限り、2023年 10月1日から2024年1月22日23:00JST にかけてのものである。 また、チェコ語、スロヴァキア語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語 から、フランス語、英語、ドイツ語への自動翻訳および照合にあたっては、 主として Google translate に依拠した。特に、注釈中に引用紹介したチェ コ語サイトのフランス語文は Google translate の「チェコ語→フランス語 自動翻訳」機能を利用、記録した結果である。 

 

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参考文献
参考サイト

(1)

“Una triste noticia afectó el ámbito de música clásica checa. A los 25 años de edad falleció la diva Patricia Burda Janečková.”

Fallece la diva Patricia Burda Janečková a los 25 años de edad 08/10/2023

https://espanol.radio.cz/fallece-la-diva-patricia-burda-janeckova-a-los-25-anos-de-edad-8796249

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(2)

“« J’adorais chanter et peu m’importait de savoir si j’allais remporter le concours ou pas. J’étais encore une enfant. Après ma victoire, c’est devenu plus compliqué pour moi, je n’étais pas habituée aux caméras, aux interviews… J’étais timide et ne savais pas comment parler aux adultes », s’était souvenue Patricia Janečková dans un entretien.”

Musique : hommage à la jeune soprano Patricia Burda Janečková 08/10/2023

https://francais.radio.cz/musique-hommage-a-la-jeune-soprano-patricia-burda-janeckova-8796386

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(3)

2010年12月10日09:00ET(Eastern Time)放送の CNN は、12歳の、パトリツィア・ヤネチコヴァが チェコおよびスロヴァキアのタレントマニアで、最終投票120万票の内、53% を獲得して優勝したことを 報じたと記録されている。

“All right, now, an amazing performance in Slovakia. Take a look. Oh my goodness. Her voice is amazing and she is just 12. Patricia Janeckova is the winner of the Czech/Slovak Talents Mania television show. Some 1.2 million viewers took part in the final vote; 53 percent favored her and you can bet the music world is taking notice. My goodness.” CNN NEWSROOM Aired December 10, 2010 - 09:00 ET.

http://edition.cnn.com/TRANSCRIPTS/1012/10/cnr.01.html

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(4)

“Ihre Karriere begann sehr früh, sie endete aber viel zu früh. Die Opernsängerin Patricia Burda Janečková ist am vergangenen Sonntag im Alter von nur 25 Jahren an Krebs gestorben”

Tod mit 25 Jahren: Opern- und Musicalsängerin Patricia Burda Janečková 08.10.2023

https://deutsch.radio.cz/tod-mit-25-jahren-opern-und-musicalsaengerin-patricia-burda-janeckova-8796311

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(5)

“Погасла звезда оперной певицы Патриции Бурда Янечковой”

https://ruski.radio.cz/pogasla-zvezda-opernoy-pevicy-patricii-burda-yanechkovoy-8796312

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(6)

“Rising opera star Patricia Burda Janečková succumbs to cancer at 25. Soprano Patricia Burda Janečková was one of the bright lights of the opera world. Her young life and promising career were tragically cut short by cancer to which she succumbed at the age of 25. She died on October 1, 2023.”

https://english.radio.cz/rising-opera-star-patricia-burda-janeckova-succumbs-cancer-25-8796299

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(7)

In memory of Patricia Janečková 23. 10. 2023

cf. G. F. Handel - Acis and Galatea( HWV 49) https://youtu.be/8zNxWvQXJpY

Baroque Theatre in Valtice - Festival Concentus Moraviae( 2017)

https://www.collegiummarianum.cz/en/in-memory-of-patricia-janeckova/

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(8)

“Le Festival de Lednice consacre le concert de vendredi à la mémoire de la chanteuse Janečková 10/03/2023”

https://cesky.radio.cz/lednicky-festival-venuje-patecni-koncert-pamatce-pevkyne-janeckove-8796113

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(9)

“La chanteuse Patricia Janečková est décédée à l’âge de 25 ans et la meilleure façon de se souvenir d’elle est à travers ses enregistrements.”

Zpívá Patricia Janečková( Patricia Janečková chante)

https://d-dur.rozhlas.cz/zpiva-patricia-janeckova-9097361

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(10)

https://www.klasikaplus.cz/cro-d-dur-dva-prenosy-z-kralovehradeckeho-hudebniho-fora-a-nahravky- patricie-janeckove/

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(11)

Musique : hommage à la jeune soprano Patricia Burda Janečková 08/10/2023

https://francais.radio.cz/musique-hommage-a-la-jeune-soprano-patricia-burda-janeckova-8796386

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(12)

 Patrícia Janečková First Audition,12, Amazing Pure Tone So Beautiful!! | “TIME TO SAY GOODBYE” 

https://youtu.be/OfNul7LZCdc

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(13)

 Patricia Janečková ; “Les oiseaux dans la charmille”( Jacques Offenbach ; Les contes d’Hoffmann) 20,002,730回視聴 2016/05/15アップロード Jacques Offenbach : “Les oiseaux dans la charmille”( Les contes d’Hoffmann / The Tales of Hoffmann) Patricia Janečková, soprano - “New Years Concert in Vienna Style“ Janáček Philharmonic Ostrava, Chief conductor: Heiko Mathias Förster, January 7, 2016, Ostrava, Czech Republic.

https://youtu.be/mVUpKIFHqZk

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(14)

Patricia Janečková ; Antonín Dvořák, Rusalka - “ Měsíčku na nebi hlubokém”

https://youtu.be/8WrXtnCX_9g

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(15)

Patricia Janečková: J S Bach - Charles Gounod, Ave Maria.

https://youtu.be/GiNyV6AK7kM

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(16)

Patricia Janečková: Giacomo Puccini, O Mio Babbino Caro, Gianni Schicchi

https://youtu.be/Q5L3W_uzygU

cf. https://espanol.radio.cz/fallece-la-diva-patricia-burda-janeckova-a-los-25-anos-de-edad-8796249

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(17)

Tod mit 25 Jahren: Opern- und Musicalsängerin Patricia Burda Janečková

https://deutsch.radio.cz/tod-mit-25-jahren-opern-und-musicalsaengerin-patricia-burda-janeckova-8796311

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(18)

Погасла звезда оперной певицы Патриции Бурда Янечковой 08.10.2023

https://ruski.radio.cz/pogasla-zvezda-opernoy-pevicy-patricii-burda-yanechkovoy-8796312

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(19)

Rising opera star Patricia Burda Janečková succumbs to cancer at 25 10/08/2023

https://english.radio.cz/rising-opera-star-patricia-burda-janeckova-succumbs-cancer-25-8796299

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(20)

Czech Philharmonic Choir Brno

https://www.youtube.com/@czechphilharmonicchoirbrno626

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(21)

Českého filharmonického sboru Brno ; Gioacchino Rossini: Petite messe solennelle, 指揮;パオロ・ガッ ト(Paolo Gatto). 

https://youtu.be/CqrzmdevQSI

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(22)

Thierry Beauvert et Peter Knaup, Rossini : Les Péchés de gourmandise, Plume, Paris, 1997, 214 pp.

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(23)

Mario Nicolao ; La Maschera di Rossini, RCS Rizzoli Libri S.p.A., Milano, 1990.(マリオ ・ ニコラーオ、 小畑恒夫訳;ロッシーニ 仮面の男、音楽之友社、1992年、p.265)

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(24)

このブルノのチェコ・フィルハーモニー合唱団の演奏会では、Patricia Janečková がソプラノ、Monika Jägerová, がアルト、Aleksander Kruczek がテノール、David Szendiuch がバスを担当している。指揮は Paolo Gatto(パオロ・ガット;最終項の7項で改めて紹介する)。合唱は勿論、ブルノのチェコ・フィル ハーモニー合唱団である。 

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(25)

Patricia Janečková, G. Rossini, Petite Messe Solenelle, Crucifixus.

https://cs.wikipedia.org/wiki/Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1

https://cs.wikipedia.org/wiki/Soubor:Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1_-_G._Rossini_-_Petite_Messe_ Solenelle_-_Crucifixus.webm

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(26)

https://sk.wikipedia.org/wiki/Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1

https://sk.wikipedia.org/wiki/S%C3%BAbor:Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1_-_G._Rossini_-_Petite_ Messe_Solenelle_-_Crucifixus.webm

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(27)

https://en.wikipedia.org/wiki/Patricia_Jane%C4%8Dkov%C3%A1

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(28)

聖書 新共同訳;使徒言行録 2-36、日本聖書協会、1989、p.(新)216.

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(29)

スタンダール、山辺雅彦訳;ロッシーニ伝、1992、みすず書房、p.4.( Stendhal ; Vie de Rossini suivie d’un Dilettante, Cercle du Bibliophile, Genève, 1968.) cf. マリオ ・ ニコラーオ、小畑恒夫訳;ロッシーニ 仮面の男、音楽之友社、1992(Mario Nicolao ; La maschera di Rossini, Rizzoli Libri, 1990, Milano, 240pp.)

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(30)

トマス・アクィナスによるラテン語原文では、O salutaris Hostia / Quæ cœli pandis ostium / Bella premunt hostilia / Da robur, fer auxilium( Amen)と歌われ、フランス語では、Ô réconfortante Hostie / qui nous ouvres les portes du ciel / les armées ennemies nous poursuivent / donne-nous la force, porte-nous secours と訳されたりしている。これを、不肖は、「天の門を我らの為に開いて、励まして下 さる聖体に感謝します。追ってくる敵と闘う力をお与え、お救い下さい」と意訳してみた。

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(31)

 cf. Lucia Popp, Brigitte Fassbaender, Nicolai Gedda, Dimitri Kavakos, Choir of King’s College- Cambridge, Stephen Cleobury( direction), EMI, 1992.

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(32)

 尚、1968年4月13日の「ばらの騎士」でヴェルデンベルク侯爵の夫人(Die Feldmarschallin / 元帥夫人) の役を演じたのは、クリスタ・ルトゥヴィッヒ(Christa Ludwig)だった。

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(33)

 “Je n’ai pas de modèle musical particulier, mais j’aime beaucoup la star de l’opéra slovaque Lucia Popp, qui n’est malheureusement plus parmi nous”

https://operaplus.cz/ucitel-a-zak-aneb-eva-drizgova-a-patricia-janeckova-v-jaromericich-nad-rokytnou/

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(34)

“Son expression musicale globale est d’une beauté à bien des égards. Son chant véhicule une sensation de bien-être et de bonheur, il est léger, simple et à la fois sensible et doux. C’est un baume pour l’âme.” ibid.

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(35)

 “Il y en avait un, mais j’en avais marre. C’était l’air de la Reine de la Nuit de La Flûte Enchantée, où la note la plus haute est F3. Et c’est vraiment assez élevé. J’ai même commencé à le chanter. Cela a fonctionné, mais c’est toujours difficile pour moi.” Alena Uhlířová ; Patricia Janečková + Martin Janeček,, : Cizojazyčné texty se učím foneticky jako básničky, 27. 11. 2011.

https://www.topzine.cz/patricia-janeckova-cizojazycne-texty-se-ucim-foneticky-jako-basnicky

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(36)  (“ Son père Martin Janeček) Nous ne devrions pas créer de peurs ni de respect. Tout doit être pris comme un défi.” ibid.

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(37)

Léon Tolstoï ; La Guerre et la Paix, Livre Premier, Chapitre XIX, No 66 de La Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1978, pp.369-373.

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(38)

スタンダール、大岡昇平訳;パルムの僧院、新潮文庫、新潮社、1951、p(. 上)246. (“ Mais tout a été pour le mieux. ...) si j’eusse été curé à Brescia, ma destinée était d’être mis en prison sur une colline de la Moravie, au Spielberg.” Stendhal ; La Chartreuse de Parme, No 13 de La Bibl

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(39)

 iothèque de la Pléiade( Stendhal ; Romains II), Gallimard, 1977, p.173.「d de lac de Côme au Spielberg.” ibid. p.176.

cf. 伊藤英一;情報社会と忘却権─忘れることを忘れたネット上の記憶─ in『 法学研究』第84巻第6号、 慶應義塾大学法学研究会編、平成23年6月、pp.161-208.

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(40) https://www.facebook.com/SpilberkFestival/

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(41)

 下掲の録画は、ブルノでの演奏ではないが、2016年1月7日オストラヴァ新春コンサートでの記録を参考 までにメモしておきたい。

cf. Patricia Janečková ; Meine Lippen”( Franz Lehár - Giuditta)

https://youtu.be/pzF3ubtimGE

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(42)

 “Dans l’air de Giuditta tiré de l’opérette du même nom de Franz Lehár, la soliste dont on se souvient a encore mieux démontré son potentiel vocal.”

http://www.musicfriendlycity.cz/feature-articles/reviews/dance-and-romance-at-the-opening-of-the- spilberk-festival

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(43)

 “Brno’s Music Scene Doesn’t Go on Holiday – Špilberk International Music Festival Coming in August”

https://brnodaily.com/2019/07/04/culture/brnos-music-scene-doesnt-go-on-holiday-spilberk- international-music-festival-coming-in-augus/

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(44)

 “2020/04/17 The time we are experiencing is unique and specific in many ways. That requires an original and uncoventional approach for artists who want to keep in touch with their audience. That’s why I pulled out my picnic version of the grand piano and accompanied myself to Rossini’s song La Danza.” Patricia Janečková ; La Danza”( Rossini)

https://youtu.be/Xy4bFpaGnII

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(45)

 Clément Vérité; State-owned Czech Radio Blacklisted in Russia, Newsendip. July 20, 2021.

https://www.newsendip.com/public-czech-radio-prague-international-blacklisted-in-russia-2021/’

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(46)

 “Russia blocks Radio Prague International’s website on its territory、 07/17/2021”

https://english.radio.cz/russia-blocks-radio-prague-internationals-website-its-territory-8723337

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(47)

 “The Russian agency says the article violates Russian laws by speaking about suicide in positive terms.”

https://english.radio.cz/russian-service-radio-prague-international-blocked-russia-over-20-year- old-8723440

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(48)

 Laura Andrieu ; Vingt-cinq ans après le « divorce de velours », Tchèques et Slovaques conservent des relations exemplaires, le 28/10/2018.

https://www.lefigaro.fr/international/2018/10/28/01003-20181028ARTFIG00023-vingt-cinq-ans-apres-le-divorce-de-velours-tcheques-et-slovaques-conservent-des-relations-exemplaires.php

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(49)

 “Погасла звезда оперной певицы Патриции Бурда Янечковой”

https://ruski.radio.cz/pogasla-zvezda-opernoy-pevicy-patricii-burda-yanechkovoy-8796312

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(50)

 “Царствие небесное рабе Божьей Патрисии. Как же тебя жаль, почему тебя не защитили не сберегли? Для меня ты останешься в памяти навечно самым милым ребёнком насвете, с родными глазами и улыбками.. Помилуй Господи и спаси твою душечку.”

https://www.youtube.com/watch?v=u9UR8KZARfg

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(51)

Patricia Janečková ; Co mi dáš( La Maritza). 

https://youtu.be/gaFLpYiS17M

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(52)

 “C’était l’année dernière, le 31 janvier, un lundi. Et c’était magnifique. Le soleil brillait, les routes et les arbres étaient gelés, donc tout brillait au soleil. Le médecin m’a appelé pour me dire que je devais venir le plus tôt possible pour avoir les résultats, car elle ne pouvait pas me les communiquer au téléphone. (...) Je me souviens que lorsque je suis sorti de l’ambulance, il faisait déjà nuageux.” L’épreuve fatale du prodige. Mon monde s’est arrêté, dit Patricia Janečková( Osudová zkouška zázračného dítěte. Můj svět se zastavil, říká Patricia Janečková)

https://www.idnes.cz/zpravy/revue/spolecnost/patricia-janeckova-rakovina-nador-nemoc-zpevacka- talentmania.A230313_140527_lidicky_rodi

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(53) https://www.instagram.com/p/CZwhrrnsxR1/

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(54) https://www.facebook.com/patriciajaneckova

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(55)

Patricia Janečková - For all my fans. 

https://youtu.be/9c55bCbCogI

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(56)

 “Cependant, la vérité est que tous les messages n’étaient pas gentils. Cela fait probablement partie de la nature humaine.”

https://www.ostravan.cz/81552/zemrela-patricia-janeckova-1998-2023-andelsky-talent-ktery-nestacil- plne-rozvinout-sva-kridla/

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(57) https://www.facebook.com/patriciajaneckova/posts/pfbid0368mhA5r5aZGiLiEAaAX9hSLfZYPBpaX AFB6UAoG9xeVKnQzaThkVPqLf8t59Npm2l

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(58) https://www.i-divadlo.cz/divadlo/narodni-divadlo-moravskoslezske/harpagon-je-lakomec https://www.ndm.cz/cz/opereta-muzikal/inscenace/5806-harpagon-je-lakomec/

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(59) https://www.facebook.com/patriciajaneckova/posts/pfbid02XSZDXAPEJDavevoyKNupTzzweiBPrtE NcKQd5zfH74ZrsAyy1ndbqSUAdWtd7vNSl

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(60)

 Patricia Janečková už opět rozdává radost zpěvem. Je náročné nabrat původní sílu a kondici, říká 29.12.2022 ostravan.cz - Milan Bátor

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(61)  https://www.ostravan.cz/77212/patricia-janeckova-uz-opet-rozdava-radost-zpevem-je-narocne-nabrat- puvodni-silu-a-kondici-rika/

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(62)

 “One month ago it was the most beautiful day of my life”, on 24th July. 2023.

https://www.instagram.com/p/CvFJNOgMVT5/

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(63)  “après un traitement réussi contre l’apparition initiale du cancer, au cours de l’été 2023, la maladie est réapparue sous une forme beaucoup plus agressive, affectant cette fois le foie, et même tous les traitements disponibles n’ont plus aidé” ibid.

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(64)

 “La maladie est revenue avec beaucoup plus d’intensité pendant les vacances d’été et a attaqué son foie. Tous les traitements disponibles n’ont pas aidé et Patricia est décédée le soir du 1er octobre à l’âge de vingt-cinq ans.”

https://www.ostravan.cz/81552/zemrela-patricia-janeckova-1998-2023-andelsky-talent-ktery-nestacil- plne-rozvinout-sva-kridla/

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(65)

 Wedding Part One. 

https://youtu.be/c5dKlEqrwnk

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(66)

 “Zemřela Patricia Janečková( 1998-2023): Andělský talent, který nestačil plně rozvinout svá křídlan (C’était un talent angélique qui ne suffisait pas à développer pleinement ses ailes, mais elle a fait de son mieux pour son choix.)”

https://www.ostravan.cz/81552/zemrela-patricia-janeckova-1998-2023-andelsky-talent-ktery-nestacil- plne-rozvinout-sva-kridla/

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(67)

 “Mais elle a développé ses ailes lorsqu’elle était enfant et a accompli plus que beaucoup d’autres dans sa vie. Et maintenant elle au ciel.” op. cit.

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(68)  “Patricia Burda Janečková a quitté ce monde prématurément à l’âge de vingt-cinq ans et a laissé derrière elle une marque brillante et indélébile. On se souviendra toujours de son art comme d’un éclair éblouissant de talent génial et d’un témoignage d’une jeune artiste incroyablement travailleuse, responsable et polyvalente.” ibid.

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(69)

 Patricia Janečková & Eva Dřízgová-Jirušová ; Canzonetta sull’ aria( W. A. Mozart)

https://youtu.be/d4s5VHlAwDw Pěvecký récital 24. 4. 2021 - E. Dřízgová-Jirušová, P. Janečková et A. Farana. Slovo: M. Kociánová. https://youtu.be/-kgXyWa_SDo

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(70) https://www.ostravan.cz/17618/patricia-janeckova-dobyla-rim-a-rika-chci-aby-me-zpev-provazel-celym- zivotem/

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(71)

チェコ語地名では Jaroměřice nad Rokytnou。

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(72)

Pěvecký recitál 24. 4. 2021 - E. Dřízgová-Jirušová, P. Janečková a A. Farana. Slovo: M. Kociánová.

https://youtu.be/-kgXyWa_SDo

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(73)

ちなみに、オッフェンバックの「ホフマン物語」は、ラクメ(Lakmé)」初演の2年程前の1881年2月10 日に、同じ劇場であるパリのオペラ ・ コミック座で初演されている。

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(74)

“J’essaie toujours de choisir un répertoire qui lui permette d’évoluer progressivement et sans force, sans l’obliger à changer ou déformer sa voix. Les compositions oratoires et les œuvres à thèmes spirituels que nous avons sélectionnées, qui conviennent parfaitement à Patricia, répondent exactement à ces critères et, à mon avis, l’aident également dans sa croissance et sa maturation artistique”

https://www.denik.cz/hudba/patricia-janeckova-maly-rimsky-zazrak-20141114-5n8o.html

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(75)

cf. ex. Le chef Tugan Sokhiev démissionne du Bolchoï et de l’Orchestre du Capitole, publié le lundi 7 mars 2022 à 10h32.

https://www.radiofrance.fr/francemusique/le-chef-tugan-sokhiev-demissionne-du-bolchoi-et-de-l- orchestre-du-capitole-5904362

cf. ex. Le chef d’orchestre russe Tugan Sokhiev démissionne de tous ses postes à Moscou et à Toulouse - Le directeur musical du Théâtre du Bolchoï et de l’Orchestre national du Capitole se dit contraint de démissionner, victime de la « culture d’annulation », publié le 7 mars 2022 à 09h14.

https://www.lemonde.fr/culture/article/2022/03/07/le-chef-d-orchestre-russe-tugan-sokhiev-demissionne- de-tous-ses-postes-a-moscou-et-a-toulouse_6116429_3246.html

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 伊藤 英一(いとう えいいち) 元日本大学法学部新聞学科 教授

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2023年の投稿

 森弘道さんの投稿

 

 

ミュンヘン・ オペラフェスティバル に行ってきました

 

森 弘道

 このフェスティバルは1875年に開始された歴史あるイベントで、今年は6月23日から7月31日までミュンヘンのバイエルン州立歌劇場などで開催されました。今年のテーマは「戦争と愛」、私は7月26日から30日まで滞在してオペラ二本を観ました。ミュンヘンは涼しくて気温は日中最高の時でも摂氏22度程度、長袖が欲しい気候でした。帰国したら35度を超えるこの暑さ、すっかり参っています。

フェスティバルのため ジェンダーレスカラーの 虹色で彩られた バイエルン州立歌劇場正面

  一本目の「アイーダ」はウクライナを意識した読み替え演出の新作で、第一幕の舞台は保育園か小学校の体育館で、天井が至る所破けている中で子どもたちが遊んでいます。緊迫した場面になると爆撃で天井の破れ目から大量の砂や灰が落ちてきます。そんな中でエチオピアの侵攻が伝えられ物語は始まります。第二幕はこのオペラの見どころ、凱旋パレードですが、何と行進してきたのは凱旋軍ならぬ戦傷兵の列、車椅子や松葉杖の行進です。私としてはこのような読み替えには抵抗があったのですが、休憩後の第三幕は歌が感動的で、第四幕のお墓に生き埋めになった場面は非常に綺麗で、保育園の子どもたちが天使のように上座後方に立ち、実に感動的でした。私はこれまでこのお墓の生き埋めがあるため、アイーダを観るのが億劫だったのですが、今回のこの最後の場面を観てホッとしました。最初の嫌な演出の後でこの印象的な最終場面、まさに演出のうまさを感じました。後味の良い舞台でした。

指揮:ダニエレ・ルスティオーニ(ミラノ出身の新進気鋭、将来の巨匠との呼声が高い)

アイーダ:エレーナ・スティヒナ(ロシア生まれのソプラノ、2017年から世界的に活躍)

ラダメス:ブライアン・ジャッジ(ニューヨーク生まれのテノール)

「アイーダ」のカーテンコール

  二本目の「トリスタンとイゾルデ」ですが、10年くらい前にパリのオペラ座バスティーユで見たことがあります。長くて退屈で、眠たくなるオペラでした。しかし、ドイツではやはりワグナーです。迫力のある歌いっぷりで、メリハリが効いて心打たれました。10年たって私の耳が肥えたのかもしれませんが。それに、終幕後のカーテンコールで観衆の熱狂ぶりには圧倒されました。皆さんスタンディングオベーションで、しかも足を踏み鳴らして大変な騒ぎでした。やはりドイツはワグナーの国です。オペラならワグナーでイタリアオペラなど眼中にないという人も多いそうです。

 ミュンヘンではウクライナ支援の旗が至る所に見られました。地政学的にもNATOの一員としてもウクライナ侵攻は日本では想像できないくらい深刻なようです。もちろん世界的にも影響は大きく、今回の飛行ルート、日本航空なんですが、往路は太平洋をアラスカに向けて北上し、カナダ北部から北極圏を突っ切ってヨーロッパに入りました。かってのアンカレッジルートに近いものです。しかし着陸無しで15時間もの飛行でした。今回はビジネスクラスだったからよかったものの、エコノミーだったら私の歳では耐えられないところでした。復路はヨーロッパから黒海の上をトルコ沿岸に沿って飛び、カスピ海を横断し、中央アジア諸国、中国の上を飛んで北京上空から日本へ向かう南回りのルートでした。偏西風の追い風で往路より短く13時間程度の飛行でした。つまり、往復合わせて、ロシア周囲をぐるりと回るミニ世界一周の旅でした。私にとっては珍しいルートでしたが、ヨーロッパが本当に遠くなりました。これもロシアのウクライナ侵攻のせいです。

2023.8.11 投稿

 


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