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2026年
NEW 森 弘道さん
【旅行体験記】
ファーストクラスでウィーンに出かけ、
アンナ・ネトレプコのオペラを観て大満足、
戦争の勃発で旅の体験がまた一つ増えました
NEW 田代 務さん
MCPとA2Aプロトコル
~ AIの開発史から知的労働作業の自動化まで ~
2025年
田代 務さん
進化を続ける携帯電話の通信方式
〜 1970大阪万博の「未来電話機」から第5、第6世代へ 〜
田代 務さん
米国小学校における子女教育体験など
〜 会社サイト掲載のブログから 〜
2024年
田代 務さん
フライ・ツー・ザ・ムーン・アゲイン
〜月への宇宙開発新時代と通信〜
伊藤英一さん
パトリツィア・ヤネチコヴァPatricia Janečkováに花束を
─ 若き歌姫の死とメディアの光 ─
2023年
2022年以前の投稿
2026年の投稿
| 森弘道さんの投稿 | ||||||||||
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森 弘道 中東ドバイを拠点とするエミレーツ航空の最新型ファーストクラスでウィーンへ行って、オペラやコンサートを楽しみ、クリムトやエゴン・シーレといったウィーンやオーストリアを代表する画家の作品を集中的に鑑賞し、この街のカフェ文化を楽しんでくるという魅力だらけのツアーがありました。 ファーストクラスは空港のラウンジからして、ビジネスクラスのそれとは大違い。豪華な造り、食事、飲み物、サービスが待っています。搭乗直後のウェルカムドリンクはドン・ペリニョン2013年もの。一服後のアペリティフではキャビア、それも少しだけ味わうなんてものではなく、まさに「キャビアを食べる」ほどのたっぷりとした量です。就寝前には何とシャワーです。空を飛びながらのシャワーはこれまで思いもつかない初体験でした。就寝時は座席というよりまるで小部屋、機内で提供されるパジャマに着替えて、超高級のスコッチウィスキー・ダルモアのキング・アレキサンダー3世などを舐めつつゆっくりと過ごしました。 ウィーンでは、国立オペラ座でビゼーのオペラ「カルメン」を観て、楽友協会のゴールデンホールでウィーン交響楽団(ウィーンフィルとは別のウィーンの楽団です)を聴きました。 ゴールデンホールは恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでお馴染みのホールで、今回は、一度は座ってみたいと思っていたオーケストラ脇のバルコニー席でした。更に、再び国立オペラ座を訪れてヴェルディの「ナブッコ」を観ました。
「ナブッコ」はかねてから私の大好きなオペラで、個人的にチケットを確保してもらいました。何とアンナ・ネトレプコの出演です。私は彼女が若い頃からのファンで、NHK-BSで放映される彼女のオペラの追っかけをしています。今回の「ナブッコ」では憎まれ役のヒロインで、ナブッコから王位の簒奪を狙うアルガイッレ役です。
彼女は今や世界でもトップクラスのオペラ歌手で、ソプラノながら重厚な声質でアルガイッレにピッタリ、このオペラを素晴らしいものにしてくれました。しかも愛嬌たっぷり、サービス満点でカーテンコールに応えてくれました。 クリムト、エゴン・シーレの作品を多く所蔵するレオポルト美術館、ベルベデーレ宮殿美術館を訪ね、更にクリムトが創設したセセッション(芸術の分離派運動)でベートーベン・フリーズを見ました。勿論、美術史美術館では個人的にたっぷり1日を費やしました。昼食はほとんどの場合有名カフェで摂り、「ウィーンのカフェ」の雰囲気に浸りました。本当に満足なウィーン滞在でした。 忘れもしない2月28日朝、帰国のためにエミレーツ航空差し回しのハイヤーで空港に向かいました。ところがこの朝勃発した米国、イスラエルによるイラン攻撃のため、航空会社のチェックインが延期となり、そのうち欠航となってしまいました。 とにかく3日遅れながら帰国の保証とホテルが取れて、安心して余分のウィーンを過ごすことができました。みんな一緒にウィーンの森に出かけ、ベートーベンの散歩道を辿り、ホイリゲ(地元ワイナリーが提供する新酒の酒場)でワインを楽しんだりして余分のウィーン滞在を過ごしました。 こんなわけで、3日遅れで何とか帰国できました。結局9日間の旅が12日間となりました。旅の体験がまた一つ増えました。 2026.3.9 投稿
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| 金坂祐爾 さんの投稿 | ||||
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上福岡受信所についての昔話 金坂 祐爾 NEWSでなくて恐縮ですが、昭和43年(1968)に業務終了した上福岡受信所についてのむかしむかしの4つのおはなしです。 その1 上福岡受信所と同盟通信社のはなし "日米間初の衛星TV中継が伝えたのはケネディ大統領の暗殺で、その中継に寄与したのはKDDの茨城宇宙通信実験所" という話は、KDDOG・OBならどなたもご存じであろう。では次の話はどうだろうか? 先の大戦中、東京の愛宕山にあったという同盟通信社(昭和36年に発足した日本の通信社)が川越に疎開した話と上福岡受信所のかかわりについて、少し長いが逸話の一部分を引用する。(下線は筆者) 【・・・トルーマン大統領の原爆投下声明も、ポ ツダム宣言も、日本の降伏受諾が先方に届いたことの確認も、その第一報はすべてここでキャッチされた」。川越が疎開地に選ばれたのは、福岡受信所が近くにあったからだったという。『川越市史第五巻』(72年)は 「川越市立小学校の教室に同盟通信社が疎開して外国 電波をキャッチしていた」、『日本外交史』(72年)も「川 越の一小学校にあった」と記している。一方、柴橋は「川越の工業学校」に移転した、と次のように述べている。 「参謀本部、同盟通信の配慮で、川越の工業学校に移転することにした。途中、KDDの上福岡受信所に 一台を預け、眼にしみる郊外の緑を感じながら、やっと川越に辿りついた。たまたま学校長が岡田係長の旧師という因縁も幸いして、万事好都合に取運ばれた。学校側は教室の一部を快く提供してくれたので、ここ に仮受信室を開設して、その日からまた、逞しい受信業務を始めた。地元川越の市長、警察署も、いたって物解りのよい人達で、業務の重要性を良く認識し、芋、 缶詰など食糧の配給に格別の便宜を計らってくれた」 KDDは戦後に設立されたもので、当時は株式会社国際電気通信である。・・・】 【・・・『かわごーえ』によると、分室で受信していたのは、 AP、UP、米国戦時情報局(OWI)の電信放送(い わゆるサンフランシスコ放送)。ロイターについては、 同盟は国際電気通信株式会社の福岡受信所(埼玉県福岡村、現ふじみ野市)で専門に傍受していた。・・・】 詳細は博物館だより63号(川越城の太鼓)(平成23年7月 川越市川越博物館発行)をご覧いただきたい。 その2 上福岡受信所と川越市鳥瞰図2枚のはなし 今、直径数十メートルの衛星通信用パラボラアンテナがそれが建つ地域の名所であるように、かつて短波による国際通信が華やかなりしころは、数十メートルもある空中線用木柱や鉄塔が広大な土地を使って林立・群立する短波の送信所や受信所は、“〇△ムセン”や単に”ムセン“の名でその市町村周辺の人々に親しまれていた。 その親しみを表しているように受け取れた昭和10年代の川越市の鳥瞰図を2枚みつけた。2枚とも川越市が中心なのだが、どちらも右下部に、福岡という(東武東上線の)駅名の近くに“無線電信”と書かれた空中線鉄塔(片方はロンビックのつもりだろうか?)の絵がある。原図が小さく拡大してもボヤケており、位置関係の分かる範囲で切り取った部分図を貼付する。 川越市鳥瞰図 昭和10年頃(部分)
その3 上福岡受信所と筆者が前2話を見つけたおはなし 昭和38年、当時のKDDに18歳で入社し、配属先は今もNHKの国際放送の送信を主業務とする八俣送信所であった。当時は最寄り国鉄の古河駅まで国鉄バスでかなり(現在の時刻表をみたら30分)かかった田舎であった。したがって市街に近く東京にもアクセスしやすい上福岡受信所に配属された同期入社の同僚たちを羨ましく思った。その八俣在勤の頃は古き良き時代で、野球やテニスの事業所ごとの対抗試合が盛んで上福岡のグラウンドまで応援(筆者はいわゆる運動音痴)に出かけたことも今思い出した。現在、筆者はその上福岡(現ふじみ市)のお隣、川越市に住んで50年になる。子供らがまだ幼い頃―当時はすでに研究所建物とプールだけがあったような―上福岡のプールに何度かお世話になった思い出もある。 昨年80歳になって、認知症予防策として、「川越シニア大学『小江戸塾』」という民間団体が主催する、「ふるさと塾」というシニア市民向け講座に8ケ月で18回ほど通った。この講座は単に講義を聴くだけなら楽なのだが、後半の5回は4-6人のグループを組み、自主活動の中でテーマ決定・企画・資料収集・調査・成果発表が課せられていた。即席の年寄り寄合所帯にとっては結構な重荷であったが、結果的には大いに脳活となった。筆者のグループは「川越城の今昔物語」というテーマをきめ、プレゼン資料を制作・発表した。その過程で、筆者は収集した資料の中に、上述2話をみつけて、懐かしく、嬉しくなって、この投稿となった次第である。第一話のなかには、目的とする話題もあったのだがそれは省く。 その4 おまけのはなし この記事を書くために、web上での重複をさけるため、「上福岡受信所」でググってみた。いやいや、有るわ有るわ。私の投稿が恥ずかしくなるほど、数々ヒットした。その中で筆者が秀逸かつKDDOG・OBの方々にも興味を持って頂けるかなと思った2件を紹介して(=リンクを張って)筆をおく。ご閲読ありがとうございました。 戦時の手紙-戦時の通信 上福岡歴史民俗資料館 (1ページ目末~2ページ目) 以上
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◆ 近藤茂雄さんのメッセージ
記事を読んで、ちょっと思い出して短波受信所の後の上福岡運動公園になった時のパンフレットを探してみました。(当時、テニスでよく使ってました。)
とりあえず、少し色が褪せてますが、上福岡運動公園のパンフレットがありました。 ちょっと懐かしいので、スキャンしてみました。 細長のパンフレットで、ちょっとみにくくてすみません。
※ 画面をクリックすると次ページに進みます。
2026年3月2日 近藤茂雄
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2025年の投稿
| 勝部日出男さんの投稿 | |||||||||
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今、ベトナム・ホーチミンが熱い 勝部 日出男 今年2月から3月にかけ、ハノイ、ダナン、ホーチミンを巡ってきた。更に6月にも発展著しいホーチミン市に再訪、投資家とともに不動産会社訪問や各種不動産を見て回った。ベトナムとはもう20年近い付き合いで、ベトナムを訪れる度にその著しい発展進化に驚き、その活気ぶりに元気をもらう。
最大企業ビングループは2018年にベトナム最高層複合タワーと高層マンション群を開発し、公園、学校、病院、スーパー、ホテル、オフィス、ショッピングモール等を含むまちコミュニティが出来上がっている。メトロ駅が計画されている周辺郊外には、イオンなどのショッピングセンター、モール、学校、病院などを含めたスマートシティ、自然たっぷりのECOシティ等、まち開発プロジェクトがいくつもあり、周辺不動産価格も上昇しつつある。
更に興味深いのは、ベトナムは海に面した国という特色を活かした交易ロジスッティック国家としての発展を企図していることだ。それ故に国際港湾整備を急ピッチで進め、特にホーチミンを戦略的港湾としてアジアの一大ハブ港へという構想である。マレー半島のタイ南部最狭部分に運河又は陸橋を建設して太平洋とインド洋をショートカットして結ぶという構想が実現(障害は多いが)すると、ホーチミンは地政学的に最も有利なハブ港湾地域となる。また新国際空港の建設計画もあり、アジアの中核交易ハブ国際都市に変貌してゆくことが未来予想図である。
こうした10年間の経済大躍進のために、不動産関連規制の緩和・改革、金融緩和・規制改革をすすめており、在外ベトナム人からの投資及び外国直接投資(FDI)の呼び込みにも積極的だ。税制優遇や経済特区の設置、ビザの簡素化などにより、多くの国からの企業進出を促している。日本企業による製造業・不動産投資や韓国・シンガポール企業の不動産開発、中国企業のインフラ投資など、多国籍なプロジェクトが進行中であり、また、アジア開発銀行(ADB)や世界銀行、JICAなど国際機関との連携による大型インフラ案件や環境プロジェクトも数多く実施されている。
(クラブセブンティ季刊誌投稿記事から)
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| 田代 務一さんの投稿 |
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| 宇賀神 晃一さんの投稿 | ||||||||||||||||||||
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カイロプラクティックとは何か? 宇賀神 晃一 k-unetの会員の皆様、はじめまして。4月28日に入会いたしました宇賀神 晃一 と申します。栃木県鹿沼市在住。57歳独身です。 ① カイロプラクティック (Chiropractic)とは? 発祥の地はアメリカです(1895年<明治28年>9月18日)。アメリカでは国が認めた医療になります。カイロプラクティックは 「サブラクセイションからの解放」 を目的とした施術になります。「サブラクセイション」については③項で説明します。 ② カイロプラクティックの適応症状 原則 症状は何でもかまいません 痛みで来院される方が圧倒的に多いですが、実は症状は何でもいいんです。カイロプラクティックは症状や病気は診ません。これらの症状の根本原因はどこにあるのか?っていう所にアプローチするだけなんです。えっ?と思われるかもしれませんね。施術は一瞬で終わることが多いです。施術は時間ではなく、真の原因にアプローチ出来ているかが重要だと考えています。 ③ サブラクセイション(Subluxsation) 図参照 下図に示すとおり、脳は脊髄や末梢神経という線を使って臓器や筋肉などの細胞群をコントロールしたり、外界や体内の情報を絶えず脳へ送っています。 「サブラクセイション」とは 通信線の損傷によって接触不良を起こし文字化けを起こしているのと同じです。文字化けがおきると通信の世界ではメッセージのやりとりに支障が出ますよね。つまりそれに似た状態が体内で起こると症状が出たり病気になる可能性があるのです。脳は様々な場所から正確な情報を得てこそ、100%の正確な治癒力を発揮できるのです。神経への妨害(一般的には神経圧迫という言葉を使っていますね)が起きる原因は沢山ありますが代表的なところでいうと外傷ですね。どこで起きる可能性が高いかというと背骨(脊髄)から神経が枝分かれする部分です。図の赤い●、青い●、黒い●の部分です(以降、神経孔という)
④ サブラクセイションが長期間続くと 当然のことながら、症状(病気)が出てきます。痛み、しびれが代表的なものです。そして神経系の通信障害は9つの体内機能に大きな影響をを与えます。 1) 感覚、2)運動、3)体温調節、4)栄養運搬、5)ホルモン分泌、6)毒素の排出、7)組織を作る、8)自己修復機能、9)生殖機能 サブラクセイションを放置しておくと上記9つの調節に支障が出て、様々な症状が出たり、病気へ進行するリスクを背負うことになるのです。先天的治癒力を最大限に発揮させるためにはサブラクセイションはあってはならないのです。 ⑤ カイロプラクティックが診ている場所 サブラクセイションは神経孔や関節面で起きることがほとんどなので、ほぼ背骨近辺しか診ていません。背骨の動きをチェックし、カイロプラクティック特有のチェック方法によってサブラクセイションの位置を特定します。もちろんレントゲン分析もします。ただしサブラクセイションは目に見えないものなのでレントゲンは参考程度にみているだけです。しかし有意義な情報を得られます。カイロプラクティックは症状は診ません、病気も診ません。サブラクセイションが存在するのか?、存在しないのか?にしか興味がないのです。そしてサブラクセイションが引き起こす問題は多義にわたるので適応症状は何でもよいのです。症状は追いかけません。 ⑥ カイロプラクティックの施術(ホームページに施術動画等が掲載されております。) サブラクセイションが発生している場所を特定できたら、背骨をピンポイントで矯正します。ホームページ掲載のアジャストメント映像は上部頸椎矯正の一例です。結果として矯正音が鳴ることもありますが、音を鳴らすことは目的ではありません。サブラクセイションを排除するために骨を利用しているだけです。 ⑦ カイロプラクティックの日本における位置づけ 日本では民間療法の1つという扱いになっており法規制がありません。教育も民間学校の裁量に任されており教育の質もまちまちです。(まがい物がかなり多いです)日本でのカイロプラクティックは医業類似行為に該当し、国家資格が必要なもの(あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師(整骨院の先生)と国家資格が必要でないもの(カイロプラクティックや整体、電気療法、精神療法、電気療法などがこれに該当)に分かれています。世界を見るとアメリカをはじめ、イギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなど世界約40か国がカイロプラクティックの有効性を認めておりますが、日本(厚生労働省)では有効性を認めるに至っておりません。理由はエビデンスに乏しいということです。国によって扱いが全く異なります。 ⑧ 特記事項 1) カイロプラクティックは痛みやしびれ等を改善させるのが目的ではありません。痛みやしびれ等は扱う症状のひとつにすぎません。 2) カイロプラクティックですべての問題が解決するわけではありません。その方の症状の原因がサブラクセイションが起点になっている場合で、それをカイロプラクターが正確に排除することが出来るならば改善される可能性が高いということです。 3) 私達施術家に皆さんを治すことはできません。体を修復するのは皆さんが本来持っている先天的治癒力です。サブラクセイションを排除したら、あとは皆さんの治癒力に委ねられます。私達施術家は病気や症状が改善するよう、きっかけを与えるに過ぎません。 ⑨ カイロプラクティックの歴史
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| 田代 務一さんの投稿 |
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米国小学校における子女教育体験など 田代 務 私はひと昔前、主に企業テレワーク等に係わる関連ブログをA2A株式会社のWEBに連載しておりました( https://a1a.jp/report/columnrev.pdf )。先般これを読み返したところ、現在なお通用する部分があると思われましたので、ここでご紹介します。 右の表紙画像をクリックしてご覧ください。 おりしも米国では新大統領が就任、一方、日本では高校無償化の議論もあり、子供達の教育環境の変化が気になります。 それもあってか、米国在住時の下記のような経験知見を思い出した次第です。 暇な折りにご笑覧ください。 下記のページは、目次にて下線をクリックすると当該ページにジャンプします。
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2024年の投稿
| 田代 務一さんの投稿 | |||
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フライ・ツー・ザ・ムーン・アゲイン 田代 務 先日、「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」というラブストーリー映画を観て、1960年代の米ソ宇宙開発競争の頃が懐かしくなりました。
その目次は次のとおりです。 1 1960年代の宇宙開発競争 2 月の歴史と環境 3. 月探査の新時代 お暇なおりにご笑覧頂き、間違い等あればご指摘頂ければ幸いです。
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5. ビロードの歌声はアクセス禁止の国境を越えて
ロシアはロシア国内の消費者権利を保護する為として、国際プラハ・ラジオのロシア語放送ウェブサイトへのアクセスを2021年7月15日以降、全面的に禁止する措置をとった(45)、と報じられている(46)。 禁止の理由は、その20年前の2001年に国際プラハ・ラジオが取上げた、ヤン ・ パラフ(Jan Palach)に関する報道内容が、自殺を肯定的に語ることを禁止するロシア国内法に抵触するとの理由によると(47)推測されている。 2021年のアクセス全面禁止措置の起因となった、対象報道は20年前の2001年のものだが、その報 さかのぼ 道の内容そのものは更に半世紀以上前の1968から1969年にかけての時期に遡るものである。 ヤン ・ パラフの歿後20年を過ぎた1989年2月、ヤン ・ パラフのメモリアルに花束を捧げようとした劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルが逮捕され、9カ月間の禁固刑に処せられた。これが、チェコ スロヴァキアでの革命の切っ掛けの一つとなり、共産党による一党独裁が終焉する糸口となった。 この革命が、比較的平和裡に推移し、ビロードの表面が白鳥の羽毛のように柔らかく優しい感触で あるように、共産主義から脱却する革命がスムーズに成就したことから「ビロード革命」、あるい は平穏に革命が実現したことから「穏やかな革命」とも呼ばれるようになったのである。そこで、 ヴァーツラフ・ハヴェルはチェコスロヴァキア大統領に就任した。 様々な紆余曲折があったにせよ、ユーゴスラビアのような悲劇が分離独立に伴って多々見られる 中で、チェコとスロヴァキアの温和な関係は高く評価されるべきである。それこそ、ビロード (ヴェルヴェット)のように柔らかくふんわりとした静穏な分離が実現し、その後もヴェルヴェッ トのような関係を保っており、そんなゆったりした穏やかな関係を世界中が範としてくれたらと願 わざるを得ない。 ただ、そのような穏やかな革命や国家関係の礎に、もう半世紀も前の話になるが、当時、未だ20 歳だったヤン ・ パラフの焼身自殺による抗議、犠牲があったことは事実である。 その半世紀前の、しかし忘れられてはならないと思われる事実が、20年前の2001年に於ける国際 プラハ・ラジオの報道内容に含まれた。それが、自殺を肯定的に語ることを禁止するロシア国内法 に抵触するとされ、2021年7月15日以降、国際プラハ・ラジオのロシア語放送ウェブサイトへのア クセスを全面的に禁止するとの措置に繋がったのであろう。 しかし、「オペラ歌手の星が消えた(49)」と報じた国際プラハ・ラジオのロシア語放送の例に見るよ うに、国際プラハ・ラジオ側の報道姿勢は健在である。 シャンソン歌手のシルヴィ・ヴァルタンが、故国ブルガリアのマリツァ川を偲ぶと同時に、自由を求めパリへの亡命を家族帯同で先導してくれた父君への感謝を込めて歌った曲に「 La Maritza (想い出のマリッツァ;ジャン・ルナール作曲)」がある。この曲に、チェコの作詞家パヴェル・ ザックの歌詞を付けた「Co mi dáš(51)(何を私に下さるの)」を、パトリツィアが歌っている。彼女の 歌声に寄せられた、ロシア語でのコメントや、パトリツィアへの愛惜哀悼からは、中欧から東欧に かけて通底する文化的な香りが感じられる。 スロヴァキア人の両親の下にドイツで生まれ、スロヴァキア人の恋人と結婚したパトリツィア・ ヤネチコヴァが、チェコのオストラヴァで活躍、チェコ放送傘下の国際プラハ・ラジオの追悼音楽 番組で哀悼の意が世界に伝えられるという、まさにビロードのような環境に包まれた、パトリツィ ア・ヤネチコヴァの歌声が国境の壁を超克していることが実感される。 6. パトリツィアの闘病に花束を コロナ禍からの黎明がようやく輝きだした2021年末から2022年にかけて、コンサート、オペラ、 ミュージカルと予定も目白押しで、パトリツィア・ヤネチコヴァの素晴らしい活躍と一層の飛躍が 期待されていた。 しかし、「2022年1月31日の月曜日、快晴の朝、太陽の光を反射して、氷結した木々や道路が煌めき壮麗だった。電話では検査結果を伝えられないので、直ぐ来るようにと医師から告げられ、病院 に出掛けた。その帰り、救急車から出ると、既に空は雲に覆われていました(52)」と、パトリツィア・ ヤネチコヴァは、後に雑誌の対談で語っている。 2022年2月9日、インスタグラム(53)およびフェイスブック(54)で、更に、その2週間後にはユーチューブ (55)を介して、1月末に乳癌との診断を受けた為、厳しい闘病生活に入らなければならないと公表した。 舞台を離れ、コンサート等の予定もキャンセルしたことを伝えると同時に、チェコの芸術家支援基 金を通じての援助を依頼した。そして、病魔との戦いに打ち勝って、歌う世界に何時か凱旋するこ とを誓ったのだった。 インスタグラムおよびフェイスブックでの公表に衝撃を受けた人々から、お見舞いや激励の言葉 が寄せられた。チェコ語やスロヴァキア語によるものは勿論だが、ドイツ語、ポーランド語、英 語、日本語、韓国語、中国語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、ポルトガル語、フランス語、 等々、世界各国語によるメッセージが投稿された。フェイスブックでの700を超えるコメントは、長文も多く、懇切丁寧な治療方法や望ましい食事なども綴られている。 しかし、そのような暗いニュースが流れた2ヶ月後には、一転して明るいメッセージが届けられ た。化学療法結果は良好で、担当の腫瘍医と相談した結果、慎重を要するもののミュージカルに出演することは可能とのことであった(57)。オストラヴァのモラヴィア・スレスコ(シレジア)国立劇場でのミュージカル「Harpagon je lakomec?(58)(アルパゴンは強欲か ?;モリエール「守銭奴」のオリ ジナル・ミュージカル版)」で4月6日舞台に復帰し、4月12日には「ウエスト・サイド物語」のマリア役(59)で出演している。 その後も、癌の治療は順調で、8月10日からの外科手術は厳しいものの成功しているとの経過が 果敢にアップされ、回復基調にあることが報告されていた。 しかし、夏には肝機能の不全が重症化し(63)、薬石投与を含む利用可能な治療が望めなくなり、パトリツィア・ヤネチコヴァを救うことが出来なかったと報じられた (64) 。2023年10月1日夕刻のことである。その前々日、9月29日に結婚式の模様(65)をユーチューブにアップし、30万回を超える視聴と、1千 通を超えるコメント欄での祝辞が寄せられる最中であった。 病魔という敵に勇気を奮って挑戦し、頑張って、立派に闘ったパトリツィア・ヤネチコヴァに花 束を贈りたい。 7. 天使の翼とメディアの光 「天使のような才媛は、その翼を完全に拡げるには時間が足りなかった(66) 。しかし、彼女は最善を 尽くした。」 しかし、パトリツィア・ヤネチコヴァを8歳の頃から指導し、更にはヤナーチェク音楽院、オストラヴァ大学を通じて、公私双方で彼女に寄り添って来て、彼女の心に極めて近い存在であるエヴァ・ドリズゴヴァ教授からは、「パトリツィアは子供のころから翼を拡げ、人生で他の人より多くのことを成し遂げました。それで、今は天にいるのです (67) 」とのメッセージがあったことを同時に 紹介している。 生徒としてのパトリツィア・ヤネチコヴァと、彼女を指導し「パトリツィアは子供のころから翼を拡げ…」とのメッセージを寄せたエヴァ・ドリズゴヴァ教授との、息の合った二重唱を視聴して みると(69) 、良い関係の雰囲気に二人が包まれている様相が実感される。 そんな二重唱の例として、先ず、「そよ風によせて(Sull’aria...che soave zeffiretto)」にアクセス してみよう(アクセス先;https://youtu.be/d4s5VHlAwDw)。 二重唱の二番目の例として、23歳になったパトリツィア・ヤネチコヴァがエヴァ・ドリズゴヴァ 先生と出演したリサイタルでの模様にアクセスしてみたい(アクセス先;https://youtu.be/- kgXyWa_SDo)。 レオ・ドリーブ(Léo Delibes)作曲のオペラ「ラクメ(Lakmé)」第1幕からの一曲(73) で、1883年4 月14日にパリのオペラ ・ コミック座で初演されたものである。イギリス統治下のインドで、バラモン教僧侶の娘ラクメが侍女マリカと共に、ジャスミンの花咲く寺院へ出掛け、青い蓮の花を一緒に 摘みましょうと歌う「花の二重唱(duo des fleurs)」である。可憐な娘ラクメとイギリス軍将校 ジェラルド、二人の未来を待ち受ける悲恋を予知させる曲となっている。 前例の2013年に歌われた「手紙の二重唱(そよ風によせて)」では15歳だったパトリツィアが、 後者の例の「花の二重唱(duo des fleurs)」を歌った2021年には23歳となり、その間の技倆の進展 に著しいものが覗えると同時に、エヴァ・ドリズゴヴァ先生の良き指導も推察される。 とは言え、ミラン ・ バトール記者の「信じられない程の努力家で、強い責任感に裏付けされた …」との記述からも推察されるパトリツィアの長所が、逆に2022年の術後スケジュールを厳しいも はこ のに留めてしまった可能性は否めない。公演予定をキャンセルしたとのメッセージどおりには運ば なかった事情が垣間見える。もっとも、2022年4月の「ウエスト・サイド物語」のマリア役での出 演は、当の本人の希望に沿ったものでもあったようで、その際の写真が彼女の逝去を報じるニュー ス等で多く使われていた。 パトリツィア・ヤネチコヴァとエヴァ・ドリズゴヴァ先生との世代の境界を越えたコミュニケー ションが織りなす、ほのぼのとした空気感は、『戦争と平和』でアンドレイ公が見上げるモラヴィ アの紺碧の空のように、あくまでも高く、清らかで、寛大な感じをもたらしてくれる。 1805年12月2日朝からの「アウステルリッツの戦い」を含め、第一次と第二次に及ぶ世界大戦を挟み、更には20世紀末の冷戦終結時までを振り返って見ると、国境の壁、人種や国籍による境界、 言語や信仰信条への干渉、等々で苦難の歴史を辿ったのが、バイエルン、ボヘミア、モラヴィア、 シレジア、スロヴァキアにかけての地域である。 しかし、1998年6月18日にドイツのバイエルン州ミュンヒベルクでスロヴァキアの両親の間に生 まれたパトリツィアが、チェコのオストラヴァで育ち、学び、歌いながら、2023年10月1日夕刻、 天に召されるまで、嘗ての地域的な対立が影を落とした形跡は皆無である。 しかし、不寛容の風潮が地球を取り巻くように蔓延し、国家間の対立や悲惨な戦争が、音楽を始めとした芸術の分野にまでインパクトをもたらしている昨今の世界情勢である (75) 。パトリツィアが活 躍し、翼を拡げつつあった地域の優しく、穏やかで、ふくよかさに包まれた寛容度の高い在り方を 模範として考え直して見る必要があると思われる。 また、パトリツィアが早世したこともあり、DVD やテレビ放送等による高品質メディアの記録 が殆どないことは残念である。しかし、逆に方式や地域性の制約を受けないメディアによる世界へ の拡がりが、インスタグラム、フェイスブック、ユーチューブ等の双方向メディアで確保され、そ の光の恩恵を世界の人々が享受出来ることは幸せであると思われる。特に、パトリツィアの投稿し た録画やメッセージを巡って飛び交う多様な言語からは、そのコミュニケーションを支援する自動 翻訳機能の精度が高まり、言語の壁が克服されつつあることが実感される。 ただし、そのようにコミュニケーションが容易な時代であればこそ、パトリツィアを苦しめた、 「総てのメッセージが優しいものでは無く、それが人間の本質の一面なのでしょう」と述懐させた ような、悪意ある虚偽メッセージに関しては、そのようなメッセージの流通交換を決して許さない システムの構築が迫られている。 歌姫パトリツィアの成功への羽ばたきが止むことなく、翼が更に拡がり、迎え入れられた天での 飛翔に支障が無いことを、そして彼女の歌声が世界中で更に愛され続けることを祈りたい。 なお、脚注に付したウェブ等の参照日時は、特に記載の無い限り、2023年 10月1日から2024年1月22日23:00JST にかけてのものである。 また、チェコ語、スロヴァキア語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語 から、フランス語、英語、ドイツ語への自動翻訳および照合にあたっては、 主として Google translate に依拠した。特に、注釈中に引用紹介したチェ コ語サイトのフランス語文は Google translate の「チェコ語→フランス語 自動翻訳」機能を利用、記録した結果である。
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2023年の投稿
| 森弘道さんの投稿 | |||||||||||
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森 弘道 このフェスティバルは1875年に開始された歴史あるイベントで、今年は6月23日から7月31日までミュンヘンのバイエルン州立歌劇場などで開催されました。今年のテーマは「戦争と愛」、私は7月26日から30日まで滞在してオペラ二本を観ました。ミュンヘンは涼しくて気温は日中最高の時でも摂氏22度程度、長袖が欲しい気候でした。帰国したら35度を超えるこの暑さ、すっかり参っています。
一本目の「アイーダ」はウクライナを意識した読み替え演出の新作で、第一幕の舞台は保育園か小学校の体育館で、天井が至る所破けている中で子どもたちが遊んでいます。緊迫した場面になると爆撃で天井の破れ目から大量の砂や灰が落ちてきます。そんな中でエチオピアの侵攻が伝えられ物語は始まります。第二幕はこのオペラの見どころ、凱旋パレードですが、何と行進してきたのは凱旋軍ならぬ戦傷兵の列、車椅子や松葉杖の行進です。私としてはこのような読み替えには抵抗があったのですが、休憩後の第三幕は歌が感動的で、第四幕のお墓に生き埋めになった場面は非常に綺麗で、保育園の子どもたちが天使のように上座後方に立ち、実に感動的でした。私はこれまでこのお墓の生き埋めがあるため、アイーダを観るのが億劫だったのですが、今回のこの最後の場面を観てホッとしました。最初の嫌な演出の後でこの印象的な最終場面、まさに演出のうまさを感じました。後味の良い舞台でした。 指揮:ダニエレ・ルスティオーニ(ミラノ出身の新進気鋭、将来の巨匠との呼声が高い) アイーダ:エレーナ・スティヒナ(ロシア生まれのソプラノ、2017年から世界的に活躍) ラダメス:ブライアン・ジャッジ(ニューヨーク生まれのテノール)
二本目の「トリスタンとイゾルデ」ですが、10年くらい前にパリのオペラ座バスティーユで見たことがあります。長くて退屈で、眠たくなるオペラでした。しかし、ドイツではやはりワグナーです。迫力のある歌いっぷりで、メリハリが効いて心打たれました。10年たって私の耳が肥えたのかもしれませんが。それに、終幕後のカーテンコールで観衆の熱狂ぶりには圧倒されました。皆さんスタンディングオベーションで、しかも足を踏み鳴らして大変な騒ぎでした。やはりドイツはワグナーの国です。オペラならワグナーでイタリアオペラなど眼中にないという人も多いそうです。 ミュンヘンではウクライナ支援の旗が至る所に見られました。地政学的にもNATOの一員としてもウクライナ侵攻は日本では想像できないくらい深刻なようです。もちろん世界的にも影響は大きく、今回の飛行ルート、日本航空なんですが、往路は太平洋をアラスカに向けて北上し、カナダ北部から北極圏を突っ切ってヨーロッパに入りました。かってのアンカレッジルートに近いものです。しかし着陸無しで15時間もの飛行でした。今回はビジネスクラスだったからよかったものの、エコノミーだったら私の歳では耐えられないところでした。復路はヨーロッパから黒海の上をトルコ沿岸に沿って飛び、カスピ海を横断し、中央アジア諸国、中国の上を飛んで北京上空から日本へ向かう南回りのルートでした。偏西風の追い風で往路より短く13時間程度の飛行でした。つまり、往復合わせて、ロシア周囲をぐるりと回るミニ世界一周の旅でした。私にとっては珍しいルートでしたが、ヨーロッパが本当に遠くなりました。これもロシアのウクライナ侵攻のせいです。 2023.8.11 投稿
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そこで、過去の宇宙開発の歴史とともに月に関する科学や面白いお話をまとめた文書を次の2つのサイトに掲載しました。


