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2015年コンテスト応募作品 濱口勝己さん『秋の銀杏並木』  

 

横井 寛さんの投稿


友歩会の思い出

横井 寛
 
 私が友歩会へ初めて参加したのは、この会が101回目を迎えた時、つまり平成8年からであった。つまり私の第二の人生である防衛大学校を定年退官した年である。今にして思えば友歩会が最盛期に入った頃であったと思われる。その時は目黒周辺を散策したあとKDD研究所を見学し、恵比寿ビールへ行ったことを覚えている。

 この時以来、私は妻と二人で友歩会に参加するようになった。妻は友歩会の皆さんと一緒に歩くのがとても楽しいらしく、私が参加できないときでも一人で参加することがあった。

 友歩会でのハイキングは、都内は勿論、神奈川、千葉、埼玉と、主として日帰りで歩ける神社仏閣、古跡旧跡、有名な庭園、そして山や海など10キロ前後を歩くもので、実に色々なところへ連れて行って頂いた。 この会は僅か500円の会費で、世話人が下調べしておいたところを案内し、それぞれの場所では丁寧な説明までしてくれた。

 正月の七福神めぐりは毎年違ったところの七福神をめぐり、最盛期には百名を超える参加者があった。十数年前からは、その年の年男、年女に、私が画いた干支の絵の色紙などを差し上げた。

 ここに掲載した写真は2008年10月21日に鎌倉・金沢街道コースを歩いた時に大谷恭子様に撮って頂いたものである。

 ところで、ここ数年前からはみんなが歳を取ったこともあり、歩くのも四~五キロとなっていたが、出席者も減少の一途をたどり、ついに今年の九月、埼玉県熊谷の国宝聖天山歓喜院へのハイキングを最後に解散することになった。

 そして、去る十月十日に解散懇親会が開かれた。ここで、会長であった松田さんから、この会は昭和62年に始まって以来372回を数える歴史の説明があり、その中で、今も生存している人で20回以上の参加者は48名であること、そして、その内のベストテンは
1)黒崎義雄:281回、2)村岡美雄:274回、3)金子忠三郎:272回、
4)森本專二:267回、5)松田隆治:247回、6)小鷹邦夫:226回、
7)大沢 薫:224回、8)加藤頼雄:212回、9)平野博信:195回、
10)横井 寛:189
であるという報告があった。この中で上位の6位までは世話人の人たちが占めている。なを、私の妻は186回の参加で11位、女性の中では第1位であった。

 毎月一回の友歩会は私たちにとって本当に楽しいハイキングであった、これが無くなるのは大変残念であるが、この機会に友歩会の世話をして頂いた方々に心より御礼申し上げる。
 

松田隆治さんの投稿


KDD友歩会の足跡と思い出


松田隆治   

 KDD友歩会は昭和62年に当時KDD同友会の会長だった故相原保さんが同友会傘下のクラブとして設立することを提案され、村岡美雄さんなど元KDD山岳会の人たちが準備し、相原さんが初代会長になって同年7月第1回:日本民家園のハイキングからスタートしたと聞いています。

私が友歩会に初めて参加したのはKDDグループを退職後間もない平成9年5月のハイキングからですが、その前後6~7年の間は友歩会の最盛期で、多い時には100名を超える参加者が長い列をつくり12km以上の道のりをものともせず皆元気に歩いていました。入会の翌年5月の総会で私は世話人に選ばれ、以来友歩会の企画や運営に携わってきました。

しかし平成13年にKDDがDDIなどと合併してKDDIになりOB会が別につくられて以来、友歩会には新たに入会する人が全くなくなってしまい会員の高齢化とともに参加者は年々減少の一途を辿りました。平成23年には同友会も解散することになり、その年の3月に発生した東日本大震災の被災者に200万円もの寄付をするというので当時同友会の幹事をしていた私は傘下のクラブにもお金を配分すべきと訴え、友歩会には6万円の補助金をいただきました。そして平成25年5月の総会で私が二代目会長石川恭久さんの後を継いで三代目の会長に選任されました。

 参加回数ベス10
  1. 黒崎義雄 281回
  2. 村岡美雄 274
  3. 金子忠三郎 272
  4. 森本専二 267
  5. 松田隆治 247
  6. 小鷹邦夫 226
  7. 大沢 薫 224
  8. 加藤頼雄 212
  9. 平野博信 195
 10. 横井 寛 189

友歩会では会員の高齢化に伴いバスや電車も利用して歩く距離を短縮するなどの対応をしてきましたが、その後も参加者の減少は続き最近では10名を下回ることも多くなり、また世話人たちにもいろいろと支障が生じてきましたので、私はこれ以上友歩会を継続して運営していくことが困難と判断し、平成28年9月の第372回:国宝聖天山歓喜院と熊谷寺のハイキングをもってその活動を終了することとしました。

友歩会はその発足から終了まで29年2か月の間に372回、春は梅や桜、夏は木陰のコースやビール工場見学、秋は紅葉狩り、冬には正月の七福神等の神社仏閣巡りなど、多様でかつ魅力的な企画を実施し、延べ2,899kmの歩程と17,709人の動員実績を残しました。また会員の参加回数のベストテンは表の通りです。

そして平成28年10月10日友歩会馴染みの料亭であった神楽坂の別亭鳥茶屋において解散懇親会を開催しました。懇親会には友歩会の解散を惜しむ22名の会員が出席し(写真1)、順番に友歩会の思い出を語っていただきましたが、それぞれ楽しかった思い出が懐かしく語られ、友歩会がなくなると淋しくなるとの声が多くあり、また世話人たちの長年の労に対してもお礼の言葉をいただきました。


写真1

私の友歩会の思い出としては、山登りが好きな関係でハイキングらしいハイキングをと企画した金時山、三ツ峠山、足和田山、日光戦場ヶ原、奥多摩むかし道、薩埵峠、河口湖畔の富士と桜(写真2、3)、日光キスゲと霧降高原(写真4)などで、これらは少し遠くて健脚向きのため参加者は都心のコースに比べると少人数でしたが、私には印象深く記憶に残るハイキングでした。


写真2写真3

写真4

 他の人の企画では顔振峠から桃源郷のようなユガテの里、山からの眺めが電車が走るジオラマのような和紙の里・小川町、勢いよく下りてきたので足がガクガクになってしまった箱根旧街道などが特に印象的で記憶に残っています。また私は歴史小説をよく読んでいた関係で吉良邸から泉岳寺まで赤穂浪士が引き揚げた道、新選組のふるさと巡り、北条政子、実朝、頼朝の墓(写真5)などを巡った源氏山から鶴岡八幡宮周辺、石垣山一夜城などの企画も実施し、印象に残っています。特別なところでは皇居参観(写真6)でした。

写真5写真6

 写真付きの身分証明書を所持するよう言われたのでわざわざ住基カードを申請取得して出かけたにもかかわらずその提示は求められず、事前に郵送で提出した住所氏名を書いた名簿と当日の参加人数とを確認し1人ひとりに入門証を渡され入場が許されました。皇居内は広大な宮殿前広場や道路のどこを見渡しても一片のちりもなくきれいに清掃され、植木もよく手入れされ、生け垣は定規で測ったようにピシーと見事に整枝されていたのにはいたく感銘を受けました。このように参加したハイキングについていろいろなことを思い出しますが、私は何よりも友歩会で長年にわたってこれら名所旧跡、海岸や山や川などを巡り歩き、会員同士が親しく語り合い、ともに楽しく人生を過ごすことができたことをとても幸せに思い感謝しています。


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