会員の広場   長寿の広場
 

 

 


 米寿をを迎えて 
(投稿順)

 

上原健秀さん

孫に囲まれ”ちむどんどん” 

 日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
 6年前に前立腺ガンを患い、放射線治療と抗がん剤の服用と女性ホルモン注射のせいで、体重が極端に増えてしまいました。出来るだけ毎日歩くようにしています。
 定年後、琉球古典音楽を習っています。年齢的な関係で上達はしませんが、大きな声出しと指を動かすことはボケ防止になるだろうと続けています。
 今の楽しみは、地域の後輩達と月2~3回ゴルフコンペ(ショートコース)へ参加することです。 

最近うれしかったこと

 学費を援助した孫が今年やっと看護師として県立病院で働けるようになりました。
看護大学在学中に網膜剥離で退学し、その後看護学校へ入ったが、体質的に基礎体温が高く、コロナの関係で看護実習できず、今年やっと国家試験に合格した。

最近気になること、気が付いたこと

 ロシアのウクライナ軍事侵攻で、中国の台湾への軍事進攻が気になる。
 沖縄県石垣島の北方にある「尖閣諸島の領有権問題」もあり心配である。
 米軍基地のある沖縄は再び戦渦に巻き込まれる恐れがある。

KDD時代の思い出

 今年は、沖縄県が日本本土に復帰して50年目になる。
 私がKDDへ入社したのは、RTT(琉球電々公社)の「国際通信部門」がKDDへ移管された時である。
 RTTで国際通信課長をしている頃、KDDから多くの関係者が国際通信室の見学に訪れていた。壁に掛けてある「貼り絵」に、よく質問を受けた。これは私が遊び心で、通信室から見える景色を新聞紙や雑紙をちぎり貼り付けたものだった。これがKDD社内報関係者の目にとまったのか、社内報「KDD誌」表紙にちぎり絵の依頼を受けることになった。
 1976年5月号から1977年4月号までだった。当時、沖縄国際通信事務所の調査役で「沖縄国際博覧会特別通信対策」を担当し、博覧会の終了で引き受けた。毎月2~3点制作するように言われていた。しかし、4月から那覇国際電報電話局の電話運用担当次長を命じられ、未経験の職場で多忙を極め、毎月1点制作することがやっとだった。

その他

 記憶力が低下し大事なことを忘れることが多くなりました。多くの友人や後輩達が先立ってしまい、KDD時代の話をする機会もなくなりました。k-unetもあまり見なくなりました。(パソコンの動作が遅いため)しかし、山本勝美様から封書が届き、k-unetを開き、百寿の会員投稿にびっくりし、近況報告を出すことになりました。

 


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田崎久太郎さん

 米寿を迎えて感慨深く数多くのことを想い出します。
 この年代はKDDのスタートアップからエンド(合併)まで様々な変遷を担ってきました。想い出すのは仕事よりもお世話になった卓越先達や同僚、友人達の顔〃が次々と限りありません。訃報のメール到着の度にいつも心淋しくなります。
 最近は、1級身障者を抱えて海釣りに行けず、好きなゴルフのラウンドも無理になり、健康維持・老化予防のために時々練習場で打ちっぱなしを続けて体力劣化を防いでいます。当分はOBゴルフ会でのラウンドプレーにご一緒するのは無理のようです。
 職場では、今は綺麗な桜の名所となっていますが、延べ十数年通った茨城衛星通信所での想い出が多く、同僚や街の友人達とで過ごした楽しいことや、己の無茶振る舞いの数々が浮かびます。

 米寿を期に、新たな「永生きコンテスト」のスタートだと思っています。
 これからは歓びよりも寂しさが多くなるのは当然かもしれませんが平穏に時間をかけ、ゆるりと枯れて逝きたい心境です。

 


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鷹取騏一郎さん

日頃の健康法

 スポーツに明け暮れた生活でしたが、5年前に大病(胃ガン全摘手術)を患って以降は好きなグラウンドゴルフ・老人卓球を今年で卒業。現在は、特に健康法はありませんが、妻の食事管理に感謝しながら、風邪をひかない、転ばないをモットーに散歩と読書を中心に生活しています。

最近うれしかったこと
 5月に孫からスマホの機種変更して貰ったことです。お蔭で、新機種に慣れる苦労が大変でした。 

KDD時代の思い出

 会社業務の事。労組関係の事。沢山あって一筆では無理ですが、直近では同友会closeで、関西支部代表として依田哲夫さん、関義信さんをはじめ、多くの方にご迷惑をおかけしたこと、お世話になったことです。

 


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木村文男さん

 米寿のご祝辞をいただき有難うございます。

 昨今は実年齢での生活を営んでいますので、「数え年」をとんと忘却していました。祝い事が前倒し2年も続く事になり喜んでいます。

 とはいえ、年を重ねて身体の調子が、動作がこんな筈じゃなかった思う事が多々あり、病院への通院、入退院が増え、毎年確定申告の医療費控除金額で悲しいやら嬉しいやら。

 数年前、健康診断で肺ガンが初見され、PET検診の結果、いたるところに「ガンの疑いあり」と、肺ガンは左葉上部の摘出、十二指腸ガンポリープ切除、現在は前立腺ガンで投薬治療中です。ガンもこの年になると転移、増幅も遅々として無理をしなければとの事、闘病も生活の一部と考えていますが、残念なことは長年楽しんで来た、ドライブ、ゴルフ、スキーとはお別れ、免許返上、粗大ごみで処分しました。

(1935年5月1日生まれ)

 


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景山 正さん

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 一人暮らしですが、朝食には、野菜たっぷりのミルクスープ、各種豆類、卵他タンパク質等栄養のバランスを考えて居ます。

最近うれしかったこと

 5月21日の、歌仲間でのコンサートが好評で、皆さんに喜んで頂きました。

最近気になること、気が付いたこと

 足腰が、とみに弱ってきました。殆ど車で移動しています。

KDD時代の思い出

 良い方々とご一緒出来て幸せでした。

 今でも、昭和会で月一のゴルフを楽しんでいます。

その他

 9月28日に、「65才からのアートライフ」で、オペラ「椿姫」から「乾杯の歌」をデュエットで歌います。

 


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寄稿された米寿の方へのメッセージ

上原さん、おめでとうございます。

上原さん、米寿、おめでとうございます。

安室さんの葬儀以来ですがその説も、沖縄勤務中も大変お世話になりました。

お元気そうな写真を見て沖縄時代を懐かしく思い出しました。

ご本人は覚えていないかもしれませんが玉代勢さんの弟さんの本部の寿司店で話された

沖縄戦中に体験したガジュマルにキジムナーが住むのではと思ったとの話が大変記憶に残っています。

こちらは9月に後期高齢者になりました。

ともに健康に気を付けて長生きしましょう。        矢部

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 喜寿を迎えて 
(投稿順)

 

益子輝雄さん

断続的に続けている
ダンベルトレーニング

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 定年退職と同時に、電気事業法に基づく「高圧電気設備の保安管理業務」を個人事業で始めたので、仕事そのものが健康法になっている。もちろん、現在も仕事を続けている。われわれ仕事仲間では、この仕事を知的肉体労働と言っている。何せ、階段で何階もある建物を上がり降りしたり、屋上まで計測器類を運んだりするので、足腰の鍛錬になっていると思う。
 また、朝夕のダンベルトレーニングと体幹ストレッチはほぼ日課となっており、身体の柔軟性や筋力の衰え防止に役立っていると思っている。10kgのダンベルを両手に持ち、身体の主要な部位を鍛えて?いる。もちろん、夕方の晩酌も健康維持の日課のひとつ。

最近嬉しかったこと

 電気保安の仕事の関連で、電気工事士国家試験の受験準備講習を大手の通信建設会社から依頼を受け7年ほど担当している。昨年度は新入社員100名が受講し100名全員が資格試験に合格したことは講師冥利に尽きる。全員合格は初めてのこと。今年度の結果が気になるところだが....

最近気になること

 日本人男性の平均寿命が82才になったとの新聞報道が最近あったが、76歳の自分はあと何年生きられるのかと“ふと”思う。「青春とは、人生のある一時期を言うのではなく、心の様態を言うのだ」とは、“サミエルウルマン“の有名な「精神の詩」の最初の一節の邦訳。漢詩調の格調あるこの邦訳が気に入っている。矢沢永吉のTVコマーシャルで「歳はとっても青春は腐らない」との名言にも元気付けられる。

KDD時代の思い出

 在職42年間で、事業所や部門が変わる転勤を11回、家族帯同での引っ越しも5回経験している、それぞれの職場や地域で多くの方々と出会い思い出も沢山ある。
茨城、山口、出向先での社宅生活も楽しい思い出となっている。独身者と社宅在住者合同での盆踊りやビアパーティ、梨狩り、ミカン狩り、地引網など古き良い気時代の思い出が蘇る。
 仕事面では、茨城衛星通所で衛星通信の商用化の一翼を担えたこと、山口衛星通所では、インテルサットから受託した「TTC&M/IOT」業務に携わることが出来、インテルサットから派遣された5名の外国人技術者と一緒に仕事をしたこと、NW運用部時代はヨルダンとインドの日本大使館にVSAT地球局を設置するため、相手側通信事業者と3年がかりのタフな交渉をして実現できたこと、そして、衛星伝送部時代に担当したビックシェルプロジェクトなどが思い出の仕事になっている。
 機動的な国際間TV伝送の運用に対処するため、社内で初めての車載型地球局(後にビックシェルと命名)を調達することとなり、国内2社、海外2社の計4メーカーにRFP(提案要請書)を発出し、各メーカーから提出されたプロポーザル(提案書)を受領し、実績、価格、保守サービス、技術要件等を審査し、最終的に総合評価で優れていたアメリカのメーカーを選択した。計画着手からビックシェル納入まで1年程度のプロジェクトであり、この期間に東京~ニューヨーク間を5往復した。小型アンテナと通信設備を搭載する車両は、右ハンドルであることが要求され、標準仕様であった左ハンドのアメリカ製から日本製に変更し、車両本体を日本からアメリカまで運び現地で架装した。ナンバープレートも「品川ナンバー」が欲しいとの運用部門からの要望をうけ、目黒にあった研究所の駐車場を常駐場所(実際は当時のKDD学園の構内)で車両申請するなど荒手の技も繰り出した。ビックシェルはその後もう一台追加製造され、ソウルオリンピックの中継や阪神淡路大震災の現場からのTV中継等に大活躍した。

アンテナと通信設備を搭載する車両メーカーの海外向けリーフレットに掲載された“ビックシェルプロジェクトの概要

 短期決戦の凝縮した仕事で、とにかく時間が無く、頑張り過ぎて過労で帯状疱疹を発症したのも苦い思い出となっている。振り返るたびに、お世話になった、上司や先輩、同僚・後輩の顔が目に浮かぶ。
 皆さん元気ですか!

その他

 2000年10月1日、KDDからKDDIへと会社の経営形態は大きく変わった。
 KDD当時、国際通信の収益は3,000億円を超えていたと思う。現在、KDDIの国際通信サービスの収益は当時の1/10程度の数百億円?程度と聞いている。LINEやFACEBOOK等SNSの急速な発達によって国際通話は無料で利用できる時代、当時では到底想像すら出来なかったことである。
 合併の決断は、当時の会社経営者の賢明な政治判断であったとつくづく思う。

 


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高橋俊雄さん

ららぽーと横浜で孫と一緒に 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 毎朝、地域のラジオ体操の会に参加し、その後に1時間以上かけて、緑豊かな居住地とその周辺を、友人と一緒に雑談しながら、ゴミ拾いを兼ねて散策しています。

 ボランティア活動(東京都の観光ボランティア、子供達への囲碁指導、特養施設での奉仕活動、お江戸探訪の会の幹事)を続けてきましたが、コロナ禍の影響で、活動量が減ってしまいました。

 その分、趣味の時間を増やしています。

 1年ほど前に地元で結成されたカントリー・ミュージック・バンドGMB(Green Mountain Boys:全員が70才以上)のメンバーになりました。
 ボケ防止になるからとの誘いに気軽に乗ってメンバーになりましたが、リードギター、スティールギター、ドラム、ベースのメンバーは、熟練者(中にはセミプロ級も)ばかりで、全くのど素人の私は、ギターのコード練習から始まり、ボーカル担当にさせられたりと、四苦八苦しながら楽しんでいます。

最近嬉しかったこと

 4人の孫(全員が男で、6才、4才、2才、1才)の成長を楽しみにしています。大阪に住んでいる長男一家が都心に引越してくることになり、頻繁に会えるので嬉しいです。

 近くに住んでいる娘夫婦の次男(1才)がどんどんなついてきて、最近、言葉を発する様になりました。長男(4才)も「おじいちゃんが大好き」なので可愛いです。

最近気になること

 ウクライナ情勢とコロナの感染拡大が気になります。日本社会も、課題山積ですね。

KDD時代の思い出

 大切な思い出がたくさんあります。KDDに入社していなければ、多くの海外出張や国際機関勤務を経験できなかったと思いますし、8年間のイギリス滞在経験もなかったと思います。

 世間知らずの24才の若造を温かくご指導頂いた研究所の上司先輩は勿論ですが、本社勤務になってからも多くの事を学ばせて頂いた皆さまには、感謝の言葉しかありません。

その他

 皆さまと共に健康長寿を目指したいと思います。

RUGBY WORLD CUP 2019のボランティア活動で(右端)


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塩田要平さん

筆者近影 

日頃心がけている健康法、日々の過ごし方法

 午前中は頭脳労働で主にPCの前、午後は体力維持の運動というパターンです。油断すると座りっきりになるので、体を動かすことを心がけています。それぞれ週2回のゴルフ練習とジョギング、平均月2回のゴルフが主なものです。ゴルフは、メンバーコースの月例参加と、地域住民で作ったゴルフ愛好会の定期コンペ参加です。愛好会は現在41名(多いときは65名ぐらいだった)、30年以上の歴史があり、7月25日に第174回のコンペを実施しました。

最近嬉しかったこと

 コロナもあって先送りしてきた人間ドックを5年ぶりに受けました。特に不調を感じたことはなかったのですが、加齢進行による隠れた不具合があるのではと少々不安でした。大腸にポリープが4個見つかりましたが、小さなものでガンの恐れなしで除去して終わりました。その他には問題もなく一安心というところです。

最近気になること

 2日前から、裏の家の2階の戸袋の上に鳩が巣を作り始めました。お一人住まいのため開かずの部屋の戸袋の上です。良いところを見つけると感心しました。一羽が材料を集めてきて、もう一羽がせっせと形を整えています。ここで子育てをするのでしょうか。夫婦仲はすこぶる良いように見えます。人間社会では幼児虐待や育児放棄等が盛んに報道されて気になっていることもあり、「鳩達、がんばれ」と少し応援しています。

KDD時代の思い出

 思い出はいっぱいあります。守秘義務に違反しないのであれば、1996年の本部内のソフトボール大会で、逆転サヨナラ・満塁本塁打でMVPをもらったことでしょうか。私が春の異動でそのグループ(G)に担当課長で着任したのですが、Gの最重要課題が間近に迫った大会で、何としても1勝し、最下位を免れることでした。最下位は翌年の幹事になるルールだったのです。そして私に選手兼監督の大役が任されました。短い期間に主要メンバーにヒアリングし、ピッチャーには秘策として落差の大きい山なりのボールを徹底して投げること、打ってもボテボテの当たりとなるのでサードとショートに守備のうまいメンバーを配置し、私自身はレフトを守る布陣で臨みました。結果、何よりもみんなの強い勝利へのモチベーションで、何と初戦を勝っちゃったのです。早々に1勝のプレッシャーから解放されたメンバーはその後伸び伸びとプレイし、今回思い出の試合も最終回で3点リードされていたものの、2アウトながら満塁の場面までこぎ着けたのです。私は最大の役目を終えてベンチにいたのですが、ベンチ内は「勝ちたい」意欲でギラギラしていました。そして「監督、代打でいきましょう」のメンバーの求めでその場面に立つことになったのです。そして2球目、少し早いストレート系のボールをコンパクトに振り抜き、レフトの野球経験者Sさんの頭上をわずかに越え、後方に転がる長打となりました。大騒ぎのベンチから「サヨナラだ。監督全力で走れ」の声援を受けながら、私自身は「ここで転んだら一大事」と滑るシューズ、もつれる足元に苦闘しながら、本塁ベースまで全力で駆け抜けました。2アウト、満塁、代打、逆転サヨナラ本塁打でした。月曜日、出社してみんなの笑顔をみて距離が近くなったことがうれしかったことを覚えています。

その他

 私の世代は、「通信の自由化」の波を受けた世代で、他社への転籍を経験した人も多いと思います。私の場合は、1998年11月30日にKDDを退社し、12月1日のKDD(株)発足時にTTNet(のちのパワードコム)に転籍し、2006年1月1日のKDDI(株)との合併時にKDDIに入社しました。KDD時代に同僚だった人たちや、KDD時代に出向でDDI本社に勤務したこともあり、旧KDD、旧DDIの知り合いが多かったです。仕事の関係で新宿のKDDビルにも出入りすることもあり、私の感覚ではまさに元に戻った感じで、こんなサラリーマン人生もあるんだと実感しました。

 


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伊藤英一さん

筆者近影 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方法

 新鮮な好奇心を大切に、積極的な探究心を生かし続けること。

最近嬉しかったこと

 昨年、50年近くの現役生活(KDD30年+大学/大学院18年)から引退しましたが、家族を始め多くの方々に祝福していただきました。 振り返れば、反省されることばかり数多で、とても「大過なく」とは言えませんが、それでも辛うじて「恙なく」複数回の定年退職と再誕再生を迎えられたことを、素直に嬉しく感じました。

最近気になること

 2014年のクリミア半島併合から、今年(2022年3月24日) ウクライナへの軍事侵攻に至るロシアの動きを、何故、国際社会は制止できなかったのか。

KDD時代の思い出

 満30年間を過ごさせていただいたKDDとKDDIですが、素晴らしい人々が沢山いらっしゃったことと、いろいろ御世話くださった方々への感謝の念を深くしています。また、ITU(国際電気通信連合)、Intelsat(国際衛星通信機構)等々の国際機関にかかわることが出来たことを、有り難く思っています。

その他

 日本やアジアの国際通信の歴史を振り返り、KDDの社会的意義と国際貢献が再認識されるような機会や組織があればと思います。早世された小林副社長、野坂副社長、太田副社長の苦労話や、KDD創業に先立つ日本無線電信の吉野圭三常務の回顧等々、公共性が重視されるべき、社会インフラの理想的未来を模索する一助にもなるのではないでしょうか??

 


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高宮孝一さん

筆者近影 

似顔絵作品例 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方法

 一日に6、000歩程、市内の神社、仏閣、図書館等の巡りを行っており、時には、出会った方々の似顔絵を描かせていただいています。

最近嬉しかったこと

 瀬戸内海の島々を舞台に、3年に一度行われる現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」が、この秋に開催される予定で、田舎の丸亀市本島町笠島の我が家を休憩場所として利用したいとの連絡がありました。3年前に続き、田舎のために役立てることができ喜んでいます。

最近気になること

 今3回目のコロナ接種を受けてから、蕁麻疹や腰痛等の後遺症が出ている。(4回目のコロナ接種については、医師の判断も難しいのようなで、検討中です。) 

KDD時代の思い出

 テレコム79会場KDDブース

 初めての海外旅行は当時復帰前の沖縄でした。組合の代表として沖縄に訪問しました。

 その後も仕事の関係で4回程訪問しましたが、実質的な海外出張はスイス、メキシコ、上海、ネパール、アメリカ、台湾でした。特にスイスには日本で開発したQ-FAXのデモンストレーションに5月のITU本部と10月のテレコム79に出張しました。

 テレコム79では会場-東京間のデモンストレーションの一部として、別添のようにプロの方に描いていただいた似顔絵が送付されました。

 

 この時、米国キャリアの会場-アメリカ間の回線がたまたま障害になり、会場内で米国キヤリアの回線を接続し、時差があるので東京経由でバックアップしたことがあり、その後、米国キャリアの関係者が来日され、赤坂のホテルや米軍プレスセンター等へ招待された記憶があります。

 個人的にも、退職を機会にいろいろなところで出会った方々の似顔絵を描かせていただき、これまで1、000枚を超えました。
 この数年間は再度お会いする機会もない方々には、メール、郵送等で送付している状況です。

その他

 退職後、さいたま文学館での小説サークルで小説を書いたり、暇に任せて替え歌を作成しています。

 替え歌の一部が次のようなものです。

 画面をクリックすると大きく表示されます。

 

高宮さんへのメッセージが書き込まれています。こちらをご覧下さい。


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大森 淳さん

筆者近影 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方法

 毎日1時間程度の散歩と途中スーパーでの買い物。コロナ非常事態宣言以来ジム通いはやめて家で筋トレやストレッチ体操を、趣味はギターを毎日2時間練習しています。

最近嬉しかったこと

 毎日がうれしいので、最近うれしいことと言われても分からないです。

最近気になること

 今回k-unetの知らせで自分が喜寿を迎えることに気付き気になりました。

KDD時代の思い出

 家から車で20分(7㎞)ほどの研修センター勤務4年半は満員電車の通勤はなく田舎で昼休みは栗拾いや柿を採ったりしたことが楽しい思い出です。

その他

 次回米寿でのお知らせでは驚かないよう、今から心の準備をしておきます (^O^)

(1946年3月13日生まれ)

 


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井上正夫さん

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 食事、運動、社会との繋がりの3点をルーチン化して過ごす。

最近嬉しかったこと

 Lineのグループ利用で、孫を含め家族間の談話等が出来るようになったこと。

最近気になること

 妻の健康と体重が増えたこと。

KDD時代の思い出

 TAS(PTAS)の建設保守運用
 阪神大震災時の国際電話通信制御

その他

 市民大学に入り、新友が多く得られ、社会貢献と趣味の世界が広がりました。

 


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松平恒和さん

筆者近影 

私の 健康法

 その1 運動をしないこと。
 その2 医者に行かないこと。
 その3 薬を飲まないこと。

最近嬉しかったこと

 2022年、無事金婚式を迎え、子供、孫達が全員集まって祝ってくれました。

最近気になること

 情報通信技術が発達し過ぎているのではないか。アナログ時代が良かった。

KDD時代の思い出

 未だにたまに見る夢の中では出張先でパスポートがなくなったとかホテルに戻れなくなったとか(そんなことは実際にはなかったのに!)KDD時代のことばかり。

近況

 という訳で、お陰様でなんとか元気にしています。

 何をしているかは数年前にk-unetの誕生日コーナーに掲載していただいた内容からあまり変わっていませんが、コロナの影響をもろに受けてミュージシャン活動は大打撃を被りました。元気なうちにコロナ退治が叶うよう祈るばかりです。

 

松平さんへのメッセージが書き込まれています。こちらをご覧下さい。


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代田正之さん

亡き愛犬小太郎
(山口借上げ社宅の庭にて)

 

 k-unetに加入して20年余、何も貢献していない幽霊会員なのに、貴会から喜寿のお祝いの連絡を頂き恐縮です。当会は、会員の皆様の消息や、ご活躍を知ることができ、とても有難く思っています。

 私は8年ほど前からほぼ毎日40分ほど散歩をしています。厄介な病気もつい最近主治医の先生から経過観察終了とのお言葉を頂き、嬉しく思いました。

 最近気になっていることは、この頃世の中が何となくきな臭い感じがしてきたように思っていることです。親の世代が経験したことが、また起こらないように願うばかりです。

 KDD在籍中は、皆様にご迷惑をお掛けしたことも多く、改めてお詫び申し上げます。仕事面では、上司、先輩、同僚に恵まれ、色々な仕事をさせて頂き、感謝しております。特に記憶に残っているのは、茨城、山口両衛星通信所の開所に立ち会えたこと、直径320メートルの巨大短波受信アンテナの指向特性を、ヘリコプターに乗って測定したこと、そして八俣送信所の短波国際放送用送信アンテナの置換工事です。この工事は、計画作成の段階から関わることができ、新しい設備を考えたり、いかにサービスの低下を少なく置換することとか、送信所敷地内や近隣の皆様、敷地内の道路を通学する子供たち等への電磁障害防護基準値をクリアすることなど、苦労も多かったですが、やりがいも多く、昭和63年2月に完成し、無事放送が始まった時は、感無量でした。今思えば懐かしい思い出です。

 


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寄稿された喜寿の方へのメッセージ

松平様へ

お久しぶりでございます。お元気に喜寿を迎えられまして誠におめでとうございます。

在職中は仕事よりも、折々の音楽イベントでご一緒させていただいてたように覚えております。もやは江戸時代くらいの昔に感じますが、K倉さんのアメリカ転勤の送別会を新宿会館(ストラーダ)で開いた折に、初めて松平さんのクラリネットを聞かせていただき、本格的で只者ではなさ過ぎる演奏に驚嘆!大いに感激したことを覚えております。

演奏活動を続けてらっしゃることは聞いておりましたが、ここ数年はライブの制約が大きいですね。私は聞くのが好きで、ときどきPITINNや近所のハコに通ってまして、松平さんが出演されるライブがありましたらおじゃましたいと思います・

おっしゃるとおり、デジタルが過度に浸透してきて、音楽でも日頃の生活でも、心の有り様までもどっちつかずが許されないように感じてます。音楽では生音がイチバン!(江戸時代のころにそんなCMがありましたっけ?(笑))

(なお、私は音楽ではボサノバギター、古典芸能の狂言の自演などで遊んでおります。)

高宮さんへのメッセージ

高宮様

ご無沙汰しております。
元気に喜寿を迎えられたご様子、お慶び申し上げます。

高宮さんが似顔絵の画才をお持ちとはまったく知りませんでした。愉しく寄稿を読まさせていただきました。
これからも元気にご活躍されることを祈念致します。

楳本

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 長寿会員からの投稿 

 

~ 百寿のつぶやき ~
 
① 袖触れ会うも 多少の縁

遠藤榮造
(2022年8月吉日)


当老人ホームのウッドデッキの花壇は、新たに朝顔などの蔓類をプランターで育て始めた。蔓を這わす網には既にゴーヤの大きな実がぶら下がり、黄色く熟し始めたのもある。大輪の朝顔の開花が楽しみだ。さて、永い人生はご縁の固まりしょうか⁈

 既に申し上げた通り、小生は東日本大震災の直後の1911年4月末から当老人ホームに入居して、現在は102歳になるところだが、長生きを期待していた訳でもない。子供達には吾ら老後の面倒を余り掛けたくないと云う単純な思いからであったが、うまく行き過ぎた感じ??? 老人ホームは10年も経つと老人は一層老人らしくなり哀れを覚える一方、新規入居者もありホームの景色も変わってきたように思う。

 

  このマンション街と甲州街道との間に国立二期校の電気通信大学があり、老人ホームの環境としては悪くない。大学は有名校ではないが、電気通信と云う点では当方が務めてきた会社に極めて近い存在。事実、同大学の国際法担当教授とは国務省でのインテルサット協定審議の会議でお会いすることもあった。
 新しい宇宙国際法は当時学者の格好の研究対象のようであった。当方との関係では、衛星通信の始まり頃の経過・問題点をポケットブックで刊行したことがあり、同教授から会社を通して講義(毎秋3時間ほど)を頼まれたことがあった。なお、この種のポケットブックは、関係企業が買い取るほか、一部は官報販売所に卸されていた。多分教授の指示でこの小冊子を学生にも読ませるため、大学の生協が印刷所と購入の交渉をしたようで、結局残り少ない部数を生協が買い占めたようだった。本の内容が当時の話題を扱っていただけに買い占められて印刷所も他からの注文に応じられず困ったようだが、増刷は困難と云うことで売り切れになっていた。著者の小生も手持ち僅少で困った。懐かしい思い出⁈だし大学とも大切なご縁であった。
 この老人ホームに入居してから大学での講義のことを思い出し、キャンパス内の近道を利用して駅や付近の繁華街にアクセスしたり、時には大学の講堂で開催されるコンサートにも入場させてもらったこともある。小生はこの辺りにご縁があった訳だ。住環境としても余り悪くなかったのも入居を決めた大きな事由であろう。
 なお入居してからは、大学構内通行等のほか、特別な関係はない。ホームでの新しい生活に追われていたと云えようか? 

 この様なご縁は何時しか忘却の彼方へ‼である。ご縁にも色々のケースがあるのだろう⁈ 

シニアーカーのブレ―キ故障のため、レンタル・カートを運転中!

 

 

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 長寿会員からの投稿 

 

私の2年遅れの
卒寿祝いの写真
(「新宿シネマ研究会」 のメンバーと)

樫村 慶一
(2022年4月吉日)


 自分の写真なんか送るのは面はゆいのだが、金色の烏帽子、チャンチャンコを着る人は、KDDマン多しといえども、そんなにはいないだろう、と勝手に想像して、羨ましがらせてやろう(冗談)と思って投稿します。
「新宿シネマ研究会」のメンバーの構成は、KDD・OB、ラ米音楽評論家、日動火災OB、カワハギ釣り会長、保険代理店経営、電気技師,、劇作家、農水省役人、ギタリストなど多彩。後列左から3人目の女性は、息子が前の駐日ウルグアイ大使の娘と結婚している、日本でも知られる、清貧の大統領ムヒカさんとは親戚になる人。入会希望者は反社会的勢力に属する人と政治問題を持ち込む人を除いて自由です。

 

 

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