第25

 

 

クララと シューマンと ブラームス

 

 

 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家ロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810-1856)と妻クララ、そして14才年上のクララを生涯慕って独身を貫いたヨハネス・ブラームス(1833-1897)について紹介いたします。

(上) 100ドイツマルク紙幣に描かれた
 クララ・シューマンの肖像

(中) 100ドイツマルク紙幣に描かれた
 ピアノの絵

(下) ライプツィッヒ・ゲバントハウスに
 デビューした際に使ったピアノの写真

 

クララ・シューマン作曲
3つのロマンスOp.21(1853)
(右のピアノアイコンをクリックすると新しいウィンドウでYouTubeが開きます。)

 

 クララは欧州通貨ユーロ導入前のドイツではお札の肖像にもなっていたことをご存知でしょうか。100ドイツマルク札に使われていたのです。100マルクはドイツマルクの中でも流通量の多い紙幣、100ドル米紙幣と並んで世界で最も流通していた紙幣のひとつでした。裏面の中央にはクララが1828年10月にライプツィッヒ・ゲバントハウスにデビューした際に使ったピアノの絵が添えられ、右下には音叉が5本描かれています。なおこのピアノにはペタルが4本描かれていて、絵を描いた人の単なるミスだといわれているが修正されることはありませんでした。ピアノのペダルは2本または3本です。

 クララは天才少女とうたわれ9才でデビューしました。12才でヨーロッパ中を演奏旅行、18才の時にはオーストリア皇帝より宮廷音楽家の称号を受けます。シューマンと結婚後はいかにしてピアノの練習時間を確保するかの闘いでした、8回もの出産をしているのです。 シューマンには若い頃から情緒不安定な傾向がみられ自己破壊的な衝動があり、常に死の影に脅かされていました。15才の時姉自殺、自分もいつか発狂するのではという恐怖に怯えつつけていました。また他人に危害を加えることを何よりも恐れていたのです。それを知りながらクララはシューマンと結婚しました。クララはシューマンが常に精神的に危うい均衡の上に立っていることと、そして自分の結婚生活が決して平坦なものにはならないだろうと知りながら彼と一緒になったのです。一生シューマンを支え励まし続きたクララは、やはり並みの女性ではなかったといえるでしょう。結婚前のシューベルト「もし君がそばにいたら、自分と一緒に君を殺してしまったかもしれない」こんな洒落にならない衝動まで告白しています。結婚後二人の演奏旅行の間は、妻ばかりが脚光を浴びることに不満をいだいたシューマンの激しい気分の浮き沈みにクララは振り回され続けていました。

 シューマンの成し遂げた業績のひとつは、ヨハネス・ブラームスを世に知らしめたことでした。ブラームスを「今に時代の最高の表現を理想的に述べる使命を持った人」と若き天才作曲家の出現を高らかに褒め称えたのです。19世紀後半、圧倒的な魅力を放って西洋音楽界を席巻したワーグナーとその一派に、たった一人で対抗していた感すらある最後の砦ブラームスを、熱烈な賛辞と共に世に送り出すことだったというのは、象徴的な出来事として歴史に刻まれています。

ロベルト・シューマン

 ブラームスとシューマン夫妻との出会いについて述べておきましょう。 ブラームスはハンブルクに生まれ、13才から家計を助けるために酒場などでピアノを弾いていました。一度シューマンに自作品を送りますが、シューマンは当時精神的に参っていて封を切られることもなく返送してしまいます。その後ヴァイオリニストのヨアヒムにシューマンを訪ねるよう勧められ、ライン河沿いの徒歩旅行中シューマン家を訪ねことになりました。この時ブラームスは、持参したピアノ・ソナタ第1番を演奏し、その音楽に感銘を受けたシューマンはクララと共に深い感動をブラームスに伝えたのです。シューマンは、自身が創設した、今なお続く音楽雑誌『音楽新報』で、ブラームスを「新しい道」として紹介し、この出会いがブラームスのその後の全人生を決定することとなりました。

ヨハネス・ブラームス

 

ブラームス作曲
ピアノソナタ第1番ハ長調Op.1(1852-53)
(右のピアノアイコンをクリックすると新しいウィンドウでYouTubeが開きます。)

 ブラームス自身はシューベルトとの出会いを次のように語っています。 「シューベルトが私を世に紹介してくれた。私自身の性格は恋の成就を阻むことになる。自分自身が結婚生活に向いていないことは私は自覚している。私は内気で奥手で、女性に対して大胆に振る舞ったり、愛の言葉をささやいたりすることが大の苦手だ。不器用で、結婚生活と作曲を両立させる自信もない。家庭を持つことが、芸術の蘊奥を究める妨げになることはないだろうかという恐れ。Frei aber Einsam 自由だが孤独。愛にはいろんな形があってよいと私は思っているし、結実しないからといって、そんな愛は無駄だと言い切ることなど、誰にもできないはずだ。〈詩人の恋〉がそもそもそういう作品だ。私は決して結実しない私の愛を、創作活動へと昇華させよう。クララに対する私の愛は、私なりの〈詩人の恋〉なのだ」(深水黎一郎著『詩人の恋』より) ブラームスは生涯独身を貫きました。クララ亡き後、クララの娘ユーリエにひそかな愛情をいだいていたものと思われています。

 壮絶な生涯を遂げたシューマン、それを支え続けたクララ、夫妻を傍らで眺め続けたブラームスの関係はドラマティックであり、長編小説の体を成しています。 最後にシューマンへの最大級の賛辞を贈り、終演としましょう。

〈詩人の恋〉「ドイツリートの最大傑作のひとつとみなされている。一音の無駄もない完璧な作り、足すべき音も引くべき音もない」 「シューマンは古今東西の作曲家の中で最も文学的才能のあった人物の一人であり、卓越した批評性と文学性を併せ持っていた」 「シューマンが若い頃から何度も自殺の瀬戸際に立ちながら実行しなかった理由として、自分は芸術作品を創造するために生まれてきたのだという強烈な自負心を持っていたことが挙げられているが、シューマンの人生はこの自負心を支えに、迫り来る精神の衰微と危機の中、恐るべき勤勉さと不断の努力によって高みに至ろうとする精神の軌跡であり、その生き様が我らシューマニアーナを惹きつけてやまないのだ。そうやって不断の芸術創造によって自らを〈救済〉し続けたから、若い頃から死の影に取りつかれながらも46才まで、曲がりなりにも生を全うすることができたのだ」(深水黎一郎著『詩人の恋』より) 

(2023.5.7 ブラームスの190回目の誕生日に) 
 

シューマン作曲 詩人の恋 Op.48

フィッシャー=ディスカウ
ホロヴィッツ (pf)

 

 

  

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島崎さんへのメッセージ

爽やかな清々しい出会い

富士さん

2人のハンサムマンと上品な女性クララ、素敵な場面です。

英語も聞き取りやすく分かり易いですね。

全映像を見てみたくなりました。

そしてさらにシューマンとブラームスを聴きたくなってきました。

島崎 陽子

古~ぃ映画のひとこまをご紹介しましょう

文中でシューマン夫妻とブラームスの出会いのことに触れておられますね。

このことに関連して1947年制作の映画(Song of Love)のひとこまをご紹介します。

https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%a9%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3%2b%e6%98%a0%e7%94%bb%2b%e6%ad%b4%e5%8f%b2&docid=603546027281877576&mid=23F2ED14C6437ADA252B23F2ED14C6437ADA252B&view=detail&FORM=VIRE

うまく開かないようでしたら、楳本さんの助けを借りてください。

PS:投稿文の中で「シューベルト」の名前が2か所出てきますが、もしや「シューマン」のタイプミスでは?

 

富士さん おお、私もどうしよう…

富士さん

ぜひぜひ、第1話からお願いいたします。ですが、第何話まであるのかしら…(笑)

いや、何話まであってもいいんですよ、喜んで耳を傾けさせていただきます。

ドビュッシー…フランス音楽へも発展させていきたいですね。

おお、音楽を聴いて本を読んで美術館へ出かけていって、さらに、人生、楽しんでいきたいです。

お薦め本ございましたら、ぜひ、ご紹介ください。

島崎 陽子

クララとブラームス・・・ああどうしよう!

島崎さん・・・ああどうしよう!!!

当時の作曲家はお互いにいろいろな形で影響し合っていましたね。そういう意味で今回のテーマにはたいへん興味深いものを感じます。クララ/ブラームス  vs. リスト、シューベルト、ドビユッシー・・・どんどん発展していって下さい。

クララとブラームスに限って言えば、86歳の私にとって溢れんばかりの思い出があります。お許しを頂ければ第1話(?)から始めますが・・・

蛇足ですが・・・

島崎様

メッセージへのご返事、ありがとうございます。

蛇足になって恐縮ですが、折角ですのでついでの付加情報です。

シューマン夫妻とブラームスには関係ないので書きませんでしたが、本日5月7日は、ブラームス以外にチャイコフスキーの誕生日(1840年)でもあります。
それともうひとつ、シューマンの誕生日6月8日を2倍すると、ベートヴェンの誕生日とされている12月16日(1770年)になるのを付加情報として追加しておきます。ベートヴェンの誕生日は定かではありませんが、洗礼日が12月17日と記録が残っていますので、その前日が誕生日とされています。

楳本 

楳本さま ありがとうございます!

楳本さま

たとえこじ付けであろうと、面白いエピソードに3人の因縁めいた宿命を感じました。

フィッシャー・ディスカウ《詩人の愛》は本当に素晴らしいですね。

雨模様の今朝、この曲から一日が始まりました。

島崎 陽子

シューマン、ブラームス、クララの誕生日の不思議な関係

島崎様

時宜を得た投稿、興味深く拝読しました。そこで、話題作りに面白い話を提供します。

ブラームスの誕生日は5月7日、シューマンの誕生日は6月8日、クララの誕生日は9月13日です。
これらの間には面白い関係がありますが、ご存知でしたか?

ブラームスの誕生日の月日の数値にそれぞれ1を足すと、シューマンの誕生日になります。
つまり、5+1=6、7+1=8 となります。

ブラームスの誕生日の月日の数値とシューマンの誕生日の月日の数値を足して2を引くと、クララの誕生日になります。
すなわち、5+6-2=9、7+8-2=13 となります。

かなり、こじ付けの感じは拭えませんが、面白い関係ですね。

以上、お粗末でした。

楳本

 

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