LIGHT 光 |
テート美術館展 |
Works |
from the Tate Collection |
ターナー、 |
印象派から現代へ |
東京展 |
2023/7/12 - 10/2 |
大阪展 10/26 - 1/14 |
(本稿掲載の作品の画面をクリック(タップ)すると大きく表示されます。 )
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ターナー自画像 |
9月上旬、東京の本展覧会へ行ってきた。入り口で出迎えてくれたのはターナー数点の作品群。これまでの私のターナー観は決して肯定的ではなかった。不鮮明な輪郭、ぼやーっとつかみどころがなく主題が分からない…。あれこれ調べていたら、我が意を得たりという文章に出あった。奔放な色彩と筆使いで描かれた、対象のはっきりしない絵は批評家たちから痛烈な批判を浴びていたそうである。伝統と過去の規範から逸脱しているターナーの作品を前にして「石鹸の泡と水漆喰」「卵とほうれん草」「ロブスターサラダ」と揶揄する表現が浴びせられたというのである。 しかしながら、そんな批判のなかでもターナーは光と色彩をめぐる独自の作風を模索していった。あまりに革新的で斬新なスタイルは反感を買った時もあったが、ターナーはパトロンに恵まれ、創作活動を続けていくことができたのである。
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ヴェネチア |
そして敬遠されがちとなっていったターナーの作品を絶賛し、ターナーの名声を世界的に広めたのは、ヴィクトリア朝時代の最大の美術評論家となっていたジョン・ラスキンであった。ラスキンにとって「ターナーは自然の全体系を写し取った唯ひとりの人間であり、この世に存在した唯ひとりの完璧な風景画家」であった。「彼の芸術は、自然の表層を正確に描写するだけでなく、見る者の精神をより深い思索へと導くからこそ重要である」と主張したのである。
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ノラム城日の出 |
ターナーは60才の頃から次第に写実的な描写を超えて、大気や水、光、炎といった自然のエッセンスを抽出し、ときに渦を巻くような自在なフォルムを用いて、その激しい動きや変化をとらえるようになった。人々は驚き、困惑したが、ターナーはこう語ったという。 「私は理解してもらうために描いたわけではない。ただ、このような情景が実際にはどんなものなのか示したかったのだ」
国立新美術館の本展覧会における私にとっての珠玉の作品は、《光と色彩 ゲーテの色彩論 ―― 大洪水の翌朝 ――「創世記」を書くモーセ》である。 ターナーはゲーテの『色彩論』から影響を受けた。東京美術『もっと知りたいターナー』を読んでいたら、その解説があったので一部を紹介してみたい。
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光と色(ゲーテの理論)–大洪水後の朝 –モーセが創世記を書く |
「洪水のあとに昇った太陽の輝きが画面を満たし、中空に座して『創世記』を書くモーセが新しい世界の始まりを告げている。人の顔のようなものは、ターナーがこの絵に付した詩にある「大地から立ち昇る湿った泡」に対応し、新たに生まれる生命を表していると考えられている。しかし彼は続けて『…希望の前触れは、夏の蠅のごとく儚く、湧き上がり、漂い、はじけて、死ぬ』と書いている。そこには生と死は永遠に循環するという、ターナーの思想が込められていると推測されている」
そして、今般参考文献として読んでいたこの『もっと知りたいターナー』ではターナー作品を「崇高」という言葉で評していた。 「崇高…巨大なものや激しいもの、あるいは無限や暗黒や沈黙など、何か途方もないものが我々の心の内に呼び覚ます、強烈な畏敬の感覚を積極的に肯定していく美意識である」 「ターナーの絵画に繰り返し描かれた、険峻な山並みや壮麗なゴシック建築、嵐や吹雪、雪崩や洪水といった大自然の脅威などは、まさしく風景を介して崇高美を表したものであった」 「崇高」という表現がターナーの作品を最も端的に表現しているのではないかと思う。
今回の展覧会を機に、すっかりターナーファンになってしまった自身に驚きもしたが、年齢とともに捉え方や感性も変化していくのかもしれない。崇高なターナーの絵を前にして、ターナーが見た現実の情景から精神の昇華と深い思索へ誘われているのを認めずにはいられない。 日本人二人のターナー論を最後に記しておきたい。 夏目漱石「かのTurnerの晩年の作を見よ、彼が画きし海は燦爛として絵具箱を覆したる海の如し」 和田英作「コムポジションやデッサン等の事を考へるいとまもない実に驚くべき色彩に富んだ画家」
(2023.11.4)
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