第9回

 

ラテンアメリカ

民芸品の旅

 

ー エクアドル編 ー

 

 
キトー市街
 赤道の下には15以上もの国や島嶼があるのに、南米のエクアドルだけが"赤道"の名前を独占しているのは不思議な話である(アフリカに赤道ギニアと言う国があるが、この国の位置は正確には赤道より少し北にずれている)。
 赤道直下でありながら、涼しい風が吹き、北部アンデスの高峰には万年雪が残っている、太陽とは一見縁のないような感じのするエクアドルは、南米大陸の中では、ウルグアイに次いで小さく、インデイッヘナ(”インディオ”は差別用語なので私は使わない)の割合もボリビアに次いで多い国である。この国については、日本では余り知られていないように思えるし、実際に世界的なニュースにも乏しい国である。日本と関係のあることを私の知っている範囲であげてみよう。
民族衣装を着た人形
①1918年に野口英世博士が黄熱病の研究のため、グアジャキール(Guayaquil=グアヤキールと呼ぶ人もいる)にわたり、ワクチンを開発して流行を食い止めた。その功績を称え、エクアドル政府は、"名誉大佐"の勲章を贈った。グアジャキール市のほぼ中央部に野口通りがあり、胸像が立っている。
②1931年に米国の宣教師がキリスト教放送のために開局した"アンデスの声"短波放送局が、1964年から長年日本語放送を行っていた。ラテン・アメリカに関心のある人はたいてい知っていた。この放送局はキト市の外れにあり、世界の18の言語で放送しており、民族音楽や現地の出来事などを伝える番組である。情緒ある局名とともに、宗教を越え、世界の短波放送愛好家に広く知られていたが、今はもうない。
木彫り人形
③かっては日本全国に流行したパナマ帽の製造地である。パナマはこの帽子の単なる輸出港であって、帽子そのものはエクアドルで作られている。
④何気なく食べているバナナの中には、エクアドル産がたくさんあり、2008年頃からは移住した日本人が、自分の名前をいれたバナナを日本に輸出している。田辺農園はその中でも先駆者的存在である。一度召し上がって頂きたい。  
 この国の商業経済の中心地は、太平洋に面した港湾都市グアジャキールで、首都キトはアンデスの山中の盆地のような場所にある。玄関口の、マリスカル・スクレ国際空港は、飛行機から見下ろすと、滑走路がたった1本だけの小さな空港である。空港はキト市の北の外れにあり、中心部から約10キロ離れている。キト市は新旧2つの地域に分かれていて、新市街には、公園や近代的なビルやホテル、文化施設や官庁などがあり、旧市街には、植民地時代の古い建物が残っており、住宅街の通りは狭く、ごちゃごちゃした感じで民芸品などを売る店も多い。  
壺を持つ少女
 エクアドルの民芸品は、南米の他の国と同じように、木彫りの人形類とか、毛織物、陶器などが主である。木彫り人形は百姓や、乞食を扱ったものが多く、比較的大きなものもあるが、重いので旅行者には持ち帰るのが厄介だ。珍しいものとして、パンをこねて、人形や花の形に固めた"マサパン"と言うものがある。これについては後で述べる。
 この他に、民芸品とはちょっと異質であるが、これこそエクアドルにしかないと思われる、"Tzantza(ツァンツァ)"と言う、人間の首を干して縮小したものの複製品がある。本物のツァンツァは、ヒバロ族が、部族間の戦争で捕虜にした敵の首を、そのまま約半分の大きさに干し固めて作ったものである。頭蓋骨そのものを縮小するのだが製法は秘密だそうだ。この風習は、戦った仇敵への呪いのために、捕虜の首を自分の家の天井にぶら下げておき、朝夕これに向かって思い切り悪口を吐くと言うものである。ある米国人が、製法の秘密を探ろうとしたところ、自分がツァンツァにされてしまったと言う話がある。以前は本物も売られていたが、今は販売禁止になっている。男よりは女、土人よりは白人の首の方が高いそうだ。民芸品として売られているものは、後述の写真のように、羊の鞣革を使った模造品であるが、実に良く出来ている。2018年2月に上野科学博物館でインカ展があったとき、このツアンツアが展示されていたが、この章に載せた私の物よりずっと小さいものだった。  
南米で一番古いと言われる教会
 旧市街の目玉は、1535年に造られた、南米で一番古いサン・フランシスコ教会である。頑丈な建物だったが、1987年の大地震で、あちこちが壊れ、修復に10年以上もかかったが、大部分は当時のままの状態を保っている。この教会前の広場から、キト市の南端に当たるパネシージョの丘が一望にできる。高さ180メートルほどの丘であるが、頂上には、"ビルヘン・デ・エクアドル"と言う、コンクリート製の聖母マリアの像が建っている。この像の下に名前を彫ると、再びキトに来ることができるとの言い伝えがあるので、私も最初に行った時(1977年)、持ち合わせていた爪切りの端で名前を刻み込んだら、その3年後に本当に、再度この丘に登ることが出来た。頂上からはキトの新旧市街が一望にでき、地理を把握するのに好都合な場所である。 
 エクアドルに行ったなら、"赤道記念碑"は絶対に見落とせない場所である。記念碑はキト市の北方約22キロの、サン・アントニオ村の広場の中に建っている。記念碑は高さ30メートルで、てっぺんには直径4.5メートルの地球儀が乗っている。記念碑の下には、南北緯度0度を表す赤と白の線が引いてある。ここを訪れた観光客は、必ずこの線を跨いで写真を撮る。南北両半球一跨ぎと洒落るわけだ。この記念碑は、以前はもっと辺鄙な場所にあったものを、1979年頃に現在の場所に移設したものだ。今の場所は周りに土産物屋が沢山並び賑わっている。この他にも、赤道を示す標識は、南米大陸の太平洋岸を南北に走る、パン・アメリカン・ハイウエーなど、赤道直下に当たる場所に大小の標識が立てられている。

ツアンツア
捕虜の干し首

 記念碑と言えば、やはりキト郊外に、インカ帝国最後の皇帝になった、アタウアルパの胸像がある。15世紀にインカ帝国の皇帝ワイナ・カパックがエクアドルを征服した。ここがインカ帝国の版図の北限になる。エクアドルを征服したワイナ・カパックは、2人の息子の一人アタウアルパにキトを支配させ、もう一人の息子ワスカルにクスコを統治させた。しかし、ワイナ・カパックの死後二人の兄弟は、王位継承をめぐる長期間の戦争を繰り広げ、1532年に漸くアタウアルパが勝った。丁度その頃、スペイン人のフランシスコ・ピサロがペルー北部のツンベスに上陸、黄金を求めて次第にエクアドルに侵入してきた。鉄砲や馬を持たないインカ軍は、少数のピサロ軍に敗れ、アタウアルパは遂に捕虜となり、1532年11月、ペルーのカハマルカで殺され、インカ帝国は滅亡した。この最後のインカ皇帝アタウアルパの記念碑である。
 
 
上野科学博物館で2018年2月に行われたインカ展で展示されたツアンツアの製法図
 
 エクアドルと言う国は、インディヘナの数がボリビアに次いで多い。しかし、ラ・パスのように、街中に伝等的衣装をまとった人たちが歩いているわけではない。その代わりではないが、地方にはインディヘナの町や村が沢山あり、毎週土曜や日曜にはインディヘナの市が立つ。
市でクイを売る女達
こうした市(いち)に集まる人達は、被る帽子によって出身地を見分けることができる。各地にあるインディヘナの市の中でも、オタバロ町の市が一番有名である。オタバロはキトからパン・アメリカン・ハイウエーを2時間ほどで行ける場所で、十分日帰りができるので観光客には嬉しい。この途中のカルデロンと言う村が、先にちょっと触れたが、エクアドルの有名な民芸品の一つである"マサパン"(マジパンという人もいる)の産地である。マサパンは、パンをこねて、動物や花などの形に固め、乾燥させて色をつけたものである。形は様々で、大は30センチくらいの置物から、小は胸につけるブローチ、ペンダントなどまである。私も幾つか買ったが、生のパンを固めたものなので湿気に弱く、中に閉じ込められていた虫が復活し、中から食い荒らして、人形をぼろぼろにしてしまった。そのため写真が紹介できないのが残念である。 
赤道記念碑
 オタバロのインディヘナの市は、エクアドル民芸品のショーウインドウのような観がする。中でも目を奪われるのは、毛織物の敷物や壁掛け、ベッド・カバー、袋物、クッションなどで、鮮やかな色彩は見事なものだ。色鮮やかな織物が、山と積まれている市の光景は、それは美しいもので、平均身長150センチくらいの小さいオタバロ族の人々が着る、真っ黒いポンチョが一際、浮き上がって見える。アンデスの高原に暮らす人たちの貴重なタンパク源である、"クイ"(天竺鼠、モルモット)を焼いて売っているのは、日本人にはちょっと気持ちが悪い。壁掛けや敷物、ポンチョなどの毛織物のデザインには、いずこの国のものもそうであるように動物が主である。しかし、ここの動物には、ハチドリとかガラパゴス諸島の亀など、他の国にはないモチーフがある。特にハチドリは、鳥類の中で一番小さい鳥で、南北両アメリカに約300種程住んでいるが、その内米国には約20種くらいなのに、エクアドルには100種類もいて、米大陸で一番種類が多い。

赤道を示す標識は
他にもある

ハチドリは、体長8センチ未満で、体重は4グラムほどの小さな鳥である。羽の色は光沢のある緑色を基調にしているが、玉虫色に変化して輝く美しい鳥で、"空飛ぶ宝石"とも言われている。花から花へ蜜を求めて飛び渡り、蜜を吸うために空中静止ができるように、1秒間に80回以上も羽を回転させる。また、蜜を吸いやすいように、舌が嘴の2倍以上も伸び、エネルギーの補給のために、1日に体重の2倍もの蜜を吸う。花から離れる時に、後ろ向きに飛べるのもハチドリだけの特技である。
 ガラパゴス諸島がエクアドル領だと言うことを知らなくても、この諸島の名前だけは有名である。チャールス・ダーウインの進化論で世界に知られたガラパゴス諸島は、1978年に世界自然遺産第一号に指定された。この貴重な島々も、島の開発や、1994年5月に起きた大規模な山火事、さらには、心無い観光客が棄てるゴミ、付近で起きたタンカーの座礁事故で流れ出した大量の重油などが重なって生息地を襲い、生態系を壊す環境破壊が、予想を超える速さで進んでいる。こうした環境破壊に警鐘を鳴らす写真集「ガラパゴスがこわれる」を、日本人の藤原幸一さんという人が2008年2月に出版した。人間の活動がいかに自然をかえてしまうか、本当に恐ろしいと語っている。この諸島にしか生きていない、陸イグアナ、象海亀、飛べないコバネ鵜、ガラパゴス・ペンギンなど、そのうち見られなくなるかも知れない。象海亀は、かって25万頭もいたのに、今では最大に見積もっても約1万4千頭しかいないと言われる。保護の努力が続けられているが、密漁者に獲られたりして、減少が続いている上に、人間が島に持ち込んだ動物達が、卵や子亀を襲ったりして、減少に拍車をかけている。
キトー市街を見下ろすパネシージョの丘に立つマリアの像
 エクアドルを書くには、抜かしてはならないことがある。それは、コロンビアとの国境に近い南部の長寿村、ビルカバンバ村のことである。ビルカバンバとは、ロハ県のマラカストス、ビルカバンバ、ヤンガーナの3部落の総称で、全部の人口は約5千人である。古い国連の統計によると、5千人の中で、100歳以上が約380人、90歳以上が約600人と言う、驚くべき数字が記録されている。住民の農民達は素朴で早寝早起きでよく働き、食事は粗食で過ごし、ゆったりとした平和な生活の中で、ストレスは全く感じていないと、この村を研究した各国の研究者は報告している。村は海抜1600メートルの高地にあり、気温は常に20度前後、自然環境は極めて良好である。地味は豊な上、特にアンデスの山から流れ出る水は、美味で炭酸カルシュームの含有量が豊富である。このような条件が健康を保つ長寿の原因と見られている。飽食でいらいらの多い生活を送る日本人には、真似のできない、羨ましいことである。
ガラパゴス島の軍艦鳥
 先のペルー編でも述べたが、南米大陸の太平洋岸の国々は、地震の巣の上に座っているようなものである。キトから南へ下るパン・アメリカン・ハイウエーの両側を、アンデスの連山が平行して走っているが、この中にはコトパクシ、イリニサなどの火山が混じっている。19世紀にドイツの地質学者アレキサンダー・フォン・フンボルトが、このあたりを"火山大通り"と命名した。有難くない大通りは、しばしば大きな地震を起こす。最近でも、1987年3月には、アマゾン源流地帯に近い東部のナポ州で、1996年3月には、海抜3000メートルを越す、インディヘナが住む山岳地帯で大きな地震が起き、大勢の死者や家屋の倒壊を引き起こした。最新の地震は2006年に起きている。  
 地震も自然現象の一つと捉えるのならば、エクアドルは、むせ返るような湿気に覆われた海抜ゼロの海岸地方から、涼しい高原、活火山の多い火山地帯、未だに外界との接触を拒んでいる原住民のいる密林地帯まで、全ての自然現象や環境を揃えた欲張りな国である。南米の国々の中では治安の良い国なので、ペルーへ行くチャンスがあれば、2~3日日程を水増しして、赤道を跨いでくるのも一興であろう。ただし、音楽や食べ物は余り期待しない方が良いかもしれない。(2021.10.3 改正版)  
 
 

 

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