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四 季 雑 感(47)
     
樫村 慶一  
なぜ新学年は4月にはじまるのか

 とうとう平成も過去になってしまった。私は1930年(昭和5年)4月1日生まれの89歳で、昨年の米寿と来年の卒寿の間の、なにも祝い事のない半端な年の筈だったのが、思いもよらぬ新元号の御開帳となり、全国民が祝ってくれる幸運に恵まれた。人間は、同じ年月の幅を生きても、その時代の背景によって経験することは様々だと思うが、私と同年代の人達(昭和の一桁生まれで健常な人)は、過去・未来の人達と比べ、より多彩な経験をして来たのではないだろうか。たとえば、天皇の代変わりを2度も経験し、元号を3つも体感し、さらに100年に一度の世紀の更新まで実感した。そして、平和から戦争へ、戦争から平和へ、想像でしか思えなかったことが、科学を始めとする技術の進歩で現実になってきた。半面、当然ではあるけど、幾多の大地震や洪水、長い年月を周期とする自然災害や宇宙変異も避けることはできなかった。
 4月1日生まれの私は、誕生日ごとに社会制度や税制や、そのほか生活に関連することなども含め、何かしら変わる。小学校に入るときからそうだったので。いままで、4月1日が諸々の制度の切り替え日だということに、特に関心は持たなかった。 ただ、直接関連がない話だが、新しい元号の報道にマスコミが1秒を争っていたり、元号そのものの想定遊びのようなことをしたりしたのは、なんだったのかという素朴な疑問がテレビでも流れていた、同感である。そんなにあわてて報道して、なんの意味があったんだろう。
 ところで、私は、ラテンアメリカ関係を始め、何かの時に役に立ちそうな新聞の話題記事のスクラップを50年くらい前から続けているが、先日、他の探し物をしていて、おもしろい記事が目に入った。「なぜ学年は4月に切り替わるのか」と言うタイトルである。
 いわく「明治初期に欧米の教育システムを導入した当初は9月入学制から始まった。これがなぜ4月に変わったのかと言う理由として、以下のように述べている。国の会計年度は財政法で4月1日~翌年3月31日と定められている。これは大日本帝国憲法が制定される以前の1886年(明治19年)から続いている。それ以前は7月~翌6月制だったが、大きな財源だった酒税の納期が4,7,9月だったので、これに会計年度を適合させるために4月に変えた。これに連動して1886年に徴兵令が改正され、徴兵検査を受ける義務のある満20歳男子の届出期日が9月1日から4月1日となった。これに文部省が敏感に反応し、同じく1886年に教員養成の総本山、東京高等師範学校(東京教育大の前身、現筑波大)を急遽4月入学に変更した。1888年には全国の師範学校も4月入学に変わった。
 船寄(フナキ)俊雄神戸大教授(教育学)は、「当時の高師と師範は20歳以上の新入生が多く、9月入学だと優秀な人材は軍隊に先に取られてしまう、まさに軍部との人材獲得競争だったのだ。」と話している。これらに下から連結する旧制中学校、さらに小学校も法令で4月入学に変わった。1907年(明治40年)には専門学校(私立の大学等の前身)も4月1日に変わっていく。最後まで9月入学だった旧制高等学校、大学も3月卒業の旧制中学との連携を図るため1921年(大正10年)に4月入学となった。
 船寄教授は、「本当の子供達の教育の視点に立てば、夏休みを過ごした後に、新たな気持ちで勉学を始める9月入学制度の方が、遥かに利点が多い。4月新学期と言う制度は、教育効果が目的ではなく、軍部や役人の御都合主義の結果であると言われてもしかたがない」と言っている。もう、皆様には関係ないだろうが、今も9月新学期論が聞かれる。孫、曾孫のことを考えると、如何思われますか。
(2019.4.5 記)


 

 


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