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 島崎陽子の

美術散歩
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カステッロの受胎告知 サンドロ・ボッティチェリ(1444/45 ~ 1510) 「春の戴冠」辻邦生著を読んで 第2回 

  

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 聖マルティノ寺院から依頼された「受胎告知」の背景に、一本の樹が枝葉を空に開いている。明らかに北方画家の作品の背景に触発された雰囲気、不思議な静謐感。一本の樹木はこの細長い窓の枠取りの中央に、内と外の両方を静かに眺める証人のように立っていた。
 私にはその樹木が無人の、音の絶えたような、澄明な神聖劇の唯一の観客のように思えた。それは沈黙した、敬虔な存在に化身した人類そのものに他ならぬのではないか。「神曲」の詩人と同じように、自由な視覚で〈神的なもの〉を表わす形を空想の中から呼び出している。この異国風な風景のなかに私は地上の静寂と懐かしさを感じる。(本文より)

 本の主人公に語らせたこの描写。
 推敲に推敲を重ねたのであろうか、それとも想うがままにペンを走らせたのであろうか、無駄のない文章で情景を見事に描き切っている。静謐感、澄明さ、敬虔さ、懐かしさを全身で感じ取ることができ、放心するように陶酔してしまう。辻邦生を敬い仰ぎ見、大ファンであるといいたくなるこのような描写場面に至る所で出会う。
 私が今回この絵を取り上げたのには理由がある。1489-1490に製作されたこの絵はフランドル派の影響を受けているといわれていてこの頃から芸術作品に北方の暗示が見られ始めてきたからである。絵画では、遠くがぼんやり霧で薄れるトスカナにおいて、それまで冷たく澄んだ水のような空気の表現は不可能だったそうだ。それまでフィオレンツァでは試みられなかった画法で、その澄明な空気を湛えた実物そっくりに描かれた世界は驚異的だっだそうである。北方画家たちの影響が拡がり始めた。
 そこには当時のフィオレンツァとヨーロッパの政治情勢が大きく関わっている。
 そのころまでにはメヂィチ銀行の柱がぐらつき始め、すでにロンドン支店が閉鎖されていた。北ヨーロッパのみょうばん独占販売権を失い、今度はアヴィニヨン支店の崩壊と続いていた。
 すでに英国もネールランディアも羊毛をフィオレンツァに輸出せず自国産の毛織製品で自給自足をはじめていて、フィオレンツァの輸出入業にも大きな陰りが見えてきていた。メディチ家当主のロレンツォにはもはや打開の道はなく、問題は各支店をいつ閉鎖するかにあった。一日のばせばそれだけメディチ家の財政に負担が加わることは眼に見えていた。一斉に引き揚げることはロレンツォの地位を危うくするのではないかという忠告の声のなか、最後にブリュージュ、ヴェネツィア、アヴィニヨンの三支店の閉鎖を決定したのはロレンツォ自身だった。実質的な負担を軽減したほうがメディチの力を温存することになるとロレンツォは判断した。
 ブリュージュのメディチ商会を取り仕切っていたのがトマソ・ボルティナリ。ブリュージュ支店が閉鎖されブラドラン館が売却されて、ボルティナリが生涯の大半を過ごしたブリュージュからフィオレンツァに戻ってきた。ボルティナリの屋敷に相当の数の北方都市の絵画、木彫、レース飾り、家具、飾物、つぼ、細工物、装身具が持ち帰られていた。
 フィオレンツァの人たちが北方文化に触れる大きな契機となった出来事である。
 ボッティチェリをはじめとした画家や職人たちも足しげく通い詰めたのであろうか。新しい世界に目を見張るボッティチェリのクリクリとした目と純真な好奇心を垣間見るようである。

 京谷啓徳著『もっと知りたいボッティチェリ』東京美術より。
『カステッロの受胎告知』について
 マリアは美しい曲線を見せながら、思わず身を引くかのようなポーズを見せており、戸惑いと受け入れの間の絶妙なパランスが感じられる。
 この作品で焦点になっているのは、マリアと大天使ガブリエルの手振りにより対話だ。垂直に立てた天使の手は、開口部の垂直線と一致し、それに対して、同じ形を繰り返すマリアの両手のうち、右手は開口部のくり型のなかにぴったりと収まることによって、その役割を際立たせている。彼らの手先の、いかに表情豊かなことか。戸惑いながらも天使を受け入れようとするマリアの心情が、彼女の表現とポーズに加えて、この手によるコミュニケーションによっても見事に表現されている。通常描かれる象徴的なモチーフは切り詰められ、ガブリエルとマリアが大きくクローズ・アップされたこの作品は、キリスト教の教義の図解よりも、人間的なドラマの表現に比重があるといえる。

 ロレンツォ時代のボッティチェリについて付記しておきたい。
 当初、ボッティチェリ初期の時代の評判はさして目立ったものではなかった。当時の流行から離れていて、画家仲間ではどこか異質の人物、わかりにくい人物、煙ったい人物と見なされるようになっていた。ボッティチェリの絵は、ただきれいごとを狙っているだけ、真実味が欠けていて〈ありのまま〉が描かれていないという批判があった。
 ところがコシモやピエロの時代が終わり、ロレンツォが花の都に春をもたらした時代になると、急激な人々の好みの変化があり、ボッティチェリの出現は町の人々に待たれていたものであった。まさに人々が求めていた〈神的なもの〉が現われていて人々の心に広く感じら受け入れられるようになってきていたのである。 

 

 

 

 

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