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  四 季 雑 感 (44)

樫村 慶一   
  

― 平成も残り僅か、遠い想い出は尽きず 

 今年も残り僅か、猛暑、酷暑が続いた夏は、記録上初めてと言う現象もいくつかあったが、何十年振りと言うのもいくつかあった。と言うことは過去にも同じような現象があった証拠であり。異常は始めてじゃなかったということである。なんのかんの言っても秋は確実にやってきた。そして、明治150年とか言われたけど、大した国民的行事もなく、またKDD創立65年も全く何にもなく、今年も終わりそうである。さらに、私の米寿も過ぎる。果たして卒寿が期待できるかどうか、気になる季節でもある。
 私は、妻が逝ってから、できるだけ友人を増やし家に籠もらないようにしてきた。お陰で旧KDD以外の友人知人が増え、外出する機会も増えた。男やもめの、ひょっとしたら鬱になるかもしれない境遇と紙一重の生活が、奈落へ落ちないのも、良い友達に恵まれたお陰だと思っている。そう言った付き合いの中に、「古い映画を鑑賞する会」と言うのがある。毎月第2日曜に行われ、邦画と洋画の2本立てだ。主催はラテンアメリカ音楽を通した古い友人だが、それに誘った旧KDDのHさんが高校時代の友人を誘い、またその人が誘うと言う連鎖が続き、今で男女合わせて10人近くになった。終ってビヤホールで遅い昼食を、わいわいがやがや言いながら取る。楽しい時間である。幸い今のところは、生活面も健康面もまあまあなので, 恐らく一瞬に過ぎていくであろう残りの人生を、このまま終わらせたいと願っている。
 古い映画は邦画、洋画ともに1930年代頃から1955年頃までのものが多く、洋画はアメリカ物が大半だが、すでに1940年代のカラー映画の色彩の鮮やかさには驚かされる。邦画は、戦前の盛り場、電車バスなど乗り物、住宅風景、服装、きちんとした言葉使い、畳にちゃぶ台、と言う日常の生活事情など懐かしい場面が映し出され、良き時代を偲ぶことができる。 平成も来年で終わる。「明治は遠くなりにけり」はもう過去の言葉になってしまった、間もなく「昭和は遠くなりにけり」になるのだろう。私は昭和の大半63年間(元年も最終64年も1週間ほどなので省略)のうち58年を生きてきた。その中で、一番平和な時代と言うか、静かな時代、懐かしい時代と感じるのは、昭和10~15年の間位だと思う。しかし、この時代にこそ、その後の日本の悲劇の幕が静かに上がっていたのだ。11年には226事件が起き、12年には盧溝橋事件を契機に日華事変が始まり、14年にはノモンハン事変(と言っているけど間違いなく日ソ戦争だった)で大敗したりした。そして密かに満州国を世界に隠れて強固にしていた。それでも、世の中はまだまだ平穏無事で、服装は女性の多くが普段でも和服だったし(銘仙とか絣で、普段は上等なものは着てなかったけど)。男は服装ですぐ職業が分かるような姿だった。サラリーマンは三つ組の背広にラシャかパナマ帽子をかぶりカバンを下げていた。商店の店員は絣の着物にハンチングをかぶっていた。夜は銀座や新宿の盛り場のダンスホールが賑わい、庶民は屋台でひと時を楽しんでいた。しかしそれは、一般市民には分からない嵐の前の、一時期の静けさと言えたのかも知れない。今じゃちっとも珍しくない強盗や殺人事件が大ニュースになる時代だったんだから。子供心でも覚えているのは、説教強盗とか、阿部お定事件とか、向島おはぐろどぶのバラバラ事件などで、新聞の3面記事の大半を占めていた。
 何よりも私がこの時代を、良き時代と言うのは、私にとっての懐メロがこの時代に一番沢山誕生しているからである。特に古賀メロディーに歌手は藤山一郎、ディック・ミネ(戦争が始まると敵性名前は怪しからんと言われ、ミネ・コウイチと名乗っていた)霧島昇、東海林太郎、灰田勝彦など、女性は佐藤千夜子,二葉あきこ、渡辺はま子、淡谷のり子などなど、今の人達は知らない名前ばっかりだろう。年頃は5歳~10歳の子供が、なんでこの時代を懐かしむのか自分でも分からないことの一つである。子供のくせに、その頃の歌を懐メロというのも辻褄が合わない話なんだが、考えてみると、父親が明大の古賀政男と同期で彼のマンドリン・クラブに入っていて、しょっちゅう古賀メロディを口すさび、母親もそれを歌っていたのを聞いていたから、自然と覚えたんだろうと思う。それに、大人になってから振り返って、ガキ仲間と草野球をやったこと、模型飛行機を飛ばしよその家の屋根に落ち、おそるおそる登ったこと、哲学堂の垣根を壊して侵入(当時は入園料をとられたので)したこととか、ばっけが原(西武新宿線の新井薬師前と中井の間の原っぱ)の下水の土管に入って出られなくなって大泣きしたこと、南京や武漢三鎮など陥落の度に行われた提灯行列に大はしゃぎしたことなどが、はっきりと思い出として蘇ってきたからだろうと思う。まだ少しは「昭和モダン」の気分が残っていた、遠い遠い時代のお話である。

 話は全く変わるが、昨今の国会で現代版四谷怪談のお岩さんみたいな女大臣と共に主役を務めている、桜田五輪担当大臣を見て懐かしい友人を思い出した。k-unetの会員にはどのくらい知っている人がいるか分からないが、私と同年代の昔の東京電報にいた人は知っているはずだ。栃木の片田舎から出てきた斎藤吉雄さんである。顔つきはもとより、体形、動作と言いそっくりだ。だから私には桜田氏が憎めない。大正末生まれなので大先輩だったけど、3番勤務の明け番には、朝から軍艦マーチが鳴り響く神田のガード下のパチンコ屋に、閉店の蛍の光を聞くまで粘っていたことを思い出す。いつも仲間の廿楽軍治さんと3人組で、資金が尽きると順番に近くの根本質店に時計を曲げに行った。KDDビルが大手町にできた1958~60年頃のことだ。お二人共すでに亡い。昔話を書いていたらきりがない。今年はこの辺で、来年もどうぞご愛読下さるようにお願いして、終わりとしたい。
 
 【写真出典:(株)国書刊行会1986年2月10日発行 「流行歌と映画でみる昭和時代」より】
 【写真説明:左上から左右交互に:①愛染かつらの映画ポスター ②ちゃぶ台を囲む一家団欒
  ③226事件の反乱軍 ④南京占領の万歳 ⑤和服姿 ⑥逮捕された阿部お定 ⑦提灯行列 
  ⑧故斎藤吉雄さん(1961.7)。
Feliz Navidad y Pro'spero Año Nuevo  (2018.11.20 記)
 

 


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